♡ストレッチの精神で♡ | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

今日は診察でした。そのあと、今年度初回の研究会(それぞれの研究進捗発表会や修士博士公聴会練習、国際学術会議発表練習などをする、4回生~博士課程、ポスドクなどを教授陣が指導する勉強会です。エンドレス、という噂もあります^^;)に飛び込む予定だったのですが、昨夜の強い腹痛やパニック発作の事を担当医に御話しましたら、年度の変わりめで世の中に余裕がまずなく、その影響を多大に受けてしまう感受性が鋭い(受容体の感度がいいということかな?)患者は倒れてしまうので、周囲が落ち着くまでしずかにしていましょう、そうしてその時までおくすりそもののは変えないけれど、服用の仕方をこれまでとは少し要注意型にしばらく変えて様子を見ましょう。。。


。。。となりました。。。



担当医には親などの近親者とうまくいってない事は既に申してあります。先代や先々代の(その家長や世の中のジェンダーの)価値観を強く継承しているコミュニティにはどうしても身体症状に出てしまうくらいにもう、添えない、という事を。


担当医がうれしいことを言って下さいました。『よこしまさんは、おかあさんとして、本当に子どもさんのこころのケアをするのに、医師や薬剤師に質問をし、臨床心理もよく学び、それを基盤に、お子さんそのものの個性をよく鑑みた上で、地道で根気の要る事を、一生懸命にされてきていますよ。』と。


そうです。私がして貰えなかった事。家族は家父長に、夫婦は配偶者に、仕事は上司に、それぞれが精神的に独立しておらず、『従属関係』が潜在的や無意識でも存在する場合、社会的に上の立場にあたる人は、ほんとうによく注意しないと、強迫的に相手を迎合するような言葉を発してしまいがちなのです。


時代なのかもしれませんが、私の祖父は甲種兵役でしたが、母はそれを勘違いしていて、兵隊の『ランク』だと信じて疑わないのです。すぐ上下関係をつける人でした。ヤフー知恵袋の回答やwikipediaで探すと、

「甲・乙・丙」 は、兵隊のランク付けというよりは、徴兵検査の判定区分である。
終戦までの日本では、20歳に達した男性は徴兵検査を受けることが義務付けられ、検査では、身長,体重,病気の有無等をチェック、兵役への適性に応じ、上から順に 甲種,乙種,丙種,丁種,戊種 という5つに分けられました。
各ランクのうち、甲種と乙種は現役とされ、丙種は国民兵役(現役には適さない兵役)、丁種と戊種は兵役に適さないとされました。現役とされる甲種と丙種の内、特に甲種合格者は、即入営の可能性が高かったといわれています。


名付けが「甲・乙・丙」なので『ランク(=ここでは上下を意味するとする)』と捉えた母は、祖父の事を自慢し、即入営できる身体状態でなかった、父方の男児を侮蔑していました。

このように全てに対して、潜在的にランク付けをするのです。今でいうところの(もう死語かな?)『勝ち組・負け組』『イケてる・シケてる』をどうしても決めたく、自分はこの上位に位置していたいのです。この概念が身に染みついてしまって、父と結婚してからもいつも実家の家柄など(本当に家柄がよかったら中枢部へ行くのでは?知的水準や文化水準が高いのと、身体が頑強なのは別の話だと思うのですが。。。)

まあ、とにかくそう信じて疑わないし、もう私が物ごころついた時から、人生でどんな事があっても人間性が全くかわらないのです。

先日のとある小学校の事件で、担当教諭が放課後なかなか席に座らず自主学習しなかった児童をつかまえて転ばせて胸ぐらをつかんで壁に押し当てて『これで俺の評価が下がったら一生恨むからな!』と迫ったそうです。

これ、威力的な暴言なんです、って。これは私にとっては日常茶飯事でした。ですから、感情がいくら高ぶったとはいえ、その高ぶりにものを言わせて相手に高圧的な言動を取る、とくに、年長の人や、社会的地位の高い人をとても嫌悪するのです。威力的な暴言という認識のカケラもないからです。

ですので、私は母や、母のタイプの人と関わると、トラウマが発動してしまい、もうどうにも出来ないので(病院になんて行くわけもなく、人さまが譲って当り前の性格で、何かあると他人のせいにする←これ事実です。)、もう自分のするべきこと(しかも超かんたんなのに!!!!)は、自分でやって欲しいのです。(今から世界新記録出せって言ってるんじゃないんだから!)

