悶々としている問題があります。もともと余り割り切りが上手くありません。
お!こう書きだして、今日の数学者論理回路~夢と妄想の間~第11回もっとバラバラ算http://www.shokabo.co.jp/column-math/column-math0011.htmlの循環小数の面白い切り口の解説を楽しんでいた事が偶然とは思えない!
と勝手に歓んでいます(笑)
簡単なのでぜひ読んでみて下さい。途中の解説からは数学的になりますが、数学者にもいろいろいて、この方は初心者向けに(私もそういう意味ではすっかり忘れているので初心者です!)、
とってもやさしく、とってもていねいに、とってもわかりやすく、小中学生の範囲で数の不思議を紐解いてくださっています。
数学者、とか、思考、とか、回路、とか、一見にして、いやに思ってしまう人は、このようなやさしい親切な数学者や先生に出逢っていないのかもしれませんね。私も数学の先生、ずっと怖かったです。気難しいとはまさにこの事(笑)
でも、専門というか、ムキになっているだけで(苦笑)、興味をもって「初心者向けに教えて下さい♪興味があります♪」と言うと、教えてくれます。
相手も人間なので、(どの程度まで初心者向けにすると解り易いとこの人は思うのかな?)は最初から解る訳ないので、「もっとかみ砕いて下さい」とか「あ、これで解るかも!」と対話すると良いと思います。
そのためには、自らが、おそらく文部科学省が決めた、指導要綱のどの学齢まで記憶にあるのかを実直に自覚して、それを先生にお知らせする準備が必要なんですけれどね。
で、おそらくですが・・・私はあまりかっこつけたって解るひとにはとっくにばれていると常に想っている人なので、気にしない方だと自覚していますが、それでも時によって(ジャンルによって?相手によって?)素直になれない時があるように思います。
もしかすると、常日頃から「カッコ悪い事は出来ない」と思っている人がいるとしたなら(家では息子がそうです)、素直に先駆者に教えを乞えないようです・・・
特に、理科系に対して、予備的に、周りの大人とか不得意だった人から、口コミされていて、思い込んでいるかもしれませんね。やってみたら案外できるかも、なのに、もったいないです。
で、音楽に戻りますと、ラターのレクイエム、私はどうも体調が悪いのか、あるいは、性根が腐っているのか(←こっちだと思います。自分に厳しいんですよね、昔から。)、なんだか主宰がカッコつけているように思える事が準備するうちにだんだん積み重なって、
なんだか「それって東日本大震災の義援コンサートとして本当に必要な事なんだろうか・・・」とまどってきてしまったんですね。
主宰は惑うと、説得をしようとします。でも、そのアプローチがまた私は好きじゃないんです。私はことばや記号でものを考える人なので、音声オンリーだと頭脳が使えないんです。
子ども達には今回色々あって改めて「お母さんは是非とも君達の力になりたい。だからこそ過不足なく単なるデータとして状況を教えて欲しい。そうして、何より”では君達の意にそぐうように(できないものはできないものとして教育するために)考える時間”を与えてくれない事にはお母さんという人間が破たんします。」と伝えました。
これが私のわりと強い特性です。それが保持できないと途端に精度が落ちます。私の場合の発達障害は、こういう事が具体的な付き合い方です。
よく、ものを買わす時や、相手に迎合してもらいたいとき、自分のテリトリーに連れて来て、自分の得意なアプローチで、相手の牙城を崩す事をする手法があります。そうです、私はこれをずっと前から知っているのです。
父が敏腕な営業マンだったし、個人事業主が自分の利益になるためにうまく相手に取り入るためにさして可哀相でも無い事をさぞ可哀相に相手の良心に訴えるワザなんぞ、何人も見て来ました。研究室の運営だって、教授ひとりがトップだから個人事業主なんです。そういう意味ではたかだか研究室のスタッフや学生が50人くらいだと、小さな企業です。知れてます。
悲しいかな、私は、新卒の時に、かなりの大手企業の技術職として入社してしまいました。規約が頑強で、社員を縛るのではなく、ボスが傍若無人にならないようにしている為でもある事を知ってしまっています。法律の成り立ちと同じ考え方なのです。
なので、ある合唱団の主宰の言う事がなんだか主宰が楽しいだけだったり、主宰がかっこつくだけじゃないの?そのために、義援したり、合唱団の今回独断でオケを呼んでしまったための、いつもより莫大にかかる維持費をどうして団員がもたないとイケないのか、
まーったく変なお話だなあ・・・って思うようになったんです。
上に書いた、数学者、とってもある意味専門的な解説です。やさしく語りかけ、図式にして、説明して、ひとりで徒労なさっても、対価を求めたりなさいません。
なんだ?このギャップ・・・って思ってしまったんです。割と数学者というか理学系の人って実験器具が高価なものを必要としないので、工学系の人よりお金がかかりません。学部の学費が医学部薬学部の次に工学部なのは、高価な専門機器のお金のローンを学生がになっているからです。(特に私学はね。)
変だなあ・・・数学は基本、紙と鉛筆で出来ます。歌も、楽譜と自分の身体でできます。音感がなければピアノでできます。音感があればアカペラで美しいコーラスができます。
震災孤児さんへの義援を募るためのコンサートを質素にしないで、説得力ないと思うんですけど・・・私のきのせい????
