困ったなあ。。。ホント、困った。。。そうしてまた自責の念。
どうしてこう、私はとっても自分を責めるんだろう。。。
人さまを殺めたとか、という事は当たり前ですが、全くしておりませんで、
で、色んな事をそれでも責めてしまう。。。
で、それらが山積すると、錯乱してしまいます。。。←錯乱、で合ってるよね???(プチパニック?あれ?なんという言葉で書けばいいんだろう・・・はて・・・???)
元の配偶者にねお付き合いを申しこまれた時、かなり強引だったのね。今でいうストーカー気味だったのかなあ。。。
でね、ある時、実家の周りをうろうろするようになったんだ、って。私は長時間勤務の仕事だったので(システムエンジニア)知らなかったんだけど、母がそういった。
気持ち悪くて御隣さんに相談したんだ、って。でも対処法をどうしたらいいかまでの回答は得られなくて、そのまま私に言ったのね。「きもちわるい。。。どうにかして!」って。
それが本人とは確認がとれないし、もう母がパニック起こしているから、話にもならないし。とにかく過干渉というか、自分の思い通りでないと癇癪起こすし、自分の理解が至らないと説明する側の能力が低いからだ、というし。兎に角他力本願というか、自分のおもうようにどうにかして、と言って譲らない。
でね、ここからの私の発想がきっと変だと思うんだけど、「こりゃー、結婚でもして、子どもをひとりふたり産まないと相手は行動が止まないだろうな~」とか思ったのね。
で、相手に迎合することで、私まるごといなくなれば、実家の近くをうろうろする事がなくなるわけだから、って考えた。
それで家を出たんだよ。両親も譲らない。相手も譲らない。板ばさみというか、思い通りにならないと、どちらが緊急性を要する極悪な状態を産みだすか、で判断してた。
もし私が相手を嫌がったとしても、護ってくれる腕がない。スキルが無い。発想がない。行動力がない。口でピーピーいうだけ。父も弟も結局そうだった。
だから結婚するしか無かったと考えた。そうして実家の周りから元配偶者はいなくなった。
で、婚約時期から、私の貯金が消えて行った。いずれ私は妊娠して家にいて働く事が出来ないから、その時は食べさせてもらうんだから、今私が投資しても、おかしな話じゃない、と考えた。
新居も式のお金も車も全部負担した。婚約指輪はなんと私がローンを組んで私に返還するという変な形式だった。
一回目からそれは滞った。それでも私は我慢した。離れる方が危なかったから。命が。実家も危なくなる。
DV法が無かった中での苦肉の策だった。
やがて、狂った歯車の差異が大きくなって行った。暴力を振るわれるようになった。プロレス技を息子が乳飲み子立った時に、かけられた。理由は彼の浮気。『お前のせいじゃ』と言った。訳が解らなかった。
その後、息が出来なくなった。意識も遠くなった。どうにか子ども達を保育園に預け、通院したら、頸椎がズレていた。危なかったと思う。私はやっぱり死ぬのだ、とその時思った。
全く自分の命を大切にする感覚が私には無かった。命より名誉や学歴や収入の方が大切な価値観の家に育ったから。親は自分の大変だった事は言うが、子どもが苦しんでいる事には全く耳を貸さないというか、気にも留めなかった。
私はそんな中で育ったので、娘を産んだ時の大手術でICUでどうにか過ごしていた時に、「っこれからは子どもがいるんだから自分を大切にするのよ」という年長看護師さんの言葉を耳元でそうっと聴いても字ずらの理解は出来ても咀嚼が出来ていなかった。
双方の親戚はとりあえず来た。でも姪の状態の理解が出来ず、大きな声で集団心理で低俗な、論理的になんの根拠もない事を継続的にしゃべるので、病院側が怒った。ICUである事を解っているのか、他の患者さんがいることを解っているのか、ましてやここが病院だと解っているのか、と。そうして『面会謝絶』の札をかけてくれた。
その親族と元配偶者の親族は酷似していた。何の因果か、と思った。それでも仕方ないと思っていた。当時は仕方ないとすら解らず、そういうもんだ、そうする事が当たり前だと思っていた。
しかし、息子が一歳と少しになったころ、直接息子が着ていた保育園にいくためのお気に入りのダウンジャケットを元配偶者が癇癪をおこして引っ張りボタンがちぎれてしまった。
息子は驚いたであろうし、お気に入りの服が壊れて、悲しかったんだと思う。
それに私は「こういう時こそ命をかけるべきだ!」と目覚めた。
