LITALICO発達ナビ~みんなでつくる発達障害ポータルサイト(子どもの相談からお悩みまで、みんなで解決)
というサイトを見つけました。
現在21歳の女の子と、19歳の男の子がいますが、下の男の子が小学三年生の時に集団イジメがあって、私が診断は貰っていませんでしたが、これまで発達心理学や病児心理学などを学んだ経験から、私に起因はあるとどこかで直感していました。
ですので、まずは男の子の集団イジメはエスカレートすると命が危ないので、医療機関(児童精神科を持つ京都大学医学部附属病院)に飛びこみました。
奇しくも子どもの発達障害のプロジェクトが立ちあがった当時らしく、受診は混んでいて半年待ちだけれども、その間に急を要する子どもがいるかもしれないから、と、担当医が自宅に直接連絡をくれ、「とにかく急いで問診票をお送りしますので早急にご返信ください」という事をきっかけに、発達障害というものに本格的に向き合う事となりました。
今ほど認知されていなくて、サイトもなくて、手さぐりで孤軍奮闘していました。息子への対策がどうにか医師の診断書で行政と学校が動くほどでなくても、別室登校や学校にいけなくても責めないでいただけるようになった頃、幼いころから自分の事に疑問を持っていた私が心理検査を受け、発達障害の特徴としては息子よりきつかった事が発覚しました。
ショックでしたが、それよりも解明される糸口になった事が、嬉しかったです。私は幼いころからずっと否定され、責められ、そうして責任を負わされて来ました。相手が親であっても「困惑させるお前が悪い」という対応でずっと育って来ました。
ですので思春期には摂食障害も発症しましたし、どこかしら乖離している状態も経験しました。「このままでは気がふれてしまうんじゃないか」と思った19歳の春、母に「どうしても苦しいから病院に連れて行って欲しい」と申し出ましたが、
母の無理解と吾子が精神疾患かもしれないという事を受け容れられなかった心理で、その場で却下されました(当時は未成年で大学生だったので保険証を自分で使える環境にありませんでした)。
ですから、ものごころついてから、診断が下った40歳ごろまでの、わけのわからない不快感や嫌悪感や倦怠感、生きづらさのヒントがやっと一筋見えて来たようで、嬉しかったです。
ところがいざ解ってみると、どう対処していいのか、のヒントはいただけませんでした。当時の周辺環境に私に合う様な基盤が無かったのだと思います。もしかしたら診断がついた事で、ステレオタイプの発達障害はこういう特徴がある、みたいな本の説明に強く影響を受け、「私はこういう特徴をもっているべきなんだ」と迎合していたようにも思います。
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理解されなかった過去と、もしかしたら実母にも起因があって(遺伝確率は3割と言われています)、幼いころに身体に触れてもらった記憶が無いのです。いつもなんだか放りだされて、教えもなく、周りに教えて貰って、それで母の意に介さない状況になった時、もしかしたら、その対応では逆効果という事を繰り返してされてきたので、私は自分の存在に価値を全くもてませんでした。
なので、価値があると親に思って貰いたくて、おそらく親が一番喜ぶであろう勉学の道に進みました。バカだ、バカだ、愚かだ、人間として質が悪いと直感的な言葉を受けていたので、学校の成績で証明するしか、私を信じて貰えなかったのです。
高校は進学校にいけました。でも、LDがあったようで、理系はマシだけれども文系がまったくダメ。よく公立高校を卒業できたと思います。でも、難関国立大学を志望していた親の期待には沿えず、もしかしたら推薦でうかってしまうような偏差値60を少し下回る私学の理工学部数学物理学科に進学しました。
滑り止めの学校だったので、私はそれまでの友達の前では相当恥ずかしかったです。それにその大学に行く事になった時、母は、「世間に恥ずかしい。こんな辱めを受けるなんて嫌だ。私が嫌でも経済力のあるお父さんと離婚しないでいたのは、学費のためだ。その学費を難関国立大学でない大学に投資するなぞ許せない。私の人生を返せ!!!」と泣かれてしまいました。
私はこの時、生きている価値が無くなったとまた思いました。摂食障害が酷くなって行きました。親はその行動の意味を理解しようとは全くせず、ただ気持ちの悪い子だという対応しかしませんでした。
今思うと何もかも管理というか支配というか過剰な干渉にあっていたように思います。
紆余曲折があって、京都大学大学院博士課程に進学する事になり(まだ認めて欲しかったのだという想いが心残りだったのだと思います。)、実家から離れる事になりました。幼い子どもを二人連れての移動でした。
実家から離れたはいいけれど、更に孤立していったのです。。。。
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時系列があちこちいってスミマセン。今思うと、急激な環境変化はよろしくないのに、ただ生きる事に必死で(もうDVから離婚してましたから)、適切でない事なんぞ守る余裕すらなく、ただただ人生を必死で生きていました。
その中で起こった、息子への集団イジメ。私や子ども達の素養を知る、社会の未完成や、無理を知る、よい機会だったと思います。
