チャンス・フォー・チルドレンとかなり真面目な私見 | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

東日本大震災の時に、個人的に、盛岡学習支援センターに支援していましたが、このような団体が立ちあがっていたのですね。シェアします。

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これまでの東日本大震災での支援の経験や、被災家庭や子どもに対して実施した調査の結果から、今後学校が再開されたその先には、想定を超える震災により生み出される経済的な困難(住家被害や親の失業等)によって、子どもたちの学校外での学びの機会が制限される可能性が高いと考えています。

また、今後被災地の子どもたちは震災による経済的困難に加え、休校中の学習進度を取り戻すことに労力を要すること、生活環境の変化(避難所での生活や仮設住宅での生活など)により十分な学習環境を確保することが難しくなることが予測されます。特に、今年度高校・大学受験を迎える子どもたちにとっては、被災による経済的困難によって塾や予備校での学習機会を得られない事態は、進学において非常に大きなハンデとなるため、支援が必要です。

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詳しくは、http://cfc.or.jp/まで。


正直、ひとり親世帯としては、このような現実をつきつけられる事が悲しいと言うか悔しいと言うか・・・。


確かに進学するには入学金や授業料などが必要なのでお金は要ります。そのためのノウハウが蓄積されている進学先に強い塾に行くにもお金が要ります。


でも・・・これはあくまで個人的な経験なのですが・・・

私の父はそこそこ当時は収入がありました。フツーのサラリーマンなのに確定申告をしなければならなかったくらいの収入というとピンとこられるでしょうか。ひと月の給料のうち、源泉で天引きされる社会保険料は40万でした。こうすると手取りを書かずとも解って下さると思います。

すごい税金を払っていたので(サラリーマンなので誤魔化しようがないです。必要経費も認められにくいです。)、それでも塾代の捻出や大学進学の準備金は大変なようでした。

それで、私は国公立を狙う事が必須と思うようになりました。高校までずっと公立で進学し、それが狙える高校でありましたから。通っていたのは中学3年生の時からの寺子屋のような塾でした。

でも、その塾、高校進学には強いけれど、大学進学にはまだ弱かったんですね。当時の大阪で通える大手は駿台か河合塾。でも入塾試験からして難しい。つまり大学に受かり易い子どもを大手は取るんですよ。うまい仕組みですよね。

すごい発想の子なんて、有名塾をかけもちしていました。経済的には何の負担もありません。特待性で重籍していましたから。学校法一条校である大学ではそれでもよいか知りませんが、私塾ではそれでもよかったのだと思います。

数学はあっちの先生がよい、物理はこっちの先生、英語は・・・という風でした。親は交通費とテキスト代を払うだけで、地頭がよくない貧乏にんが彼らの塾代を肩代わりしていたようなもんです。

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そんな背景があります・・・でもね、地頭のいい子、っていうか、変な敷居を設けない子は、そんな進学塾にいかなくても、通るんですよ、毎日の予習復習を必ずやって、自分の向いている学科を早くにみつけて、そこの過去問などを取り寄せる事が出来れば、あとは経験です。

試験など関係ない時に、ふらっ、とキャンパスに入ってみる。大学はオープンですから、一回生だか浪人生だか高校3年生だか、ひとめでは解りません。よほど変な格好をしていない限り、正門で呼び止められる事もありません。知ったふりしてスル―して、なにかの授業に潜ってみたり、図書館に出向いて個人のカードを身分証明を提示して作って貰っても何の問題もないのです。

そうして離れして、試験なれすると、点が取れて行くもんです。経験です。

だけどもうちの親は父親は村で初めての大学生、だったし(祖父母は早くに亡くなっているので伯母たちが父を育てたのですが、学校は時代がら尋常小学校どまりだったと思います。)、母も女子で高校に進学したのは母が初めての家でした。なので、予備知識が無いんですよね。実体験の知識が無い。

だから周りの情報に振り回されたんだと思います。居住地が属する進学区の有名な名前を聞くと「○○学校にしなさい」「△△学校は?」と言って来ました。そのレベルに努力するのは私です。で、その有名な学校が遠い場合、早く起きれないのは母、お弁当を作れないのも母でした。(中学校の時に苦労して母の特性は理解済み)

私は未成年で高校生で、進学校なのでアルバイト禁止、となると、親のすねをかじるしかないんです。親に助けてもらうしかないんです。母はお小遣いをくれる人ではなかったので、起きない彼女のお弁当をもっていくしか食べ物がありませんでした。「遅刻するからもういい」と言おうもんなら「折角作ったのに持って行かない、ってどういう魂胆???」とすごみます。自分が恥をかかないためなら娘が遅刻しても平気なのです。

そんな家にお金があっても、私の将来に好ましいようには投資されなかった。私は親の人形だった。いいなりだった。何かあると年齢が上、経験がある、親だから、とすごみ、威嚇し、支配されました。今では、いつもいつも「もう将来が無い」と老人である事を利用します。母と同い年の団員さんの男性は、お母様(御年98歳)の介護の合間にヘルパーさんにきていただき、その間だけ合唱をして、連絡を受けたら抜けてとんぼ返りされています。

だから、必ずしも親の物理的経済的貧困が子どもの進学を邪魔している事に直結するという論理は私には通用しません。当時、東大でも京大でも現役で通ってしまうんじゃないか、という同級生で同じグループの子がいました。3月の末産まれの努力家さんでした。でも、弟がふたりいて、二人に国立を狙わせるという家の方針で、彼女は近くの短大に進学しました。就職先は当時東京海上火災でした。素晴らしい就職先です。でも、彼女が、いくら仕事が出来ても、後から入ってきたアホな4大出身の子に役席が追い抜かされていったのだそうです。

それを聞いたとき、3流大学にしか入れなかったけれども4大卒である自分を、頑張り切れなかった自分を申し訳なく思いました。平素の愚痴を言っている基準がなんと低いというか、浅はかと言うか、なんというか・・・。

なので、心の奥深くでは、こういう「親の経済力=進学率」という直結の論法で支援を呼び掛けるというものには、ちょっと距離を取ってしまい、時に凄い反発をしてしまいます。

でも、統計学上はそうらしいです。でもやっぱり統計学ですから、どんなマテリアルを大切なものとした抽出するかのデザインが必要で、その時に、表層的な経済(年収)というシンプルにしすぎて大切な情報を取りこぼしているデザインなら、私はやっぱり、手からすりぬけて落ちた子ども達の声にならない声を拾う必要があると思っています。

だから貧乏でもどうにかして進学できる方法を編み出したいのです。編みだすというか見つけ出したいんですね。あるのかもしれないし、ないかもしれないけれど。そうでないと吾子たちがあまりにも悲し過ぎる。出来レースに巻き込まれた善人なる市民があまりにもバカを見る。

それは・・・よろしくないと思うんです。そうしてそんな声にならない声をあつめて『ちょっとー!神様!!節穴ですか???どうしてこのような実情を放置なさるのですか?』と申し上げたいです。←神様を歌っている間は信仰していますが、それ以外の時間はかなり客観的に見ているよこしま☆ちゃんです・・・苦笑。神様、ごめんなさい。