子ども達が大切にしていた金魚のちいさな金魚蜂を倒して落として金魚が死んでもなんとも思わない。そのまま外に出てしまい、子ども達が起きるまえに手を切りながらガラスの破片を集めながら、「人が大切にしているもの、という理解が無い人なんだ」と思ったら、もう覚悟は決まっていた。
こうして私の命をかけた実家から彼を引き離す行為は終わりを迎えた。
別居し、家庭裁判所で調停をしながら、仕事をしていた。「おちつくまで家にいなさい。あるいはかくまって貰えるところが見つかるまで家から出るな。」などという理解は実家は到底無かった。
相手の素行が悪いと「どうしてあんなもんと関わったんや!」くらいしかなかった。私も関わられた側なのに。
それでも子ども達には全く罪は無いので、「実家の理解や支援がなくても、必ずや育ててみせる!!!」という想いが煮えたぎっていた。なんなら私は命をかけて実家からストーカーを引き離したのに、それに対する理解はなく、表面的に「あんな変なヤツの事好きになって感情的に家を飛び出して」としか理解していなかった親を、今度は私が命をかけて見限った。
そうしてほどなく家を出た。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
そうして私は根底にどこか人間不信を抱えている。無能は人を間接的に殺してしまうので、謙虚に精進しない、知能が高くなる努力をしない人は嫌悪している。出来れば距離を取りたい。相手に都合のいいことにだけなって、こっちが困っていたら「それは出来ない~♡」と堂々と言うその傲慢さや欲深さが怖いのだ。
だけど、これだけ、人間として浅はかな大人が多い以上、もう精も魂も尽き果てた。慈愛の無い人が多いことにも呆れ果てた。さして困っていないのに言葉巧みに人に寄って行く人間の多さに辟易し果てている。
もう、オカシイとか、狂っているとか、どうとでも言ってくれ。そんな感覚。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
所詮、浮世だ。
子ども達を大切にすることだけに専念する。だからといって他を押しのけると言ってはいない。
この概念同士は同じ次元では無いので二律背反しない。
それも理解出来ない。
どうしてこう、私はとっても自分を責めるんだろう。。。
人さまを殺めたとか、という事は当たり前ですが、全くしておりませんで、
で、色んな事をそれでも責めてしまう。。。
で、それらが山積すると、錯乱してしまいます。。。←錯乱、で合ってるよね???(プチパニック?あれ?なんという言葉で書けばいいんだろう・・・はて・・・???)
元の配偶者にねお付き合いを申しこまれた時、かなり強引だったのね。今でいうストーカー気味だったのかなあ。。。
でね、ある時、実家の周りをうろうろするようになったんだ、って。私は長時間勤務の仕事だったので(システムエンジニア)知らなかったんだけど、母がそういった。
気持ち悪くて御隣さんに相談したんだ、って。でも対処法をどうしたらいいかまでの回答は得られなくて、そのまま私に言ったのね。「きもちわるい。。。どうにかして!」って。
それが本人とは確認がとれないし、もう母がパニック起こしているから、話にもならないし。とにかく過干渉というか、自分の思い通りでないと癇癪起こすし、自分の理解が至らないと説明する側の能力が低いからだ、というし。兎に角他力本願というか、自分のおもうようにどうにかして、と言って譲らない。
でね、ここからの私の発想がきっと変だと思うんだけど、「こりゃー、結婚でもして、子どもをひとりふたり産まないと相手は行動が止まないだろうな~」とか思ったのね。
で、相手に迎合することで、私まるごといなくなれば、実家の近くをうろうろする事がなくなるわけだから、って考えた。
それで家を出たんだよ。両親も譲らない。相手も譲らない。板ばさみというか、思い通りにならないと、どちらが緊急性を要する極悪な状態を産みだすか、で判断してた。
もし私が相手を嫌がったとしても、護ってくれる腕がない。スキルが無い。発想がない。行動力がない。口でピーピーいうだけ。父も弟も結局そうだった。
だから結婚するしか無かったと考えた。そうして実家の周りから元配偶者はいなくなった。
で、婚約時期から、私の貯金が消えて行った。いずれ私は妊娠して家にいて働く事が出来ないから、その時は食べさせてもらうんだから、今私が投資しても、おかしな話じゃない、と考えた。