で、少しまえなら、このしんろうで、一気に抑うつ状態に墜落して、寝込んで動けなくて、退行してしまっていたのですが、3日ほどもちました。けれど、やっぱり身体症状に出たのが、昨夜。

私が小さい頃は女の子でも手をあげられてそだったので、身体にその両親の感情がおさまるまでどころか、いつ爆発するのか、と、ビクビクして機嫌取りで育ちました。そのPTSDだと思います。

指導教官はことし退官なんです。国立大学は65歳が定年。けれど、失礼ながら、私とは世代が違うので、どこかでこの家父長制の感覚が抜けきらないようです。御自身が必死に制御されていても、個人的に大変な時期にあられた時もそうですが、事実として指導教官の(つまり私が在席していた)研究室からは女性の博士号は全く出ていません。これは他の研究室ではあり得ないことです。

なので、昨夜は母の事で疲れきり、娘や息子への心配で疲れきり、指導教官へのトラウマ(在学中は本当にアカハラなんて当り前でしたから。またそれくらい厳しい世界を単独で渡れないと、女性の研究者になんてなれないんですよ。あの封建的な世界では。。。私学はどうか知りませんが。)で、重なって重なって重なって、体調を崩したんだと思います。

やっと母に言えたように(何年かかってんねん^^;でも仕事はやって1時間でお返ししたよ?正直そんな次元の低い仕事を私にさせる、って、本当に私が今まで何を修得してきたか、全く理解できないんやろうな~。。。って思いました。仕方ないですけれどね。だからずっと言って来なかったら、いつまでも調子に乗ってるので。彼女には遠慮というものが無さ過ぎる。←自分の尺度ではしていると思い込んでいる。やれやれ。)、

指導教官にも事実として担当医に無理をしないで休むようにいわれたので、『年度初めですのに申し訳ありません。ですが、今日はトップカンファレンス(世界でも指折りの国際会議)に採択された学生の練習なんですね。先生が引率されるので、お土産の研究紹介の方をたのしみにしています。長旅になりますから、お身体にお気をつけてどうかご無事で御帰りくださいませ。』というメールを病院から出しました。即レスで「いつも言っていますが無理は禁物です。例の学術誌(先生が翻訳されました)、秘書さんに預けていますので、私の不在中でも遠慮なくいつでも取りに来て下さい。」との事でした。


実家では助けはするけれど助けては貰えませんでした。何かと理由をつけて逃げられました。せめて一緒に考えて欲しいといってもダメ、ついてきてもダメ、一切ダメ。でも、自分はとっても簡単な事でも丸投げ。貧乏のおじょうちゃまで育ったようです。。。だから私個人は人間環境的に無理を強いられるのが当り前の人生でした。


ですので、このストレッチの発想、
☆息を止めない
☆無理をしない
☆反動を使わない


って本当にたいせつにしたいな~、って思いました。


もともと呑気症で、息子には遺伝してしまったようで、私は毎日病院に奔走しましたが、当時は乳児の医療補てんがなかったのか、私が悪い事になっていました。手間がかかって仕方ない、なぜそんなに身体が弱いんだ!と、いつも責められました。

だから、やっとやっとやっと、仕事はきっちりお返しして、「何十年って勘違いしていると思うんだけれど、別段これ、、得意じゃないよ?調べてやったら、ある程度の事は出来るとうだけで、今できないからといって諦めずに、どうにか出来るまで一生懸命探して、やってみて、訓練してきたから、今回やってほしいと言われた事も、こっちの”じゃあこうしたらどう?”というのには一切耳を貸して貰えなくて埒があかないから、調べて作ってみただけだよ。すっごい負担なんだよ?」と言えましたが、

この事すら『一生取り返しのつかないような、親に暴言を吐いてしまったのではないか???』と、母の事を書くのと同じ重さで自責しているんです。だからこころのバランスが取れなくて、小さい子がなるような『自家中毒』になってしまったのでした。


理解してくれるどなたかが、遠いお空のどこかに、たったおひとりでもいてくださったら、
こんなに幸せな事はありません。。。


☆追伸☆

久しぶりに病院のドトールでケーキを食べました。ちょっと吐き気がおさまったけど、怖かったので、半分テイクアウトしました。

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