娘とのデートは明日に持ち越しにしました。デートっていっても大した用事じゃないけど一緒に出掛ける事が希有になってきたので(笑)
二人とも気圧に体調が激しく起因しているので、本当に困ります。まるでワンコちゃんみたいです(笑)ま~ちゃんといっしょにぐでぐでです(笑)
飲料がなかったので(水道管からの水道水は直接飲みたくない!この家古いから水道管も古いだろうし。)近所のスーパーでお買い物。
すると、昨日留守中に来たという娘の小学校の時の同級生の御母さんと遭遇。
『なにか御用事でしたか?』と質問すると、選挙の話だった・・・(`(エ)´)ノ_彡
もともとその子、5人きょうだいで、しかも一番歳が下で、御両親ともに40歳を過ぎてからの御子さん。
別にそれはいいんだけど、過保護の過保護で、その子の希望を親がかりで(特にお母さん)が叶えるという育て方。
娘と仲良くしたくても、性格的や思考で本当に大変なお譲さんなので、どんどん友達が離れていったようだし、お母さんのそのスタンスも御母さん同士、どうも難しいと思われたのか、距離を置かれたというか、
何より、中学高校大学・・と進学するにつれ、付き合う人達が変化しても仕方ない部分だと思うんだけど、いつまでも執拗にひっついてくる。
で、また昨日突然お越しになって、何かと思ったら、候補者を応援してほしい、という話。
はあああああ??????
って思いました。
私は、投票するのに、立候補の趣旨や政策を熟読してからしか判断しません。
時々立派な事を書いている人がいますが、それは中央の受け売りで、自分の言葉でない人も散見されます。
それをも踏まえて、中央の刺客なのか、中央が認めてくれたから公認なのか、も含めて、とにかく様子をうんと知的な角度から、熟読します。
で、『応援に値する』と判断したら、私は私の意志をもってその人に投票します。
そうして当たり前ですが、誰に投票したかなぞ、口外しません。
それは私がかなり独立心が高いからだと思います。
振り返ると集団イジメに遭う事が多く、大学でもそうでした。家の事があったり、アルバイトをしないと通えなかったので、それで時々授業にでれませんでした。
するとグループのリーダのような女子が、私に対する批判を言っていたようなんです。それぞれが妹に該当する子ばかりだったので、ウンザリでした。
で、定期試験前に、当たり前にノートなんぞ貸してくれません。でもイケメンや附属が一緒だった子や、実家がお金持ちの子には、私以上にどれだけ授業をさぼっていても、ノートを、『○○くん、使って♡ はい♡』ってしていました。
大学生になってもこれかよ~、って思ったので、私はノートを借りようとは思いませんでした。試験範囲は発表されるので自学することで点を取って行きました。確かに「優」は授業での先生の傾向が書籍だけからは読みとれなかったので取れませんでしたが、単位は取れました。他にもこれは教科書を読んでもわからないな、って時は、他の時間を調整して授業にでました。そうして私は限りなく自力だけで単位をとって行きました。
それがイジメに屈しない生き方でもありました。弱みをなくしたら、それをつつかれる心配もありません。
で、話をもどしますと、そのお母さん、私が大学院に行っていたの知ってるんです。何を専攻しているかもお話していました。京大病院でも医師と対等に話できるのは、別段特別な大学では無く母校だし、学部くらいなら別段医師の言葉に難儀する事はないからです。
それを、『お医者さんをされていたんです』ときた。「はあ・・・別に珍しい話でも何でも・・・知り合いの医者もいますし。後輩がそうだったりしますし。」って返した。
『御苦労なさってなられて』とまたきた。「え?家が苦労していないとでも?」と返した。
そうしていつまでもつきまとってウザがられている事にいつまでも気付かないから「私が誰に投票するかは、ちゃんと政策を熟読や熟考して決めます。」と言いました。
『あ、でも、今日こうしてお話しただけじゃ解らないと思うから、今度お逢いになって・・・』とまだしつこい。
だからそうやって勧誘する事がキライヤネン!!!(`(エ)´)ノ_彡宗教かって何を信仰しようがその人の自由や!いちいち勧誘するな!!!うっさい!!!人集めをするんじゃなくて、人が集まって来るような政策を一生懸命考えてたらエエネン!!!
『では、また・・・あの・・・』というので、「または金輪際ありません!!!」とあまりの価値観の違いに憤慨してしまったのでした。
人の選挙権を強引に欲しがる、人のこころや気持ちや思考が読めない・・・後援会員として以前に、お母さんとして、人間として、ちょっと余りに学習してこなかったり(狭義の勉強の意味じゃないよ)してやいませんか!?
娘は「なんで、嫌がっている顔が出ていると思うのに、きづかへんの?」とお腹が痛くなった様子。
「それに敏感な人やったら、ああはなっていないんちゃう???」と抱えて帰りました。
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これは修士の時代に、国際会議のホストをした際、教授に指導された事実ですが、
『研究内容に関して議論するために参加しているのであって、どれだけフランクであっても、個人的な事に介入し過ぎないようにしてください。特に宗教と政治の事に関しては話をしてはいけません。』という配慮を学生に求められました。
『配慮』というものは、どれだけしてもし足りないのではなく、余計な事をしない事や、時と場合を考えるとか、相手の背景を考えるとか、という側面を網羅的に平和的な均衡を保つ事をも指すと思います。
潜在するヒエラルキーも私は敏感に察知してしまうので、本当に独立心というか独立(自由)という真の概念を普段から追及して自問している以外は、それが激しく乖離していると、それこそ人生の時間の無駄遣いだと、広義の他力本願で従属的だと、
同じ女性として悲しすぎる過去を引きずり過ぎて、それに対して寸分の疑問も持って居ない思考が怖くて仕方ないのです。