今日の合唱団は、あの派生合唱団で、となりから、つい、なんだけど思うけど、
『だから、三度下や、って、言うてるやろ!!!』と突っ込んでくれた人がいるので、
めっちゃ緊張しているんだと思います。
言い訳じゃなくて、本当に、私、発達障害みたいで、内容じゃなくて、それを表現する抑揚や選別された語彙や表情が衝撃的だと、怖がって心が萎縮してなかなかそのショックが癒えなくて、復活にとっても時間がかかっちゃうみたいなんです。。。
それで娘ちゃんは結局仕事先に戻れなくなりました。
何があっても、何がなんでも、それを跳ね返せないとダメ!・・・みたいに言われても、資質なので、それを出来るだけ緩和する訓練もしていますが、それを通り越して、いきなり(突発的に)衝撃波が至近距離からバーン!!!って来ると、そりゃダメージ大きいですよ。
それが娘の場合、上司だったり、私の場合先輩だったりすると、受け側は赤子状態なんだからハラスメントになるのに、上司や先輩の八つ当たりの鉾先になっている自覚と修正訓練が上司や先輩の方に無い。。。悪循環。。。
障害であることをカミングアウトしている、ということは、ハッキリした傾向があって、それに留意してください、とお願いするためであって、『だから虐めてください』と言ってるわけではないのです。
「そんな事解ってる!!!」と口で仰る前に、改善されてください。余裕が無いのならそう仰って下さい。先輩だから上司だからと、完全人間なんていないんだから、別段それを言われたからって失望もなにもしません。
てなわけで、合唱団ともなると、他にもリーダがいますし、練習場所はある程度広いし、心理的距離に相当する物理的距離が取れるので、座る位置も変えられますから。(本番もオーダ配慮をしてもらうし。後で傍に寄られたら逃げるしかないですけど^^;)
てなわけで先日は隣でそう叫ばれたんですね~・・・瞬く間に声が出なくなりました。心因性だとハッキリしています(苦笑)
私が声楽(合唱)を選んだのには、こういうことを客観的に推し量れる意図も含んでいました。声は心因性で出なくなる(失語症など)ので、
声が出せる=心的ストレスの耐性が出来る
という私にとって好ましい循環が運動神経回路のように出来てくれないかな~、って(今時は高校の保健体育でこういう事を履修するんですよ♪)願って。
別の見ず知らずの合唱団に噂を気にせず自分で飛びこむのは『この目』で見たいし体験したいからです。
ある人にとって適応しなくても、私にとってはそうではないので。至極当たり前の理解です。数学でいうところの自明です(笑)
娘や息子はまだ子育てや介護をしていないので、相手に合わす体験(訓練・学習とも呼びます。学術分野によって同じ事象でも呼び方が違います。←これ統率(統一)したほうが誤解がなくて良い、と思う時があると思うんだけど・・・)
の時間的経験が蓄積されていないので対応しきれないと思うのですが、私はそろそろ(もう充分?^^;)時間をかけて来たといっても良いとおぼしき実年齢と自負がありますので、
それでリトライ!!!って感じなんです。
それで声が出せたら、声を出せる工夫ができたら、自分で自分の生き方を見つけた!という意味でも相当個人的には嬉しい事で、
おそらく古典的な心理学においては自己実現のランクに相当するのだと思います。
それでも私のような機能障害な人間はこの整理された古典的なヒラエルキー(ネイティブ的にはハイアラーキーなんだけど^^;・・・あとカオスも本当はケオスだよね・・・^^;)に相当していなくて(つまりはそのままの適応が不可)、
そこにその人その人のカスタマイズが必要なんだと私は強く感じています。人間個人個人が違うんだから当たり前といっちゃあ、当たり前に帰着しますよね♪
てなわけで、さっきは自分を鼓舞するために、ブログアップしましたが、実時間では今からなので、今度こそ、ドキドキですが、まあ行けただけ相当私の特性にしては頑張っている、という事を、
発達障害に理解のある方は解って下さると思います♪
では、いってきます。
もしよかったら、元気玉ください☆