ベートーヴェン《運命》 カラヤン / ベルリン・フィル 1962 | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~



朝からこの曲の話、偶然なりまして。

そう言えば、第一楽章の頭しか知らない事に気付きまして、

検索してみて、やっぱり『聴くならカラヤンとベルリンオケでしょう♡』と思いまして、

高性能ヘッドフォンで聴いております。

やっぱり第二楽章から、のなんと美しい展開。

どうして今まで聴いてこなかったんでしょう♡

そもそも音に敏感な耳をしていまして、粗雑な昨今の生活音や、近所の怪獣のガキ子どもちゃんたちや、オッサン・オバハン紳士淑女のみなさまの声が辛くてしんどくて。

若い頃は家にポールモーリアやリチャードクレイダーマンくらいしかなくて。

それでもやっぱり鍵盤演奏作曲家の音に触れていた気がします。

小学校の音楽室の仰々しい、子どもからすると怖い肖像画くらいしかなくて、

そんな肖像画とかショッキングな主旋律と対比するくらいの、第二楽章以降のエッセンスでも教えて下さっていたら、

こんな事なんて無かったのに・・・とか思ったりしました。

それでも親にとっては、初めての子育てで、結婚までは高度経済成長期だったようで、

その勢いをつけるためにも、なんだか第一楽章などの激しい曲をスポンサーが求めたようにも思います。

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時代は変わりました。生き方も変わりました。

今だからこそ、あの時の、まるで普遍的な哲学とされたんものを、

聴く耳が、こころがあるように思います。

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年齢がいかないと解らない事、辛い経験をしないと解らない事、

健常で生きて来ても、残りの人生のカウントダウンを意識する歳にならないと解らない事、

あるのだと思いました。

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今日は、7月31日に行われる、震災復興支援のチャリティー合唱団の練習です。

ぼちぼち声が出せるようになってきて、どこかしら、初心者のこころはあるけれど技能がついていかない状態を忘れつつあります。

個人的特性からすると、あまり横断的に複数の事をする器がなくて、心身ともにしんどいんですが(昨日のドイツ語と受難曲の難しさを目の当たりにしたのと、家事育児の両立?三つ巴?なんだろ・・・)、

体調が許すなら向かおうと思います。

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けれどやっぱり素の私は、源流を探すというか、向上心が高いというか、

より専門性を求めますし、人間性においても誇示することなく、

相談相手の状況において、自分の主張よりも、その人がこころ健やかに生きられる方向性をお応えできる人でありたいので、

チャリティーの方は、趣旨には賛同しますが、合唱団の在り方に???と思い出したので、

金銭的に支援することはあっても、もしかしらた壇上に登らないかもしれません。

まだ主宰には申し出ていませんが。

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複数居場所が出来ると「我」がでるというか、見極めというか、自分に合っているかいないか、

などの「機能」に目がいくので、「とにかく居場所」という時期ではないのだと、

実は私はそれも踏まえてずっと探していたので、自分が飛びこむ場合はOKなのですが、

受け容れが超下手なのだと思います。

激しくついて来れない人、努力が無い人、とは、御縁がなくなります。

ごめんなさい。