冷静でいようとすれば「感情がないのか」と言われる。
熱心になれば「ウザい」と言われる。
義を尽くせば「偽善」と言われ、
今の疾患に忠実に休ませていただいたら「役立たず」と言われる。
物理と論理がパラレルだと「口だけ」と言われ、
同じだと「混乱している」と言われる。
そのような中で、飛び交う言葉・・・
まともに受ける性質なので、キツイです。
先方がうまく言葉を使えない人である場合も、
当たられた事実に対してショックを受けます。
その人がその状態である事にショックを受けます。
自覚して治療をうけておいででない事にもショックを受けます。
頑張って律しようとしていますが、
このような震災がたった五年で来てしまい、
発信できる人が一般も含まってしまったために、
情報が氾濫して錯綜している。
このような場合の発信フォーマットが決まっているわけでなく、
政府や自治体は決めているけれど民間の素人はそれを知らずに使うので、
語彙も馴染みがなく、順序も滅裂、箇条書きの癖もついていない。
それでもこころを寄せないと、人でなしになってしまうような、
そんな強迫観念がある。
おそらく幼少の頃から、大人が先にパニックなってしまって、
なにもしていないなにもしらない子どもだった私に暴言や暴力となって顕れた、
その後遺症だと思う。
幼少のころの後遺症は、
人生をかけても完治はしない。
そのような中で、今を生きる。
受け留めて生きる。
こころはもう、飽和状態になってしまっていて、
私が私である事を赦さない。
地球が騒がしい、人間が騒がしい・・・。
でも、家のワンコは、ずっとおとなしい。
ワンコに見習う事がいっぱいあるような気がして仕方ない。