揺り戻しでもあるんだろうし、
こう見えて感化されたものの殆ど全てが入って来てしまい、
考えすぎて整理がつかなくてグチャグチャになってしんどくなります。
コンスタンなどの安定剤で思考情報を間引いてやるとか、少し休憩させてやらないと、
私の思考は寝ても覚めても『いや、待てよ?他の切り口もあるのではないか?』を情報全てに施してしまい止まらなくなるのです。
そうして、やがて、処理しきれない自分を『情報や知識の整理が出来ない、基準をもって優劣を決められない、なんて頭が悪い人間なんだろう。折角生かせていただいているのが申し訳ないくらいだ。』と自責します。
人様には思わないのです。特に子どもたちがこれで自責するようなモードだと、
どうにか生きていて欲しいし、人間なんだし、個体差があるんだし、と、昨日の事も明日の事も忘れて、ただただ心身を休めるように、やさしく諭すのですが、
私自身にはもっと責める考え方をしています。
おそらく幼い頃に受けた物言いや態度がそうさせているのだと思います。
昔はそうでしたよね。
義務という、お国に対して謙虚で勤勉で、欲しがりません勝つまでは、のような滅私奉公を美徳とし、強迫的でした。
だから、子どもには、人様にはしたくない、と思うのですが、
自分自身には長年の癖でキツく当たってしまいます。
今も、正直、医師の指導に反して踏ん張って、安定剤は飲んでいません。
ペインクリニック的な発想をするなら、微量なんだからサッサと服用して休めばいいのですが、
子ども達より先に休んだり後に起きたりする事は、なんだかお母さんの最低限さえ出来ていないみたいでまた後ろめたいのです。
何度も書きますが、人様にはそう思わないのです。
それぞれ事情がありますから。
だから、自分で不可解だし出口が見いだせません。
いつだって、独りで自分を追い込んで、全部抱え込んで、やり過ごしたり、耐えしのいだり、乗り越えたりしていたからだと思います。