道楽でボランティアなさるんですか??? う~ん・・・私とはかなり方向性が違う気がします。
別にいいんですけど、かけすぎなような気がします。
自分が立ちあげて、自分が勧誘して、自分が、自分が。で、結局、不得意な事を勉強する訳でもなく、無償で私に仕事をさせる。いいですよ?別に私にとっては大したことじゃないですからね。でも、私が大したことじゃなくすまで、なにも努力しなかったり、時間も経費も使わなかったと想っているのだとしたら、怒ります!!
他の団員にもなんだか雑用を押し付けるんですよね。で、ええとこどり、というか、マエストロをして(子どもの頃から指揮者になるのが夢だった)とかワケノワカランことを、今回のチャリティコンサートにかこつけて、なじみになった教会で、指揮するんですよ。
私ね、なぜ、器楽じゃなくて、声楽にしたか、は、上に書いた理由です。震災支援に、もしかしたら、音楽が活きるかもしれない。でも、器材もっていくのに、いろいろかかるでしょう?からだひとつで、なにかできないのか!?って考えた時に「この声だ!!!この身体だ!!!」って気付いたんですよ。
ホールでコンサートをするのに、演奏者に機会を与えるために、聴衆に楽しんでいただくために、WIN-WINの関係性でオケを入れるなら合点がいきます。
でも、震災支援のコンサートでしょう?????
京都シティフィル合唱団が、ハーモニーフォージャパンで歌った時、東北の人たちをお迎えして歌って頂くのに器楽を用意しましたけれど、それ以外の京都に在籍する合唱団はほぼほぼすべてアカペラでしたよ???
なんだかね・・・おっかしいな~・・・ってカンジ。
★マタイ受難曲の訳詞も読んだけど・・・なぜ歌いたいと思う人が多いのかが訳詞的には解りませんでした。えげつない歌詞やね、これ・・・意味に入り込み過ぎると悩んでしまうわ・・・声楽的にまなぶ、という重心を忘れないでおかないと、危ないね。★
・・・というわけで、パニックというか、混乱していたのは、また、本当にまた(私の場合、という意味で、また、なのですが)『関わった相手が論理の破たんをきたしているから、まともに聞いて考えたこっちがオカシクなってしまった』でした。。。
は~。。。やってもた~。。。相手が大人だったり、特に社会的に肩書があったり、年長者であると、私は話をよく聞きます。。。。で、まさか偉そうにくっちゃべるから、論理が破綻しているなんて思わないでしょう????
「あー、私がまだまだ解ってないから、混乱しちゃうんだ・・・もっともっと掘り下げて考えないと整理できないなー・・・私ってよっぽどアホだし、時間がかかるんやなー・・・生きていて情けないなー・・・・」って思う癖もあります。
相手が大人だったり、特に社会的に肩書があったり、年長者であっても、主治医が仰った「いくら頑張ってもまともにお相手できないな~、と思われたら、関わり方を変えられて本当にいいんですよ。御自分を護っていいんですよ。」に従います。
命大事ですから。まだ子ども達を人間として育てている最中ですから。こんな変な社会の中で。
ほんま、こっちが病気にされてしまう・・・パーソナルスペースしっかりとろう・・・くわばらくわばら・・・
(心底のアホきらいやわ~・・・・自分がちょっと賢いとか出来るとか匠かもしれない、ってホントに想っている人いるんやね・・・・無知の知、とか、知らんのちゃうか????)
すいません、また吐露してしまいました。それくらいエライ目に遭っていたという事です。
もっと正直にいいますと、吾子でも頭やセンサーを使って生きていない、という事が激しく露呈された時は、「蒸発したろかな・・・君らのアホな責任、もうそこそこ大人になってるのに、言うこともきかんと失敗したからって、尻拭いいつまでさせんのんな!!!」って思う事が多いです。
それで離婚しましたから。すいません・・・幼稚な人や依存する人や甘える人、開拓しない人、私ダメなんです・・・・
書いちゃった☆ テヘペロ(←キモイ・・・笑)