久しぶりに自分の為だけにミスドで夕立雨宿り。
食材を買いに来た帰り。
いつもなら人が怖いし息子が待ってるから急いで脇目もふらず帰るんだけど、
今日は夕方まで本当に起き上がれなくて。メンタルボロボロ。
これまでの認知行動療法では対応出来なくなってきたみたい。
ひとより表層的な変化に弱いので本当に困ってます。
籠もって創作活動や数理をウンウンもがきながら没入する事で自分の精神を保って来ました。
でももっと簡単なところで言うとアラフィフに入った頃から(たぶんこの三年)容姿の劣化や肉体の劣化が激しくて受け入れられないのです。
変な話、最近の学会は旧帝大の学生も昔と違ってイケてて爽やかな学生が増えました。
事実それらの若い子の方が初対面が多い大きな学会では特に人受けがよく、内容に入るまで見にきて下さいます。
関係ないようで関係あるんだな、って、痛感しました。
多才で容姿も良い人たちが求められるんだなあ、って。
つくづく。
悩むというか、数多のマテリアルを小学生の算数概念で例えたら、莫大な数のそれぞれの、最大公約数かもしくは最小公倍数を算出して、今はどちらが適切なのか、あるいは場合によっては何番目の公倍数や公約数がいいのか、スパコンのように瞬時に算出して外界と関わる力が無いと世の中と乖離するか、今の私のように二次疾患のノイローゼになってしまう。
ただ次の一歩を今は導出できないのです。こころが傷つき過ぎてフリーズしています。
残酷だけど時間は進みます。子育て、特にケアが必要な子どものそれは、私個人の時間は皆無です。
そうしてふと鏡に映る自分はくたびれたシミやシワだらけのオバサン。
どれだけ頑張っても素養以上にはならないにしても、そんな人生では無かった人がご自身に投資されてこれた同じアラフィフでは、姿や所有物の対価と時間をかけたものが、こんなにも違うのか、と




書いているうちに食欲が無くなってしまいました。
息子に持って帰ります。
夕立だったしね。
なんだか最近、人生であっという間で、お人好しやギャバオーバーで倒れる以外は依頼されたものが優先だったから、『私は私に何をしてあげて来た、っけ?』が全く思い出せないし思い当たらないのです。
そうこうしているうちに何だか生きる事に酷く疲れて来ました。
焦ります。
命あるうちに、自ら質素ながら生きる力を身に付けてもらいたい。
でも押し付けであっては本人の尊厳無視になってしまうので、気付かなくても、それとなく、いつも、適宜その時必要な要素をチラチラさせる必要があって、
マジ、とうに限界を超えていて、どうにかこうにか今とりあえず命がある、ってな感覚です。
言葉の数だけ概念があるからその言葉が存在していると認知認識しているので、的確に意味を理解していただけるよう、お伝えできるよう、私のブログは今どきに比較すると長いと思います。
でも事実はこれでも削りまくりです。
私ね、幼い頃、左利きだからなのか、直感というか、言葉では表現できない世界に生きていました。
でも親がそれをバカだの頭が悪いだの心配したんですね。
なぜなら不細工で育ちが良くないから。
美人で真理の探求になぞ全く無関心で宝飾品・装飾品に興味がある、典型的に分かりやすい女性なら、経済的に恵まれた相手を選べて将来が経済的に安心。
そういう考えだったと思います。
母は自分が美人だと思っています。だから実家が裕福でなくても年上でも恋愛結婚なら年下の同志社大卒の父をゲットできた。
でも実は父は早くに両親を亡くし姉たちが一生懸命育てた末の弟だった事の可能性は全く考えていませんでした。
ですので自分以外に父の経済が流出するのを自分が納得する条件以外では阻みたかったみたいです。
母に似ず父に似た娘=私、が生まれました。経済のある男性を選ぶ切り札が欠損していると思った母は、私が独りで生きていけるように、一流難関という大学を狙わせようと考えました。
ところが進学高校に行ったにも関わらず、関西の国公立に入れなかった。母の思い通りの結果が出せなかった。
するとそれまで(ずっと公立学校で勉強以外のものには下着さえ買って貰えなかった)にかけたお金が全て水の泡となり、自分か自分の理想以外に父の経済が流れる事を極端に嫌う母は、
『私の人生を返せ』と糾弾しました。
私はこうしてブログを書いてやっと深層(真相)を水量できました。
学用品や塾代にかかった費用が難関国立大学に行けない事で無駄になったんだから、それにかかった費用と協力した時間を返せ、と言ったのでしょう。
気に入らないと暴力をふるう父、別れないでいたのは経済が理由の母。二人とも無理して生きてしんどくてギリギリで、私と弟には本当に世の中の不条理で受けたストレスと、自らの思惑違いを八つ当たりしていました。
だからこそ、私は、私に預けていただいた子ども達を私と同じ目に遭わせたくないのです。
親族にも相談しないのはあの頃の概念価値観のままだからです。