服も思い切って大量リサイクル、


そして、何より、


学術書を手離しました。



手離したのは教育学と情報科学。

学説の最新が早くに入れ替わる類のもの。




そういう意味では古典型は直近の時間に左右されないので、


昔からある数学、例えばルベーグ積分の書物や、情報科学でも科学史のようなものは根幹部分として残しました。



学術書は高価なので処分はもったいないような気もしましたが、


私は表層的なモノはやはり底にたどり着くのが速いので保持する意味が無く感じました。



楽譜は置いていますよ。


でも電子オルガンの楽譜はそのうち処分すると思います。



こちらもクラシックの楽譜の方が楽典に忠実だから私には読みやすいから。



にゃんこ耳さんがコメントなさった事も合点が行く部分は多いです。



日本古来のヨナヌキ(Ⅳ度とⅦ度を抜く音階)は、言わば不協和音のルートですからね。

にゃんこ耳さん、生意気なコメントを返してしまいました、ごめんなさい。



生きるため、子ども達を夜面倒みる人がいなかったので、お昼を中心とした仕事で単価が高くなるものは無いか、と思案した結果、大学の教員はどうだろうか、という私なりの回答にたどり着きました。



子どもがいなくとも、今は高学歴化して、狭き門になっている事を知らずに行っちゃったんですよね。



加えて、学生指導は延々と昼間だけど、徹夜組学生のケアや、学会出張の引率、所属学会の雑用、大学教員としての雑用など、


とてもじゃないですが、お昼に終わったら時限で終了!!って訳にもいかず、


特に京大は放置すればするほどガンガン学問を追求してしまう学生ばかりですから、


奈良女子大の時に観察した女性の教員のライフスタイルは通用しなかった、というか、あまりに異質でした…



だから気づいたら心身が壊れていて気づいたら博士号が獲れなくて、気づいたら研究職に就けなかった、という感じです。


その関連書籍を棄てるのには相当の人生をかけた夢が訳の分からないままに潰えたに対する認識とと容認と覚悟と線引きが必要でした。


余りにも余りにも凄い能力が集約された場所でした。


赤子の手を捻るように簡単に潰されました。




人生の殆ど傾倒していた事と、一線を画す儀式のようなものでした。



やっと出た勇気です。博士論文を纏める作業にはいたらなかったけれど、直前まで行けていただけにこの小さな勇気が湧くのに相当な複雑さと対峙する必要がありましたハートブレイク



けれど、どこかで、手離すという勇気に、覚悟に、気づいてしまいました。



大好きで思い残しのあるそれらだけに、この気づきは酷でした。



多少スッキリしているのかもしれませんが、
今はそれより『抜け殻』です…



ハートブレイクハートブレイクハートブレイク