☆パニックを起こした時の対処法☆ | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

これまでの偏見が怖くて自己紹介でもあまり発達障害である事を書いてきませんでした。

私は「知的障害を必ず併発していると思われがちな発達障害であると思われるのが嫌だ」という事に強い拘りを持っていたんです。

でも、昨日、これまでの日々のストレス(診断や診察を受けていない、あるいは医者でさえ、KYな人ってあまたにおいでですよね。)が蓄積されていたのか、遂に、我慢の限度を超えてヒステリー症候群がでました。

☆ヒステリー症候群→ストレスが過度になり、自律神経系統が著しく狂った身体症状が出る事。例→急に足が動かなくなる。激しい動悸がする。など。注→感情的になってのび太君のママのようにガミガミ叱る事では無い。(精神医学用語)

そこで私は「やっぱり発達障害なんだ・・・」とまざまざと現実を突き付けられたのです。誤解されたままの人からずっと偏見を受ける立場なんだと。誰だって生涯を通じて誤解されて一方的に苛められたままって辛いと思うのですが、いかがでしょう???

特に『例えばショッキングな映像など、他人に起こった大変な事など、自分に起こった事のように強く反応し後遺症がとなる。』
という解説にショックを受けました。事実そうだったからです。阪神淡路は直接被害はありませんでしたが、従姉が被災しました。友達が被災しました。知人が亡くなりました。長い間真冬のまだ通信がない神戸を過ごしていました。

東日本は担当医がかけつけ、私の診察がよく飛びました。それほど大変な人がいるのだと思いました。私は被災された人の気持ちに寄り添いたかった。どうしても。でもそのためには自分が被災しないと解らない。そうしたとしても解るかどうか知れない。だから、私が波に呑まれればよい。どうして生きているんだ。人でなし!!と思うのです。今回もそうです。熊本の知人を思うと、動けない身体が嫌いで仕方ないのです。支援するというより、一緒に苦しみたいのです。いえ、私に苦しみを背負わせてもらいたいのです。もう社会復帰できる見込みは社会理解も基盤も制度も含めて極めて薄いですから。そうして元気で動ける人が回復していただきたいのです。

・・・そんな傾向こそが発達障害(自閉症スペクトラム)の特徴なのだと、ご紹介した☆国立障害者リハビリセンター☆の『災害の時の発達障害者への対応』にあり、内容が読めてしまうが故に、理解出来るが故に、愕然としてしまいました。

それで、ショックを受けて、昨日は混乱してしまいました。将来に対する不安ですね。これまで辛抱していた事が、一気に噴出したのです。

子ども達は理解してくれていて「今日はいつものより大きく揺れ動いている状態だよ。御薬ちょっとだけ多めに飲んで(安定剤)もう早めに寝てください。」と言ってくれました。家事も中途半端でいいといってくれました。

案の定、目が覚めたら、全身痺れというか硬直して動けませんでした。上に書いたヒステリー症候群です。変な話尿意を感じてもなかなか動けない。腹圧はかけられるようなので、そっちの辛抱はできました。

一時間から二時間布団の中にいて、まずは首を動かし、子ども達に話しかけてみて、どの部分がどの程度動くか確認していきました。そうして今PCの前に座ってこうしてキーを打てています。私にとってPCは補助器具なのですね、きっと。解っては居ましたが、改めて痛感しました。

ビジネス文書なら、結果を先に書くのでしょうが、今回はこういう流れでした。どうしてもこの順でないとこころが苦しかったのです。読みにくいかもしれませんが、どうか許してください。


☆パニックを起こした場合、国立障害者リハビリセンターの冊子の中にもありますが、一番やっては行けない事は、「どうしてすぐ黙らさないんだ」に附随した行動です。
急におさえつけたり、
大きな声で叱りつけたり、
集団でおこなったり、
力づくだったり、
絶対にしては行けません!!!!

周りがパニックという急変に「まずは落ち着いて」そうして「待つ」。
これが一番して欲しい事でパニックを起こしやすい該当者が落ち着くための有効・有益な事です。
本人にとってパニックを起こす要因が時間的にも地理的にも離れていくと、やがておちついて行くのです。
少し考えれば解る自然の摂理の話です。

いつもと違う感じが怖いのです。
周りがパニックを起こしているようすが怖いのです。
それが集団であることが怖いのです。

なんのことない、本人がパニックを起こしている要因は、周りの健常者の在り方(言動)なんです。

多動と思われる人も、実は周りがバタバタしていて、強く感化された結果です。

それを健常者は知らずに「障害者だけの内的な問題」と決めつけます。


マジョリティとマイノリティがあったとき、社会保障の破綻の問題から、マイノリティを障害者にすることなんぞ、政治面を考えれば成りたちはすぐ解明します。

自慢ではなくて、私は事実、得意分野に関してはIQ156、不得意分野に関しては115くらいあってしまいます。これは知的な部分です。
でもEQ(人を想う気持ちや配慮)などは、まだ推し量る指標がありません。
それについてはすべからく高いと思います。

『発達障害です』と言った途端、知的障害だと決めつけられ、精神科が治療分野です、というと、
虚言と決めつけられる。


乖離するからこそ出来る事、いっぱいあります。身体は倒れても思考はずっと動いているから、
安定剤で休んでいても、大量摂取ではないので、うっすらと寝ている間も、
「厳しい現実の私に出来る事は何か?本当に何も無いのか?そうなのか?」とずっと考えています。


たまたま藤原紀香さんのブログhttp://ameblo.jp/norika-fujiwara628/に「避難所でパニックを起こしてしまった知的障害がある子どもをどうしたらいいでしょうか?」というコメントがあり、紀香さんが「知っている方はいらっしゃいますか?」とあったので、国立障害者リハビリセンターのURLをはり、私が発達障害者当時者であることを勇気をもってかきました。

藤原紀香さんの読者さんの数は膨大なので、日本中に世界中にカミングアウトした事になります。
これまでの偏見やされた事があるなかで、私にとってはとてもとても命に関わるくらいの勇気が必要でした。


今日もしっかりした雨が降っています。雨の音が怖いです。もっと神経質な時は、PCのキーの打鍵音にビックリします。隣の人の打鍵音にもビックリします。他人の鼻水をすする音にも、貧乏ゆすりの音にもビックリします。


でも、「発達障害の私だから出来る事」≒「私だから出来る事」があると考え(思い)、今回のブログ記事を書きました。


もう、これ以上、誤解されて生きて行くのは嫌です。忘れてしまう事はたま~にありますが、人のせいにしたり、虚言をしたりすることは決してありません。まるでCDやDVDに保存されるように記憶する特性も持っていますから。

中居君が演じたATARUなら皆さんは信じてくれるのですか?彼がアイドルだから?スマップだから?イケメンだから?

ひとりにひとつずつ、大切な命。

命を護るということは、理解するということ、信じるということ。私はそう思います。