新居も式のお金も車も全部負担した。婚約指輪はなんと私がローンを組んで私に返還するという変な形式だった。
一回目からそれは滞った。それでも私は我慢した。離れる方が危なかったから。命が。実家も危なくなる。
DV法が無かった中での苦肉の策だった。
やがて、狂った歯車の差異が大きくなって行った。暴力を振るわれるようになった。プロレス技を息子が乳飲み子立った時に、かけられた。理由は彼の浮気。『お前のせいじゃ』と言った。訳が解らなかった。
その後、息が出来なくなった。意識も遠くなった。どうにか子ども達を保育園に預け、通院したら、頸椎がズレていた。危なかったと思う。私はやっぱり死ぬのだ、とその時思った。
全く自分の命を大切にする感覚が私には無かった。命より名誉や学歴や収入の方が大切な価値観の家に育ったから。親は自分の大変だった事は言うが、子どもが苦しんでいる事には全く耳を貸さないというか、気にも留めなかった。
私はそんな中で育ったので、娘を産んだ時の大手術でICUでどうにか過ごしていた時に、「っこれからは子どもがいるんだから自分を大切にするのよ」という年長看護師さんの言葉を耳元でそうっと聴いても字ずらの理解は出来ても咀嚼が出来ていなかった。
双方の親戚はとりあえず来た。でも姪の状態の理解が出来ず、大きな声で集団心理で低俗な、論理的になんの根拠もない事を継続的にしゃべるので、病院側が怒った。ICUである事を解っているのか、他の患者さんがいることを解っているのか、ましてやここが病院だと解っているのか、と。そうして『面会謝絶』の札をかけてくれた。
その親族と元配偶者の親族は酷似していた。何の因果か、と思った。それでも仕方ないと思っていた。当時は仕方ないとすら解らず、そういうもんだ、そうする事が当たり前だと思っていた。
しかし、息子が一歳と少しになったころ、直接息子が着ていた保育園にいくためのお気に入りのダウンジャケットを元配偶者が癇癪をおこして引っ張りボタンがちぎれてしまった。
息子は驚いたであろうし、お気に入りの服が壊れて、悲しかったんだと思う。
それに私は「こういう時こそ命をかけるべきだ!」と目覚めた。
子ども達が大切にしていた金魚のちいさな金魚蜂を倒して落として金魚が死んでもなんとも思わない。そのまま外に出てしまい、子ども達が起きるまえに手を切りながらガラスの破片を集めながら、「人が大切にしているもの、という理解が無い人なんだ」と思ったら、もう覚悟は決まっていた。
こうして私の命をかけた実家から彼を引き離す行為は終わりを迎えた。
別居し、家庭裁判所で調停をしながら、仕事をしていた。「おちつくまで家にいなさい。あるいはかくまって貰えるところが見つかるまで家から出るな。」などという理解は実家は到底無かった。
相手の素行が悪いと「どうしてあんなもんと関わったんや!」くらいしかなかった。私も関わられた側なのに。
それでも子ども達には全く罪は無いので、「実家の理解や支援がなくても、必ずや育ててみせる!!!」という想いが煮えたぎっていた。なんなら私は命をかけて実家からストーカーを引き離したのに、それに対する理解はなく、表面的に「あんな変なヤツの事好きになって感情的に家を飛び出して」としか理解していなかった親を、今度は私が命をかけて見限った。
そうしてほどなく家を出た。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
そうして私は根底にどこか人間不信を抱えている。無能は人を間接的に殺してしまうので、謙虚に精進しない、知能が高くなる努力をしない人は嫌悪している。出来れば距離を取りたい。相手に都合のいいことにだけなって、こっちが困っていたら「それは出来ない~♡」と堂々と言うその傲慢さや欲深さが怖いのだ。
だけど、これだけ、人間として浅はかな大人が多い以上、もう精も魂も尽き果てた。慈愛の無い人が多いことにも呆れ果てた。さして困っていないのに言葉巧みに人に寄って行く人間の多さに辟易し果てている。
もう、オカシイとか、狂っているとか、どうとでも言ってくれ。そんな感覚。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
所詮、浮世だ。
子ども達を大切にすることだけに専念する。だからといって他を押しのけると言ってはいない。
この概念同士は同じ次元では無いので二律背反しない。
それも理解出来ない。