それでもただで孤立していた中で、解った障害。身内の支援は皆無。母は認めて欲しかったという私の気持ちを理解することはなく「勝手に出て行った」という事に決めつけ、いくら心細くても辛くても、勝手な妄想で「大学院に奨学金で進んだんだから、さぞかし高給取りになるだろうから、自宅の改装を娘に頼もう」と、獲らぬ狸の皮算用しかしていませんでした。吹聴するだけでした。
どれだけ頑張っても、母の理解は得られなかった・・・というのも燃え尽きてしまった大きな要因だと思います。余計にこころまで孤立していきました。子ども以外の誰も信じなくなりました。
そうして外部の情報より、自分が先に調べるスキルを得ることや、実証して行くことを優先し、凌いできました。
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今思うと余りにも密で、あまりにも無理で無茶な生き方を、この・・・10年???24時間365日してきたのだと思います。
自分に御褒美もしない人間だったので(なぜか罪悪感があるんです。。。)、正直今は、人間が生存できる状態を維持できていないほどの慢性的な疲れがあると思います。
最近、成人して力がつよくなり、妙な知識を得てしまった子ども達のパニックの相手が出来ません・・・
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最近はそうだったのですが、熊本の震災で、藤原紀香さんのブログに同じ特徴を持つ子どもさんがパニックを起こしていてどうしていいか解らない、という投稿をしたママがいて、紀香さんがそれを拾って、御存知の方、とおっしゃったので、投稿してみました。
すると紀香さんが次のブログでそれを拾ってくださって、それをきっかけに、少しずつ同じ発達障害をもつ子どものママという役割での、自助グループと繋がって来ました。
そうしてハッ!と気付いたんです。もしかしたら、必死過ぎて没入し過ぎて(←発達障害の特徴のひとつでもあります)、この10年の変化を私が受け取る余裕が全くなかったのではないか、と。
そうして今日、アメーバのニュースのスポットライトで、この「発達障害者への読み替えマップ」という物を知りました。同じ事を伝えたいとき、物腰というか、伝える言葉を変えたら、当事者に負担が無いマップを整理してアップしてくださっているサイトがあるのだ、と。
あの頃無かったそれらが10年待って出来たと!!!!
そう、必死過ぎて、当時、手帳にメモしていた事を健忘してしまっていたけれど、それをもう一度探しだして整理するだけの力ももう喪っている私には、人さまがしてくださっている事は嬉しかったのです。
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そうして改めてサイト内の、ママの疲れの度合いを読ませていただくと、もう既に私は最終段階にいるらしく、「助けて」という、状態だと自覚・自認しました。
熊本の方の支援もしたいです。阪神の時に知人や従姉が被災して、もうあんな苦しい想いをされる人がおひとりでも少なくあってほしい、と思ったからです。東日本の時も、この身体で現地に毎年行きました。
あれから5年しかたって居ないのにこれだけの規模、というのは、本当に神様勘弁してください!!!と思いました。
身体が・・・阪神の時や、東日本の時のように、もう動かないのです。慢性疲労で。
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シングルマザーの方、御自身も発達障害をお持ちの方、
そろそろ子どもさんの状況が落ち着いている時は、
休ませていただいてもいいのではないでしょうか???
・・・と自分がもし、他人なら、言ってあげたいです。
もう、十二分に、他人様を巻き込むことなく、孤軍奮闘してきた、と。
もう、出来ない、と、泣きごとを言ってもいいのだと。
このサイトは、そういってくれているみたいに思えました。
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そうして、私が幼少のころから持っている、トラウマさえ、
ちょっとずつちょっとずつ、
お若い健常の、周りに支援があるママさんの集まりの御力で、
薄れていってくれたらなあ、と、
そんな想いでいっぱいです。
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孤軍奮闘しないと、虚勢というか頑張りきらないと、
倒れるまでそうしないと、
生きて来れなかったのです・・・。
私より前の世代のママさん、もっと孤立されていたんじゃないでしょうか・・・。
もう、もう、ちょっとくらい、休んでもいいですよね。
一日くらい、美容院行ってもいいですよね(お留守番の関係で毛染めもカットも自分でしていました・・・老眼が進んだり、不器用になって、きっとムラがあって、見た目にみすぼらしいオバサンになっていたと思います。)
その前に、ちょっとずつ、子どもが安定している間だけでも、
休ませてもらったり、自分の好きな事、僅かな時間でも、
させていただきたいです。
なんのことない、体力も精神力も、ガス欠ですね・・・(苦笑)
白旗です・・・(苦笑)