今日の練習は18:00スタートでした。今月から最終的な仕上げとなるので、どの曜日もパート練習では無くいきなり全体練習から入るようになりました。


私もなんだか落ち着かなくなって来ました。今日は金融機関の都合もあり、息子をお留守番させるのに、早めに出ました。


いくらなんでも一時間前についてしまいそうだったので、いつもの通り(?)今日は京都府立医大と附属病院にあるローソンのカフェコーナーに行って時間を潰しました。


はい、病院あるあるです(笑)大学も良く行きます。土曜日だと売店はまだ開いているので。特に病院はお見舞いの人が来るので、土日も中の売店は開いていますから。生協価格とかお財布に優しいし人も優しいですから。


で、10分前について、結構な人がもう揃っていたんですけど、その後が揃わない。150人くらいの合唱団なのに、半分が18:00になっても揃わない。明日ソリストとの合わせなのに。


で、黙って様子を見て居た指揮者の表情が段々変わって来ました。そうしてついに、


『なんでこんなんやねん!本番来週やで?自分らで出来るんやな!!!帰る!!!』と。


∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

若い頃はあったと、伺いましたが、生で初めてみました。ソプラノのある女性が『待って下さい。こんなに真面目に間に合っている人もたくさんいます。それにあの壁掛け時計は少し早いです。ほら、携帯では今まだ17:59です。』と縋りました。


それでも『そんなもん、屁理屈や!!!』と本当にご立腹。ペーペーの私は静観するしかありません。内心(大人げないなあ・・・ついて来れない人知らんやん。当日歌える人が声出せばいいんやから。)と、優等生気質になってしまっていました。


何度もその女性は指揮者に懇願しました。それでも退場してしまわれました。


仕方ないので、バンマスが練習を取り仕切りました。でも、長年指揮者として君臨していた代表とは明らかに方針も違うし、指揮の腕は未熟。ソプラノが気に入らないのか、ここに来て、ぶつ切りのように止める、止める・・・。今は通す事がメインじゃないんですか???とか、やっぱり内心は穏やかではありませんでした。


指揮者を止めてくださった女性は『こんな気持ちじゃ歌えない・・・』と最後尾にいらっしゃいました。私も今日は立って歌い通そうと思って最後尾に既に立っていました。


ダメだしばかりするバンマス。(言われやんでもやってるわい!!!!)と段々腹が立って来て、きっとまともな発声が出来て居なかったと思います。


そこは大人の団なので、今度はマネジャーが出て来ました。ようやく一時間くらいして本来の全体練習の時間になり、皆が揃い始めた頃、指揮者がおもむろに戻って来られました。


マネジャーはある話をされだしました。


おおよそ一年前、私が入る少し前から、御病気になられていたアルトの方が、今回の定期演奏会に向けての楽譜も全部、揃えて居たのに、夢叶わず、火曜日にお亡くなりになったという報せでした。


お通夜とご葬儀の日には、ご家族の方が伺っていた故人の希望で、合唱団の演奏を小さな音で流して下さっていたのだとか。


今、命あることが当たり前で無くなって来たお年頃になっていらした皆様。黙とうをし、それを思い知らされました。


皆さん、家事や介護や御自身の御病気の事や、いろいろあると思うんです。けれど、なぜ宗教曲をおもに歌う民主的な合唱団であるのかの存在意義をいつしか当たり前になって忘れてしまっていたのではないか、と、マネジャーは諭されました。


指揮者が戻って来て、やっぱり歌いやすいんですね。エキストラのはなちゃんも加わって、本当に艶が出てきました。はなちゃんにおんぶにだっこじゃいけないので、今日もお尻に力を入れて、膝もピシッとしめて、音を頭上遥かにとって・・・でもこのような事があったので、力が入ってしまった部分があると思います。


それでも要注意箇所を二度繰り返す事で、修正が出来て来たように思います。


また明日ソリストの皆様と合わせていっぱいダメ出しがあると思います。土曜日にはオケ合わせがあって、これまたいっぱいダメだしがあると思います。


そうしながらも身体を大切にしないとイケない、良く解らないけれどいっぱい神経を遣う事があるけれども、そのような事は、聴衆の皆様を前に当たり前の努力なので、ふんばりきりたいと思います。


