父はすごい営業の人でした。企画の人でもありました。以前書きましたけど、今や普通になっているコスメのビギナーズセットを考案したのは事実として父です。


某、エス○ィー○ーダーという本部におりまして、単品が高価なので、それでは若い層に浸透しないから、将来を見越して、ボーナス前にプチボトルにして最低限揃え、可愛いポーチや、購入特典の傘などを用意したのです。


昭和の終わりの事だったと思います。


当時私は父の命で運転免許を安価で獲得し(大学を通常に行きながらアルバイトしながらだったなあ・・・)いざ、購入となった時に、父が東京に単身赴任で、そこの家賃(代々木八幡の2LDKのマンション)を会社がもつから、大阪に居る時の車の維持費が無くなったんですよ。


そんな事情を知らない車(の構造と音響が)大好きな私は、父の言葉を信じて免許を取って、学校の友達との関係も疎遠になって頑張ったのに、事情を説明する事無く(何で言わなかったんだろう???)、ただ「アカン!」というようになって、(それまで400万円までの車だったらどれでもいいし、保険もガソリン代も会社持ちだから頑張れー!って言ってたのに。)話に触れられなくなりました。


理不尽な目に遭ったと思った私は、平日は学校の後、土日は終日、通学通勤電車に揺られ、帰りはほぼ終電にのり、アルバイトをかけもちし、自力で頭金を3カ月で稼ぎました。(あとで倒れましたが^^;)


その時、車はトヨタのカローラレビンのAPEXにするか、日産のシルヴィアにするか悩んだんですね~・・・結局、内装と足回り強化タイプで、かつあまりに頑張って心配なった父が「助けるからもう家にいてくれ」と言いだし、でもそうなると父のアッシーになる必要があったので、FR車でなくFF車にする必要があったのでカローラレビンになりました。


でも、その時日産にも声をかけていたので、日産の販売戦略に父は将来を見たんですね。当時トヨタはバブルの実際の富裕層が直接支払う人をメインターゲットにしていました。日産は親御さんがそうであって、子どもさんが親に強請る若い世代を狙ったようです。これがヒントになってビギナーズキットは誕生しました。


どこかでアイデアというかこっそり盗んで居るんですよ。同じ業界でそれをやるとNGなので業界変えてやってみたんですけどね。でもこれが結構当たった。結局東京の水が合わなくてまた暫くして帰って来ましたけど(もう病気が進んでいたし)。


で、途中の、都合が変わって、それを正直に正直な言葉で言えなく、私の心をもちあげておいた状態で突如として変わったのをどうにもケアできなかったんだと思うんです。父の言葉を信じて自分の時間もお金も全部費やしたのに。それはあまりに酷いと思いました。でも素直に「雇われで、どうしようもない事なんだ。俺かってこうなるとは思ってへんかってんや。」と言ってくれたら多少は変わっていたと思います。


そんな父を交際にもっていたのは実は母でした。父の方が年下で母は全く父の好みじゃ無かったので眼中になかったのだそうです。その父をどんな言葉で口説いたのか知りませんが、事実二人は母の誘いを受けてから一年くらいで結婚しました。父は社会人二年目だったので、父の田舎は相当驚いたようです。時代もともなって「なんで年上なん?しかも高卒の?しかも○○(父の名前)が誘ったんやないのに?」だったと思います。


最初から難航した結婚でした。それでも父方はいろいろ出来る限りの事をしたと思います。学歴は無いけれど相当働き者の伯母たち集団でしたから。


それが母の気に入らなかったんですね。もしかしたら潜在的に年上だから内的な支配ができると思っていたのかもしれません。結婚できたから、それに甘んじたのかもしれません。人にはこころがあります。


いずれにせよ、二人とも心理を操作するような言葉を巧みにつかって、自分を可哀相にしたて、そうして人の目や手を引きつけます。自分のタイミングとペースで。そうして、それは「愛」や「情」と言う名の、無償という対価ですから、結果として周りを振り回す事になります。


最初は頑張って応援もできていたでしょう。でも際限を忘れてしまった両親(二人ともそれぞれの実家では甘やかされたいた立場)の生き方は、やがて周りを疲弊させていきます。


