ガッチャマン(竜の子プロⒸ)でもありません。
アメーバのガチャでもありません。
。+.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。キャハッ
息子の担当医に他科申請書依頼をお願いする際に考えた事を数点お話した際に、
この「ガチャ」を連発するので、
(やっぱり医者って(特に京大は・・・)変わった人ばっかりだなあ・・・)
と思って診察と同時の申請書作成作業を見守っておりました。
(これを持って早急に患者は他科に診察受け付けに向かい、電子データは回線で他科担当医に渡ります。)
息子にあれなんだろうね~、まさかガッチャマンじゃないよね~、ガッチャマン実写版でやったから知ってるかな?と訊くと、
「ん?分かった!って意味じゃない?」
『え?なんで知ってるの?』
「ん?遊戯王で出て来るもん。」
『え?そうなの?先生、遊戯王(カード)するのかなあ・・・』
「さあ、、、???」
と言う訳で、了解のガ(ッ)チャらしい事が解りました。
解らない知識をそのままにしておくのが出来ない私はすぐさま調べました(英語サイトはアルクを使う事に決めています。←院生の時の同期のオススメだったから。辞書も良書をいっぱい推薦してもらいました。良書ってあるんですよ、やっぱり。「これを知らない訳にはいかないでしょ」みたいな本ってあるんですよ。音楽で言えば楽典ね♪)
すると、いくつかの意義素のうち、
gotcha【間投】
〈話〉分かった、了解◆相手の言ったことの意味が分かったときなど。
発音→gɑ́tʃə、カナ→ガッチャ
がちゃんとあるのを見つけました。
君。。。(息子の事)
なかなかやるな~・・・
他にもゲームで出てくるというか、海外でも人気のあるアニメを基にしているゲームで海外の人が楽しんでいる時に使う英語や、ストーリーで出てくる英単語は、ネイティブで聴き取れるみたいです・・・
我が子ながらビックリ!!!(海外生活ないし、学校の英語の教科書は出来ないんだよ?)
好きこそものの上手なれ、って本当かもしれないね♪
でも、gotcha【間投】発音→gɑ́tʃəの獲得はやっぱり辞書からだもんね♪
好きこそ、を、論理で裏付けする、というか、両方揃えるのが好きです・・・いやいや、揃わないと自信を持てないんです。
知識も生活応用(活用)が出来て初めて自分が納得するんです。ラジオのチューナーはどういう仕組みなのか、とかね♪物理的には分解して、論理的には数式で理解して初めて『解ったのかも?』と自分に言ってあげる事ができるんです。
例えば今合唱で歌っているジョン・ラターの曲。ま、彼の曲だけではないですけれど、ラテン語をちゃんと咀嚼してないと楽譜には掲載されていない真の抑揚を表現できない。
「LUXは光!宗教上、光というものがどれだけ尊いものか、ちゃんと信仰している人の心になって理解して、表現する!!楽譜を説明するような演奏はするな!!!つまらん!!!」と叱れます。
でも、この時、「だから、光の強さ、って、なんとかルクス、っていうの???」とか推測が立った時、芸術と数理の融合が適ったように思えて本当に幸せなんです。
音楽家は音楽を通じて、学者は学問を通じて、未だ見ぬその向こうのイメージを表現しようとしていて、そこに妥協は無いんです。
だから、没入したら、寝食忘れて、40kgなくなって、二週間完全徹夜なんて、当り前なんです。
(ま、締めきり終わったら病院直行ですけどね^^;)
そんな人ばかりが当り前の環境でした。
合唱団の人達は、一つの団でおさまってないようすで、一日三つかけもちとかもあるようで、よく「変態~♪」とかからかわれるそうです。
だったら、研究者なんか、もっと変態(笑)
医学者なんか、それで臨床(実際の外来や入院患者の診察の事)もやっているんだから、(他の専攻もフィールドワークをしたり、世の中に還元しますからね。)決して普通ではないし、経験したりその目で見たこともない人は、奇異な目でみるか、信じてくれないでしょうね(笑)
