まだまだ揉めた事で混乱していますが、やっと悩み疲れてきてくれました(^^;)
タイトルが要因である事にも気づけて来ました。
私は、これなら頑張った、と、一応の成果をだした、と、親族に客観視して貰うために博士号に拘りを持っていた事を認めます。
女の子なのに不細工に生まれ、親は心配したそうです。
哀しいかな美貌があると嫁ぎ先に困りません。
ある程度歳が行った女性が食べていけるためには、経済力のある男性に擁護してもらう必要があった時代を母や伯母は生きてきました。
今でもさほど変わらないと思います。
私はものごころついた時には親の心配と焦りの枠の中にいました。
芸術系は食べられないから、と、大好きな絵画も音楽も諦めました。
けれども大枚をはたいて学部を出して貰っても状況は変わらなかったように思います。
同じ額を出してエステやジムに通って整形したほうが良かったかもしれません。
でも、どこかで時代錯誤や、価値観が違っていると感じても、両親なりに考えた結果なのだと、私は大学に行きましたが、父のように地頭がよくはないので、国立大学を落ちて私大になってしまいました。
女子は下宿すると就職に少し不利なご時世だったので、父が許したのは、同志社だけだったように思います。けれど理学系はありませんでした。一番当時の最適回答は大阪大学の理学部数学科だったのだと思います。
在籍していた高校で国立の理学部には席次が一桁の二人の女の子が京大と阪大に行きました。
課外で音楽をして、そちらでオーディションを受ける程に力を入れて分散させては、叶わないレベルでした。
私にとってはこれがコンプレックスになりました。
これまた時代でしょうが、母は家柄や経済力や知力をとても重んじる人でした。
勿論、弟にそれを期待していたのですが、高校受験を前に、この成績では当時一般入試がメインだった大学は無理だろう、となり、私に期待がシフトしたために、たくさんご近所の有名国立大に合格したお兄ちゃんお姉ちゃんの話を耳にタコが出来るほどに聞かされました。
この時、摂食障害を発症しました。
このコンプレックスはもしかしたら今もあります。
学部から京大の人たちの語彙の凄いこと。
親の仕事の都合で英語が堪能だから、例えばトイック(ガラケーだから出ないよ…笑)なんぞは普通に800点くらいは既に取ってしまっています。
ネイティブの専門学術英語での授業なんて解って当たり前。
そんな環境にギリギリで受かった私は有り難くも地獄の始まりでした。
そうしてこの時についたコンプレックス(語彙の分だけ概念があり、それは状況により使い分けされ、さらには学内の政治的関係性にも器用に適応できる学生しかいない)が植え付けられました。
私はまるで監視カメラの再生のように、厳密に再現してくださらないと、一体どの部分にどうご立腹されているのか、本気でさっぱり解らないので、うまくいかなかったのだと思います。
技術指導も論理的専門的でありながら工夫がないと理解出来ないのです。
だから土曜日の夜のおばあちゃまたちの、あやふやな記憶の、しかも正確でない指摘では、私の脳の記録からはサーチできず、一体何をおっしゃって、何をそこまでご立腹されているのか、全く解らないのです。
大学に進学した頃から高卒の母の日本語や指示が理解出来なくなりました。大学院に進学した頃から父のそれらが解らなくなりました。博士課程に進学したら殆どの人の非論理的な会話が解らなくなりました。
難題を解明していく人生でしたので、何も答えがないならそれを証明しても来ました。
ですからしわ寄せや、八つ当たりなどの行為は、本当に大混乱するのです。
なぜなら私は緻密に考える事が当たり前だから。
最近は加齢で昔よりは体力が無くなったでしょうから、悩み疲れて倒れるまでさほどかからないでしょう。もしくはかかりつけの専門医や病院があるし、しかも母校の京大医学部ですからほぼ理解出来る会話が出来、ストレスがありません。
語彙空間(情報科学ではこう定義する事があります)が全く違う人とは、同じ日本人でも、その人の言動が全く理解不能なんです。
すごく正直な言い方を最後に許して下さい。
『アホは何しでかすか解らん


私は旅します。行き先のレベルが高くとも自分を適合させればいいだけですから。
すいません。書いちゃいました。でも最近の人はこれくらいの短文でも長いと感じ、最後まで読まないんでしょ?(笑)
だから、位置的に内緒、という事になって欲しいです(笑)
アホきらい。
自分がアホと気づいてない人もっときらい。
努力しない人きらい。
創意工夫のないひときらい。