
。。。は、お姉ちゃんの弁。
一方息子君は明け方からお腹の調子が悪いです。
大丈夫になった、と思っていた乳製品でお腹通しちゃいました。
そう言えば何年も生クリームの脂肪分もダメで、ケーキ食べてなかったね。。。
その弟の様子を見たお姉ちゃん、
『お誕生日やから、って、”せっかく”とか思わなくていいでぇ~♡』
と、ド緊張の中、お仕事に行きました。
ホッ。。。
安堵と共に疲れと安心が。
そう、”せっかく”って、重圧なんだよね。
んでもって、先に使われると、恩着せがましく感じる。
特に母の口癖は『せっかく人(私)がやっ(たってる=してあげてる)てんのに・・・』でした。
相当昔、父もそうでした。
親族で初めて、という事をしていた二人なので、仕方ないのかもしれませんし、
失敗?(定義されていないから解らないけど)に映るものは直ぐキーキー糾弾されたのか知らないけど、
とにかく、ふたりとも色々背負って、気負って生きていたように思います。
私もそう生きるように潜在的に刷り込まれた部分ってきっとあって、
そうなると、自分のペースがゆったりだと自覚して、
リラックスしてゆったり生きる人の事を、かつては『怠惰』だと思っていました。
でも、違うんですよね。
『今すぐ自分の思った通りに思った事を思った投資で思った成果を持って来てその分私に感謝しなさい』でないと怒られたんですよ。
それ、勝手気まま我儘極まりない、ただの傲慢な人ですよね。。。
その自覚と客観的分析が無かったと思うんですよ。
私はその『生きる姿勢』が嫌で飛びだしました。
昨夜、娘が、同じ状況にある事を察知しました。
何度も何度も悩む。
という事は原因を客観的に分析解明できていなくて、
考える事をフリーズさせてしまったままで、
また同じことをしてしまっている自覚も認知もない。
昨夜の『ちゃんとやってる』という返答でハッキリ解りました。
は~☆
私は、落胆したような、冷静になったような、そのような表情をして、
『”ちゃんと”というような抽象的な曖昧なものではなく、
具体的に何をどう分析して、自分のどんな素養に対して、どんなアプローチが必要だと解明して、
それを認知行動療法として実行しているのか、説明してみせて』
と質問しました。
☆その前に、アプリに埋め込まれている素人が気付かないデータ工学の専門知識を大学院の講義のように暗記しているので説明して、私には娘が一生かかっても敵わない知識が豊富にあるけど、敢えてむき出しにしていないだけなんだ、という事を具体的に解らせました。☆
すると、詰まるんですよね。 そりゃ、そうです。 考える事を本能的に拒否しているんだから。
ちゃんとしているという言葉でスル―していたんだから。自分の人生を。
『それは、成人して、いつか私がいなくとも生きて行くいしづえにならんでしょう??? 私が元気なうちに見て掴まないと、そろそろ私は本当に体力に自信がなくなってきたから知らないよ???』
と。
諭すように言いました。
今朝も、同じようなパニックに陥ったので、もうそういう資質の類に関しては、弟は私と訓練しているから、出来るようになってるよ、という事を見せるために、息子も落ち着いて(元々滅多に慌てる子じゃありません。。。じっと耐え凌ぐ子です。)同席し、
娘の慌てようを私と息子の二人で客観的に分析し、
『なあんだ、それ、情報変わったなら言ってくれないとぉ~♪ 先方がそういう言葉を発したのなら尚の事、気にする必要がなくなったと言えるじゃん! だってさ・・・』って、分析結果を示して、
あははは~☆ ってしたら、冒頭の言葉を弟に言えて、
緊張しながらも、滑稽に、『悩み過ぎて、お熱出たかも~。。。』っていいながら、
おっちょこちょいのまま出て行きました。
『お怪我なく元気に帰ってきたらそれだけでいいんだからね~♪』
と声をかけました。
手前味噌ですが、『お熱出たかも~。。。』って言い回し、可愛くありません???
コケるんですよね。真剣に深刻に聞いていたのにwww
そんなこんなな、ただの7月24日の日曜日です。
やっと、マーラーの交響曲第8の第二章の後半を聴ける時間が持てました~♡