
人生初のオバサン生態に自らビビっています



さっき、携帯を携帯しない息子にお留守番してもらっていたので、固定回線に連絡。
すると、
『お掛けになった電話番号は現在使われておりません』
え



家が無い

もう一度発信履歴から電話。
やっぱり家が消えた



先月、携帯会社の光回線に統合したので、何か解るかもしれない…
と調べて貰ったら、
『切り替え事故はありませんし、失礼かとは思いましたがご自宅にお電話させていただきましたら繋がりました…』
との事。
まさかの、自宅電話番号の押し間違い



う、うそやん……
最近こういうの、酷い(T^T)
携帯会社の係のお姉さんに『私、人生でオバサンになったの初めてなんですが…ショックです…

慰めてくれはりました。
それも尚悲しい


てなわけで、息子が欲しがった赤本をゲットして自分を落ち着かせました。
数学ⅠA+ⅡBと分厚っついのに、お安い

解説は半分に至らなくてなんだったらショックで解説内容をいつもよりは吟味できてないけど、
でもちょっと深層で安堵しています。
どんくさいのは今に始まった事じゃなくて、おそらく小さい時からそう。
幼稚園にもなじめなかったし、小学校にもなじめなかった。
早行きというのもあるかもしれないけれど、それよりは自閉的な要素の方が勝っていたと思います。
それでもめっちゃ本当に死に物狂いで頑張ったのが勉強。
ホントなら、精神疾患を発症していようと、学位(課程博士号)獲りたかったよ。
あと1カ月とかそこらだったんだ…
でもドクターストップ。指導教官の鶴の一声ストップ。
絶対だからね。
でも、今思うよ、今年課程で博士獲れなかった社会人の人が10年振りにリベンジで、論文博士を獲られます。公聴会の練習があるようです。(とんでもないDefenceExaminationだからね)
で、私は男性がそれほどまでに欲しがる学位を求めるには甘かったのだ、と。
きっと演歌じゃないけど、奥さんや子どもを泣かせても獲りに行くんだと思う。
私はそういう意味では遂には子ども達に鬼にはなれなかった。
なれなかったです。。。
だからじゃないけど、せめて大学受験をしてみたい、というフォローは、予備校に行かなくても教えられるので、出来る範囲でしたいな、と。そうすれば無料だしね。
ま~ちゃんもそろそろおじいちゃんになってきて、寝る事が多くなって来ました。

こうやってお姉ちゃんが衣替えをしている時に衣装ケースの引き出し跡に入りこむのも、
ジャンプできるのも今のうちかなあ・・・
指導教官の上の娘さんも、保健関係に進学されたらしいです。下のお嬢さんは赤門に進学されたみたいですが。
指導教官もきょうだいの上でいらして、御実家の事や奥様の御実家の事、支援してこられてきました、それで育児も、教授も研究者もされてきました。
足許にも及ばないのは解っていても、足許くらいは拝見出来るところまで行きたかった。
今生の思い残し。
だから合唱も初見だろうがなんだろうが、やり遂げたいし、背景理解や技術理解や実現は、あの厳しい日々を思うと、音楽界のプロの方には失礼ですが、パトロンがついた時点で誰よりも恵まれていると言う事を解って欲しいです。
だから私は素人でやるのだ、と。だから意義があるのだ、と。
そう思ったりしています。。。。
私は。。。京都大学や知の集合体に護って欲しかったのだと思います。。。
そこで子ども達を育てたかったのだと思います。
そういう意味では不登校でよかったと思います。
社会的一般的には進学校じゃないけど、家で学校の課程修了するまで勉学教えたんだし、
そうやって子ども達は私とコミュニケーションを取りたかったのだと思います。
博士課程の時は、時間が無かったし、何より厳しい世界だったから(真に世界の知とある意味闘ってた)、容赦なしで教えたから、「これでも解らんのか!」「じゃ、これでどうだ!?」と指導方法をいっぱい模索したけど、
学校はあるひとつの指導方法しかその先生はしなくて、それなのに「点数取れ」っていうんだから、
本当に不親切だよね。
ホント、不親切。
昔はどうして先生が尊敬されたかというと、優しかったし誰より努力しても誇示しなかったし引き出しが多かったからだよ。
そう思う。
へんなまとめ。。。
勉学は抜けがらなんだけどね。そうして最高峰の夢破れた人、裏でいっぱいいるんだよ。
だから表の人はどれだけ厳しくてもその人の分まで学や知を身につけて欲しいし、人として成長して欲しいんだよ。
それが出来ないなら、おねがいだから、命かけるから、代わって欲しい。
今がどれだけ恵まれた環境であるかを、どうぞ認識してほしい。
自分の意とそぐわない小さな意見でも、一理あるかも、と、可能性を否定せずに、耳くらい貸してほしい。
なんのためのコミュニケーションを最重要とする「先生」なんだよ・・・
・・・ね。
そういう意味では、私は余裕がないから、余力がないから、
子ども達で精一杯だし、
自分の事までも手が回らないから、
人さまの御子さんを自分の子ども以上にお世話できないし、
自分の命はどうでもいいというか無関心な人なので、
それで命の事、教えられるのか、甚だ不安・・・
もしかしたら、神様は、だから、私を大学教員にはしなかったんだと思う。
なんなら教員にはしなかったのだと思う。
解法を押し付けるだけの教員(先生)なんて、どうなのかね?って心底思うから。
私は親でありたいけど先生ではありたくないのだと思う。
それをくみ取って下さっての事かな、って思うよ。
それを思うと、大学教員か研究者か塾の講師か・・・くらいしか進路が無い博士課程には進学してよかったのかな・・・って。
ただ、その業界の、言葉どおり「世界」を見れたということは、「最高峰」をみれた、ということは、誰しもに与えられない機会だったと思うから、有難かった。本当に有難かった。
そういう意味での御礼は教授には、毎度毎度、先生がうんざりするかもしれないほど申し上げている。
でも、本当に、そう思う。
女性でありながら、お母さんでありながら、オバサンでありながら、理科系の最高峰を見るというのは、まあ与えられる機会じゃないから。
凄い経験したんだと吾ながら思う。。。激しく鬱病になるだけの対価はあったと思う