何、って悔しいよね。解ってないみたいに思われるの。『コノヤロー!!!歌ってやろうじゃないの!!!』って思いますよね。


でも、一番は、今、命があって、今歌える事の幸せをかみしめていました。


私ね、正直、研究者の修業が解らない人や、母子家庭の辛さや、不登校への偏見や、発達障害のそれらや、本当に憤慨していたの。


例えば高価な御着物着たり、高価な何かを家族に買い与えて貰ったりして(正直旦那の収入で買って貰ったり、親に飼って貰った人に嫉妬してたというか羨ましかったと言うか憤慨してた。そうでな人がいっぱい事にまったく気付いていない人が多かったから。)遊ぶ人、娯楽で趣味を持てる人(食いぶちじゃなくてね)になんだか憤慨してた。


あ、、、実母もそうですけどね。バブルの時に民間にいて、収入が見込める立場に居た人、時代の恩恵に本当に肖れたと思うんですよ。


こっちは、這いずりまくって土舐めて血反吐吐いてるのに、それを見ようともせず、『出来るからいいわよね~』とか、『きっと親御さんにお金出して貰っているんでしょ』とか、無い事無い事いっぱい言われて酷いレッテル貼られて来た。


たまったもんじゃない。アルトの人の事も、人の死を悼むくらい、心に余裕があるんだな、って思う部分もあったりした。男性のマネジャーが女性の命の事を話して涙ぐんで、それで団員が猛省すると言う事にムカついた。あのたったひとりで指揮者に懇願した彼女の勇気の方が、私はうんと崇高だった。


他、誰もしなかったよ??? 体当たりで指揮者に向かって行かなかったよ???かつての暴君の父にむかっていった自分を重ねてしまったのかもしれないけど・・・


でも、でもね、やっぱりそれでも、素直に思う私はまだ心の奥底で生きていたみたい。辛い事がありすぎて結果として騙された事ばかりあったけど、でも、


『お金や時間や努力や手間で命が助かったと思えば安いもんだ』と思える事例ばっかりだったし、こうしてたまたま運がよく生きてる。たまたまだけど、でもやっぱり、そこに奇跡があるのだとしたら、神様の意図があるのだとしたら、


この身体を通して、レクイエムを神様に届けようと思いました。


『神様、この者に安息を』と祷るように歌おうと思いましたし、今この練習の瞬間に出来る事はそれだけだと思いました。


それからは涙は滲みましたが、集中が出来て来て、今、自分の身体のどこが動いていて、それは的確な場所で、適切な状態にあるのか、も、観察している自分がいました。


手前みそですが、歌う箇所の間があいた後の音や、最高音の次の音が皆さん怪しくなるんですけれど、その音程は誰よりバッチリなので、皆さんより自信を持って堂々と歌い始めたら皆さんの音取りになれると思いました。


本当は個人個人が絶対音くらい身につけて欲しいのですが、それは難しい事でもあるということと、歌える人間はもっとソリストのように歌っていいのだと今日解りました。


新人だから、初心者だから、とかじゃなく、命があって、それが読みこめて、実際に短期間で出来るようになったんなら、それは教えて下さって来た皆様のたまものでもあるので、堂々とそれを知らしめればよいのだ、と、


旧来の日本的な価値観とは全く違う(直交する、と表現します、理系の数理をする人は。)発想に至りました。


さて、今日は眠れるか解りませんが、明日に備えて睡眠をとります。


歌には睡眠不足はダメです。高音ばかり歌うと声帯オンリーでは歌っていないとは言ってもやっぱり声帯を使うので伸びてしまってよろしくないんですね。しっかりクールダウンしてあげようと思います。


だから、こうして長文を打っていますが、実際に発話はしていないですよ、家族と(苦笑)


地声で話す時間や回数が多いと声楽によくないので気をつけています。もちろんこのようにあつくても、マスクは必須です。


てなわけで今夜はこのへんで。


(でもまあ、当たり前ですよね、命に真摯でない言動は逆鱗にふれますよね。)


(といいつつも、夜遊びお姉ちゃんのようで、連絡ができません。大阪に行くっていってたけど・・・心労がたえないなあ・・・)