練習場から東山の方に向かって帰るんですけど、本当に初秋の月は美しかったです。
ガラケーしかもっていなくて、みなさまに美しい様相をシェア出来ないのがとても心苦しかったです。
だから、心のシャッターを切り、七五調のタイトルをつけてみました。
小林麻央さんのブログ、サラッと書かれた現状に、激しい衝撃を受けました。
今生きている事が当たり前とは思っていません、これまで色々命の臨界を体験し、看て来ましたから。
それでも、やっぱり、まだ30代になったところで、お子さんがまだお小さくて、そのような状態の時に、麻央さんのようにいられるかというと、本当に彼女のとても人間的なところも含めてなんというか、なんというか・・・出来る限り麻央さんと麻央さんのまわりの皆さんに、麻央さんや麻央さんの周りの皆さんにとっての幸せな事がひとつでも多く訪れてくれますように、、と、そう切に願わずにはいられませんでした。
そんな祷りしか思い浮かびませんでした。。。
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実は、今朝は家庭ごみを出すのもしんどくて。
家の用事をしようと路地を出たところで、思考も行動もフリーズしてしまいました。
こんな事は久しぶりで、やっぱり一番悪い時よりは出来る事が増えて来ていた分、ショックでした。
『やっぱり私は、病気じゃなくて、障害なんだ。。。』って。
帰るのもなぜか怖い。進むのもどこにどう行けばいいか解らない。
同じ位置で周りをキョロキョロしていた事でしょう。通勤や登校時間だったから変に映ったでしょう。それにはそこそこ慣れたけれど、一番困っていたのはやっぱり自分の意志ではどうにも出来ずにただ戸惑ってただ焦って心や思考がここになくて外に出ない内的なパニック状態であった事に対してだと思います。
数分したあと、『今日の子ども達の御飯!!!』と、いつものスーパーに向かいました。
何を買っていいか解りませんでした。何も考えられないんです。
短時間で茹で上がるパスタにソース、それなら子ども達なら出来る。は、ようやく解りました。
で、それだけ買って、今度はただ帰る事に集中。幸い家の位置は解っている。そこに身体を動かす事が難しいので、ただ必死に『帰るために一生懸命歩く。ただ歩く。』ってしました。
家について、お姉ちゃんはもう仕事に出ていて、そこでやっと思い出しました。昨夜、疲れてSSRIを飲み忘れていた事に。お姉ちゃんの事が大変な8月の終わりから、最近コンスタントに服用出来ていない事もやっと自認しました。
そこではじめて『これは、安定剤を飲んで、休んだ方が・・・』と。足もとはずっと前からおぼつかなくて、ということも、やっと自認しました。あちこち(家では)ぶつかっていたんです(苦笑)
そうして休みました。。。
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気がつくと、合唱の練習時間でした。慌てて身体を起こしました。ふらついているとかそうでないとか気にしていませんでした。
折角、休ませてくれていた子ども達に、『どうして起こしてくれなかったのー!?』って言っちゃいました。(え、だって・・・って子ども達は驚いていました。)
外に出てみたものの、やっぱりなんだかふわふわしています。それにたいして悲観的にはならなかったけれど、困ったなあ、って思いながら、『今は歩く事!』ってまた思いました。
走らない、なぜなら走れないから(笑)急がない、なぜなら急げないから(笑)
とにかく、着きたかった。それだけです。
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小一時間くらい、遅れてしまっていたようです。
今日は40番の長めのコラールを練習していました。
思ったよりドイツ語読めました。これまで読んでいたからだと思います。
全体の練習でも、ちょっとはついていけたように思います。
今日はマエストロがもう一つの合唱団の練習につきっきりだったようなので、バスのリーダーが纏めました。
彼は歌う時は、信仰心をもって、歌詞に心を、魂を込めて歌って下さい。と、大切な歌詞をドイツ語の日本語意味を解説してくれました。
そうして、あるコラールは一生懸命フォルテで、あるコラールはピアノで、物語るように歌いました。
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帰りにはじめて、自分にだけ御褒美。
こんな事した事無いです(笑)
自分だけ食べると『子ども達は食べてない・・・』って思っちゃうので。
でも、初めてやってみました。
すっごく大きいので、途中でバスが来ちゃいました。
モゴモゴ・バタバタしている様子を、運転士さんは待ってくれました。
乗客さんは少々あきれ顔。
降車する時に、運転士さんに、『さっきは、乗るのを待ってくれはって、有難うございました。』と言いました。
これまで恥ずかしかったけど、言いました。
そうです、私、公共交通機関は、障害者手帳で乗車させていただいています。
運転士さんは「何を、何を♪」と仰いました。
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自分的には色々と勇気ある行動を取った日でもあります。
宝塚の発達障害さんを支援するママさん達のグループのある人に言われました。『IQが高いと、受け容れられずに、努力で隠してきたところがありませんか?』って。
図星・・・(笑) 正確には、図星であることにも気付いていませんでした(笑)
私は生育上、出来ない事を許されなかった人です。出来るまで、人の何倍も、寝食を忘れて努力する事が当たり前だと強いられて生きて来た人です。
だから、健康診断で、メンタル面の問診に驚いた医師が、凄い勢いで連絡してくるのが常でした。
そうしていつもこのような状態にまで努力一本で補てんしてきた人生に感心を示してくださいました。
でも、フツーの人には、ただただ嘘つきに映っていたでしょうね。
それは、どのような障害であっても、知的に劣っているという相関が科学的に実証されていないのに、勝手に因果関係をつけて、レッテルを貼っていたからだと、今なら反論できます。
ただ、子どもには、まだまだそれが出来ないので、子どものこころに寄り添いたい、と、物ごころついた時から決めていました。
SeeYa とても大切なアルバムです。
現実がシンクロしていたから。