娘ちゃんととある大学の過去問の第一問を一緒に解きました。

 

軽い気持ちで解きました。

 

ノートに写しました。

 

老眼でノートの線と混じって文字が見えなくなりました。

 

カタカナの部分は、定数なのでa,b,cとかα、β、γとかで書いてくれないと訳が解らなくなりました。

 

お姉ちゃんは、『解法思い出した!!!』とサクサクと解き始めました。出がけだったのに。サクサク。

 

それに焦ってしまいました。いくら頑張っても目は見えるようになりません。

 

時間がかかる事に余計に焦りました。この時点で、『解法は定型な場合にのみ有効。この問題がそれに合致するかどうか不明だから、素直にゴリゴリ解いて係数比較の一次連立方程式にしたほうが・・・・』という推測がありました。

 

で、結果、サクサク解いて、『いってきま~っす♪』でした。

 

子どもみたいに涙目になって、観念してお姉ちゃんのノートを見ました。

 

そりゃそうだ。。。ある不定文字(XもしくはY)に着目して降べきの順にならべて、附随する項を着目した係数としてまとめて、二回たすき掛けしてみたら簡単。。。。

 

そうなんです、これが思いつかなかった。。。アホ過ぎます。何が数学科や!何が圏論や!何が群論や!何がルベーグ積分や!!!何がNP不完全定理や!!!

 

本気で泣き叫びました。情けなくて。アホ過ぎて。

 

息子はその様子が『狂ってる』と言いました。そうかもしれません。でもそれでええです。

 

小学校の算数が出来なくて、誰がホンマに京大行って頑張った、って信じてくれはる???

 

『30年以上も前やろ?因数分解相当やりこんだの。しゃあないやん。』という息子。

 

いや、30年であろうが、1年であろうが、一題目のそんな簡単な解法だったなんて・・・それに気付かなかったなんて・・・

 

そうそう、あれです、あれ。『To be, to be, ten made to be』が本気で解らない人です。

 

いつまでもローマ字で読むトリックだと気付かず、種を明かされても解せず、『英語の授業で何故今それをぶっこむ???』という事がひたすら疑問で、『なんでいまそんな事するん?真剣に英語習得したいのに、なんでそれするん???』なだけで頭が?????で、苦笑いして出題した人や、『えー、こんなんも解らへんの???』って言う人に、人生心底傷ついた人です。出来ないレッテル貼られた。。。

 

そもそも数学を始めたのは、小学校のトラウマになった事件から。

 

小学校から帰宅してランドセルもおろしていない私に、母はある計算式を出題しました。

 

今回の因数分解のように順に丁寧にコツコツ解き始めました。それでも複数桁の四則演算が混じっていたので大変だ~、って思って解き始めました。

 

すぐに母は、『アカン!!!この子アホや!!!ホンマにアホや!!!もうええわ。』と、即座に取りあげました。合理的に結合法則を使って、解かなかったからです。そう、365×256+635×256のような問題を頭から順に解いたんです。帰宅して靴脱いでただいま~、って言った時に。

 

産まれてから今まで、そうしてこれからいくら頑張っても、『もうええわ。アホやって解ったから。』と言われたのです。

 

その事件以来、勉強が嫌いというか怖くなりました。きっと何をしても途中で取り上げられるくらい能力が無いのだ、と。

 

なのに高校受験は進学校に定められ、大学も有名校に進学しなさい、という指示がありました。有名な高額な塾ではなく、なんだかそこらへんの寺子屋の補習塾に行かせて、です。

 

そこの先生は東京大学に落ちて東京医科歯科大になって、家族に肩身の狭い思いをして、途中で中退してしまって、家族から理解されずに私塾を立ちあげた若い先生でした。理科系だったので、数学と英語と理科がぐんぐん伸びました。その時に、面白い覚え方や、語呂合わせや、論理的な解法を習うと、それが身について成績がいつしか学年で一ケタになりました。三か月ぐらいで実現しました。

 

それで有名進学の高校に入学して、母は安堵しました。自身が高校でさえ進学校に行けなかったので、入学しただけで安堵したのです。競争はそれからだったのに。

 

今でもあの小学校5年生のあの日の結合法則に気付かなかったシーンは忘れません。驚いたその瞬間から白黒で脳には記憶されています。

 

たかが因数分解、されど因数分解。

 

大学院でマスター(修士課程)の子(後輩)に、『ねえねえ○○君、君は学部から京大だから、こんなもん簡単に理解できるんやろ?おばちゃんに解り易いように教えてくれへん???』って言った時、その子が憤慨して、

 

『僕が人生で一番頭が良かったのは入学試験の当日です!!!18歳がピークでしたわ!!1』って言い返しました。

 

なるほどな、って思いました。小さい頃から京大に入学することを目標に生きて来たそれまでの人生、入学試験の日にピークに持って行く設計と準備をしてきたよな、って。そりゃそうだ、って。『ホンマやな・・・ごめんな・・・私、他の大学から来たコンプレックスとかあるねん。そんなん持たんでええ、って、下から上がってきた子には気付かない感性があるから研究に繋がるんやから気にせんでええ、って、先生(教授)はいわはるけど、でも事あるごとに京大、京大、って、旧制三高、っていわはるやん・・・先生、なんやかんやいうて、純粋に京大出身である事を誇りに思ってはるし、事実皆さん相当頭がいいやん?私人生でこんなに頭がいい人初めてみたし、そんな頭がいい人だらけの中で、もうこれまでと同じ人生とは思えんもん・・・ホンマに私が、こんな出来そこないが、いてええんやろか、って。そりゃ頑張ってるで?死に物狂いで頑張ってる。でも超えられへん才能っていうか、持っているもの、ってあるように思えてしゃあないねん、君ら見てたら・・・』って。

 

精神的ストレスや、出来はするけど学問や、そこで競争になることが本当に嫌いなお姉ちゃん、おそらく『あんな高い学費であんな人間にしかならんのやったらいかへん!』っていう。

 

でも、私は、トラウマというか、コンプレックスと言うか、払拭したくて、そうしてそれで子ども達を喰わせられる人間になりたくて邁進した。

 

でも、自分が、ホントはとんでもなく不器用で、頭が悪くて、人より努力して、人より時間かけて、人よりうんと真面目に取り組まないと平均にすら届かないのも知ってしまっている。

 

だから、人が止めるくらいに、没入する。こんな自分が嫌だからだ。『アホなんや、もうええわ。』な自分がそうする事で別の自分になれると信じてた。

 

でも、今日、因数分解解けなかった。基本中の基本の、降順(パソコンの辞書では「こうじゅん」で打たないと変換してくれない・・・正式には「こうべきのじゅん」なのに・・・でない・・・単なる「こうじゅん」と「こうべきのじゅん」では世界観が全く違ってしまう・・・)に並べて、という上に書いた解法で解くから、あんなに簡単な出題形式なのに・・・。

 

『そんな求めている学校ちゃうやろ? いちいち落ち込むな!!!』

 

『でも世間の人は、私の学歴、嘘やって思う。』

 

『あのなあ・・・』

 

『死にたい・・・アホな自分は嫌や・・・あのままのあのときの自分は嫌や・・・』

 

となりました。

 

 

今日のマーラーの練習行けるかな。

 

その前に、眼科かな。

 

傷ついて、努力して、子育てして、くそまじめで、それで人生の時間消費してきた。

 

何も残らないの? 遺せないの?

 

・・・なんだか、とっても、混乱しました・・・

 

 

はい、私は、途中で取り上げられるくらいのどうしようもない、救いようのない、修正しようのない・・・人間なんだと思います。。。

 

 

生きててごめんなさい。。。