まずは互いに喧嘩が絶えなくなりました。要求が叶わなくなっていく現状を受け容れられなかったのです。矛先は相手を変えて行きますが、次々に倒れて行くので、いつしか皆が離れて行きます。


人恋しいのに人を倒してしまう。言葉巧みにひきよせてこき使うから倒れていくことに気づいていないのです。


何度も言ったのですが、それこそ「子どもの癖に生意気な!」と耳を全く貸してくれませんでした。今では孫の声にも耳を貸さないので、どうしようもありません。(父は他界したので父の期待に応える現実はなくなってきました。思い出した言葉にひきずられる事はまだありますけど。)


今の、マエストロも、そのような気質です。個人経営の社長さんで、親から継いだのだと思うんですけれど、自分がマエストロになりたいという40年来の夢を今叶えようとされているんですけれど、自分が合唱団にかなり強引にかなりおべんちゃらに近い言葉で誘っておいて、それで入ると自分の解釈でうんぬん言いますし、事務作業も振って来ます。「自分が背景を勉強しておかないと、皆に教えられない。」と言ったり、「僕が全部やってもいいねんけど、それじゃ皆のためにならないと思うねん。」と言ったりします。


「皆が自分の夢に力を貸してくれた」という根底をいつしか忘れてしまっているように思いました。


チャリティコンサートというので少しは気にしてましたが、本当に辛い時って聴く側じゃなくて、話しだせるのをただそうっと横で待ってくれている事がまずあって、そうしてやっと心を開いてなんとなく、よもやまの話から話せるもんです。


傷ついたんだから、壮大な時間と待ちのアプローチが必要です。そうして表面的にはあくまでも「そこはかとなく」と思って貰わないと、こころなんて開いて貰えません。



そうでないと、チャリティにかこつけて、自分の活躍する場を作っているのがばれてしまいます。とうか、そう思われてしまいます。



したいのは本当にチャリティですか? 自分の夢をかなえたいという欲望ですか?



ちょっとシティフィルから派生した合唱団のリーダの心根が透けてみえてきて賛同できなくなってきました。



チャリティなんて偽善をしなくて、堂々と「僕が指揮をしたいねん。ごめん助けて!!!」って言えばこんな事にはならないのに。



まずは自分が全部背負って「大変だからお手伝いしましょうか?」という声がある、という順序である気がしますよ。


「皆の為」ってなんでしょう?


私は、歌を歌いたいだけなんです。


耳触りな環境ではよろしくないので、適所にうかがっているだけです。


お金を払って。


なんだか、貧乏人の実情を知らない人が、自分の尺度で貧乏だからと何度も言って、周りに強いるのはどうかと思います。


オックスフォード社から借りている楽譜のレンタル代、一旦肩代わりするの15万するんです、って。


私、肩代わりさえ出来ないから、諦めるわ。


道楽に付き合うつもりはないので、今日は振られた仕事をした後、堂々と休んでいます。


練習しなくても歌えるし。


先にシティの方があるし。


あーあ・・・・なんだか・・・・せつないなあ・・・・


欲が渦巻く、俗世間。


おなか・・・痛くなって来た・・・・。


自分が誤解されて虐められてきた分、人さまの言葉をいい方に理解したい、という心理をうまく使われて、信じてこき使われる事が多いです。無償で。


だから、それで身体の具合が悪くなっているのを横でみている子ども達は、『ちゃんと断る練習をしなさい!うまく言われている事、うすうす気づいているんでしょう?ハッキリいってあげた方が、むしろ反対にその人の為だよ!』って。


あーあ。。。ハッキリいうと逆切れする人ばかりだから、怖いから言えないんだよね~・・・。


研究室の皆は、向上したいから、人のきもちが解らない人である事がなんて酷い事だと思っているし、苛められてきた子が多いから、疑心暗鬼になっているのも解っているから、なかなか本音を言われない事が多くて、それを信じて劣化していく事の方が、人を傷つけて恐ろしいと解っているので、どんな厳しい言葉でも、


『御指摘有難うございます』と言います。そうして、その有難うございます、と鵜呑みにして、自分はアドバイス出来るに値する人間なんだ、と相手が傲慢になるかどうかも、見ています。


ま、要は・・・・調子に乗るな、って事ですよね。