診察デーでございました。またまたヒステリー症候群でして、全身力が入らず、ふらふらでとぼとぼと歩いて行きました。
病院内はシャトルバスで移動させていただきました。
主治医は前の主治医からの移管です。前の主治医が鬱病専門医だったので、あと一歩のところでかゆい所に手が届かなかったのも事実です。
また小児の発達障害の研究をする病院でもあったので、成人の発達障害にもどこかしらあと一歩のところでかゆい所に手が届かなかったように思います。
今回、震災時における発達障害者への支援を改めて復習してみて、一番解ったのは、
『医者は診断者であって、必ずしも該当患者へのコミュニケーションスキルを培った人とは限らない』
逆転の状態になってるんです。説明しますね。↓
自閉症スペクトラムと診断のついた人は、ステレオタイプの「社会性に乏しい」というレッテルを貼られます。
事実それが強くて、なかなか修得出来ない人もいるのですが、まあそれは置いといて、これを機会に「ソーシャルスキルとはなんぞや?」「身につけるとはなんぞや?」からはじまり、実際に訓練を施されます。
それを一生懸命したらどうなります????
診断者である医者や、健常者より、ソーシャルスキルが培われてしまう場合があるのです。
☆私、自負しております!!!☆
何か、課題があって、正解(集合)と呼ばれるものがあって、それに該当するように訓練される事には、勉学や受験などで、相当なれていますから、ぐんぐん吸収してしまって、ついには、
『あの先生、診察に関係ない事まで話したなあ・・・それ患者に言うことか?受け取る側は負担だなあ・・・』となるのです。
なので、今回、自分があらためて自閉症スペクトラムである事を自覚し(これまでの偏見があるから辛過ぎますよ、本音はね♪)、主治医に改めて、
『国立障害者リハビリテーションセンターのサイトにとてもよくまとめられています。平素大量の文書を読破なさる方なら、一切の負担はないと思いますので、是非、二次障害の鬱病ではなく、基盤にある障害である”特定不能の広汎性発達障害”を網羅的に再読下さいませ。』とお願いしてきました。
そうして、私の場合の聴覚過敏の意味を説明しました。よくガイドラインにかいてある『音そのものにビックリする』のもあるのですが、
加えて、
①『内容が貧相である意味の場合、”おとなにもなってそんなくだらない事にしか頭をつかっていないのか”とショックを受ける』
②『思ってもいなかった情報を得てしまった時にショックを受けて、それに迎合するべきなのだ、という強迫観念に囚われる』
という特性があると。
②はたとえば、人の悪口を誰かが言ったとします。そうしてその言い方が先日のように「みんなそういっている」という保身をしながらの言い方であったとします。
↓
そうすると私は、まず、該当する人に対してそのようなイメージを持って居なかった事にショックを受けます。「私は人の内面を見れていなかったのか?」と。
そうして、「個人個人感じ方が違うのに、まだそう思っても居ないかもしれない大群を利用して、相手を蔑むワザが私には無い!!やっぱり色々欠損しているのか???」と。
騙される事はよくあっても(後で解るのですが・・・)、人さまをそうしようとも思わないし、どうすればそうできるのか、ガチで皆目見当がつかないのです。そもそもそういう発想が無いのです。そうですね~・・・いつも例えに使うのですが、分数の分母にゼロを入れてしまってはいけないくらいの「不能」という意味です。
注意:「不可能」は、可能性があるけれども、選択肢ない状態。
「不能」は、そもそも欠損して、どうしようもない状態。
例:手が欠損している人に、手で文字をかけ、という命令をするような実現しようもない状態の事。
『あ~、私はやっぱり発達障害なんだ』と。
『精神疾患は先端医療だから、今、iPS研究所で神経細胞芽の研究しているけれど、それはパーキンソン病に特化しているし、一般の人は理解できない領域だろうから、まだまだ、スラングの”メンヘラ”とか言われて、差別される側で生きていかなければならないんだろうな』と。
でも、肝心の主治医に、解り易いたとえとして、国立障害者リハビリテーションセンターの存在をお知らせできた事は、専門でない発達障害を診る事になった精神科医の指標にもなるので、効果があったと思います。
藤原紀香さん、ありがとう。皆さん、声をあげてくれてありがとう。