特に、見えるものしか信じない人には・・・
未知なるものが先で、現実が次で、結果や解析結果はその後。
でも、結果や解析結果を緻密に、そしてこれまでに開発されていないアプローチで知識整理する事で、未知なるものの予測率はアップして行きます。
それが防災や医学向上や、社会還元に使えたら、真の意味の人間の生きる糧となります。
音楽も研究も一緒ですよ、それは。
私はそれを生きて体験して証明したい。
それは偏見をなくすため、とも言えるとかんがえて居ます。
事実、研究者や才能のある人に、
発達障害を持つ人多いですよ。(人をディスったりしません。不甲斐無い自分に対して檄を飛ばすだけです。)
理解して頂けると嬉しいです。
今日も診察で『発達障害があるだけで知的障害があるわけではありません。上に書いたように、本当によく知っている分野があるくらいです。パニックがあっても人さまに発散する事はしません。自分の障害が多動性のある人を多く含む事実を知っているので、辛抱できる方が辛抱すればいい事だから、と、とてもとても辛抱します。今回は、彼の特性をよくご理解いただき、他科連携をしていただきました。感謝します。』と申し上げました。
息子も、”御忙しいのに、僕を診察してくれて、あの・・・ありがとうございました。すいませんでした。これまでに外の病院で理解してもらえなかったので、怖い想いをいっぱいしてきたので、怖くて言いだせませんでした。本当にありがとうございました。お忙しのに、本当にありがとうございました。”と申しました。
もちろん、朝、主治医のところに行き、大学内で10分あるいて本館に移動して、それから受付をしていただき、耳鼻科の受付にいってから、3時間はゆうに待ちました。途中で待てないオバサン達が、まだなの?時間無いんだけど、と受付に詰め寄ったのが聴こえてしまった息子は”我慢とか待てない人になりたくない”と、3時間超えて、待ち過ぎて体調が悪くなってきたのに、ベッドを貸していただくのも強く遠慮しました(慣れている所で無いと緊張でかえって休めなくストレスにしかならない、という事情もあります)。
そう、息子は理解しているんです。病院で時間が無いとは、「命の時間が無い事」を指すのだと。大きな病院です。震災にかけつける医師もいます。(東日本大震災の時、事実行かれました。)
そのような中、今すぐに命がどうこうなるという症状で無いのに診察していただける有難い環境に感謝することなぞ全く頭になく、ただ自分の用事を先にしたいから、という時間が無い、という言葉、そうしてそれを医師にではなく、受付の人に対してのみ、高圧的に言った様子に、母子で傷つくというか、悲しく思いました。
仕方の無い事なんでしょうか・・・仕方の無い事なのかもしれませんね・・・
息子はしばらく様子見ですが、特性上、知らない人に多く関わり、理解されなかった昔を思い出して仕方が無いのに改めてその知らない人にまだ誤解や偏見を受けるのではないかという恐怖におびえながら説明をしなければならなかったので(私が付き添いで説明しても理解しない人は理解せず、息子の目の前で私が非難されるわけですから、それを見てショックを受けますものね。自分の説明をして母が偏見から糾弾された、僕がこんなんで、ごめんなさい、って自責していきます。)、本当に本当に頑張り抜いたと思います。
こころが力尽きて、横になりました。。。
医学的にも精神的にも、御母さんとして様子見です。娘も似たようなトラウマがあるので、特に自分のものさしが頑強な人と関わると老若男女問わず、不安定になります。
御母さん、頑張りますが、私もこのところまた心身症状が顕著なので、医師と相談しつつ、適宜頓服服用して、適宜の休み方をしたいと思います。
このブログ、不快に思われた方、申し訳ありませんでした。
心身症状に苦しんでいる人間のとある現状を事実真実そのままに素直に書きました。
すいません。。。