祇園祭後祭・大阪天神祭 | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~


もともとは大阪に長くいたので、この日は天神祭の方が親しかったです。



それでもⅠ度も行った事はありませんww



そう思うと昔から人ゴミが嫌いだったように思います。



うんと昔の子どもの頃、GWとかいう時期に父の実家に帰省する事になりました。



途中、牡丹で有名な天皇皇后両陛下も訪れになられた長谷寺という処を通過する必要がありまして、



時節柄、電車は大混雑しておりました。



私は150センチと少ししかありませんが、180センチ近くある弟がひとりおります。



当時、幼稚園児だった彼は、私よりうんと小さく、小柄な両親の腰よりまだ下の背丈くらいしかなかったように思います。



息苦しかったり事実圧迫されてしまったのでしょう、本当に具合が悪くなって仕方なく臨時停車するその長谷寺の駅で大量の大人と一緒に下車。



弟は本当に戻してしまいました。(お食事中の方ごめんなさい)



私はその様子を見ていて、素直に純粋に、



『なんでこんな苦しい思いをしてまで田舎に帰らなければならないの???』



って思いました。



それまでも私だけで預けられていた事もあるのですが、なぜか一緒に行ったはずの父の姿を思い出せません。



向こうで急病になって田舎の藪医者(失礼!)をたらい回しにされた時も(今思えばストレスから来る今の精神症状)、


結局、半日かけて、当時転勤先だった東京から、大阪経由か名古屋経由でかけつけてもらって。


元気になりますように、という願かけの意味だったようで、おでかけの靴を新しく買ってくれて、母はあのまだ小さかった弟の手を引いて遠路はるばるかけつけて来てくれました。


(何度思い出しても、やっぱり父がいなかった気がする。。。どこいってた?)


19センチ。覚えています。


(今でもあまり大きくなってないな・・・ww)


おそらく人ごみに対する嫌悪感や、『そこまでして行かんとあかんのか!?』という大人都合の嫌悪感は、この時の体験に起因すると思います。




ですので、天神祭も、祗園さんもテレビで報道されるのなら、それでという考えになったように思います。


昨日の後祭の宵山から、ヘリがぶんぶん飛んでます。音に敏感なのでちょっと辛いです。


本日は前(さき)祭と反対回りに御池通りから河原町通りに入り、下って、四条通りを進んで行きます。(方向としては本日のほうが時計回りとなります。)




大昔は本当に京都は災害が多くて厄除けに大きなお祭りが必要だったと思います。


今は文化的に必要なのだと思います。


けれども『それにしてもそこまでせんとアカンか!?』というくらいの大騒ぎは、


同時に何かとあらぶってしまうので、


昨今のテロなどの変な興奮状態がある事実とも相まって、


『ホンマに今でもその規模で、なんならもっと大きな規模になっていって、


煩悩が激しく渦巻いてしまうのに、


目先の経済効果を主にしてしまい、目立って人の言動を興奮させて誘発させて、


あるいは助長してしまうメディアが関西の報道局のあっちもこっちもが、


上空でかえってヘリの事故があったときに、


この狭い京都の中心地でどう対処するのだろう。


二次被害三次被害を考えているのだろうか???』


と、中心地の第三次救急施設の位置と規模と人ごみからの機能を考慮すると、


結局、大騒ぎした後の、ケアする人の側に立ってる行為じゃないな。。。


と、やっぱりあの日を思い出します。。。



事実として、何かあった時に、


弟のケアしているんだかしていないんだか、目の前で狼狽する両親を見ていた私は、


どこか自分だけが蚊帳の外でいつも見ていましたから、


そう思ってしまったのかもしれません。。。



というわけで、ヘリコプターの音の多さと大きさから、


後祭の大きさが推測され、


『ゆかたは着たいけれど。。。緊急の用件で仕方なしでないのだったら、


やっぱり家の掃除とか、勉強とか、内的な事をする事にしよう』


というやっぱりの勤勉さが発動してしまいます。。。