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~ ゆるゆる生きる ~

なんでもそうなんですが、一度始めると止まらなかったんです。

それが発達障害の仕業だとは知りませんでした。

で、診断がついて、意図的に止めるようになったら、今度は続かない病。

一度お試しでいって即決してしまいます。そう、止める方に。

始める事を止める事をリピートしてしまいます。

私自身にとって適切な回数とかタイミングとか、なんというか冗長でない事が多いので(例:習い事は遅刻早退欠席は絶対しない!と覚悟する。)、

じゃ、やってみます、となった途端、楽しめなくて、『遅刻したらどうしよう。具合悪くなったら?欠席する時があるかもしれない。。。』と不安になって、

やっぱり始められないんです。。。


旧知の人に『よこしま☆ちゃんは完璧を求め過ぎるんだよ』って言われた事があります。

違います。私自身が求められたんです。

☆勉強したら出来るんだから、しても出来ない人がいる事を思うと失礼な話だ。☆ …というのは中学生の時に三者懇談で言われた事かなあ。。。

何をどこから手をつけていいか解らないのもあったし、風評で旧制女学校や新興住宅地の進学校や、旧制中学など、話を聞いてすぐその気になって、あっち行って欲しい、こっち行って欲しいって、定まらなかったのは親でした。

例えば、今日行って来た合唱。音楽は電子オルガンを6歳からやってきて、中学生の間には、楽典の試験も受けていました。18歳まで待てば、指導者養成コースに進めたんです。

で、京都には、市立の音楽高校も、芸大もある。音楽にはちょっとウルサイ、と自負していた母は、これらの学校の存在を知らなかったのだそうです。(さっき確認しました。)

そりゃあ、小学校の時に、担任の先生に、『この子は絵を専門的に見てもらった方がいい』と言われても、市立銅駝高校(日本画家さんが、この高校から市立芸大の目指します。)の存在を知らなかったんです。上村淳之の名前を知ってはいても、経緯や背景などの人間関係などには全く無関心。

父が同志社卒だったので、高校受験を同志社女子高を併願してみるか、という話もあったんです。父は本当に乗り気でした。でも当時、大阪の北部から毎日、お弁当を持って、今出川まで通うのには無理がありました。でも、堀川は二条城の方が近い、つまり今出川より南です。

・・・あれだけ、ヒステリックに『情報は宝!!!!』と怒鳴って、知識を詰め込むような指導をしていた人が、いざ私が情報数学に進みたいと言ったら進学先が解らないし、それこそどこから手をつけていいか解らないから、調べようとしない、すぐ人を頼る。だから自分のつてにその道の専門家がいないし、常日頃からコミュニケーションをとっていないから何も解らない。

要は生きる為のアンテナを張っていなかったのだそうです。どれだけぼんやり生きていたんだ!!!(苦笑)

メールの返信は一言『全く知りませんでした』だけ。もう、あれはなんだったんだろう、って思って。『親の言う事は必ず聞け』から始まった今で言う処の気分障害に付き合わされて、噂通りに全日制の進学校をバーゲンをあさるように希望して。

・・・対して何も知らなかったんじゃん☆ おっかしーなー、辻褄が合わないなー、って思ってた。でも、そんな事指摘したら、その日の御飯も翌日の学校のお弁当も無いもんね。お小遣いも貰っていなかったから、ひもじかっただけだもんね。

あれ?うち、貧乏だったっけ?ひとり親家庭じゃないよね?お父さんちょっと稼ぐ人だったよね?

あれれれれれれ????って。

だから、親となってなお、自分に優先的に投資する人は解せないんだと思う。言いたい事も言ってこれなかった。

今日の練習も私ひとりだけ出だしが取れて(難解な音楽&楽譜なのよ)、ソプラノは50人いるのに私の声しかしなくて、『あれっ!?(間違えた!?)』みたいになって、そうしたらマエストロが「ええねん、それでええねんで。」って言って下さって。

その応援が無かったら、親のようなタイプの人ばかりだったら、『何よカッコつけちゃって』とかされるところだった・・・・。

なんだかそう思ったら、色々と悔しかった事がいっぱいあってね。我慢してきた事、虐げられても反撃出来なかった事が悔しくてね。

で、ふ、と思ったんだ・・・東日本大震災あったけど、阪神淡路の時に中学生だった子が、研究室に修士として在席しているのを知った時、『僕は兵庫県の長田出身です』が信じられなかった。あの火の海の中にいた男の子が、京大受験して、大学院に進学して、今目の前にいる。

ずっと助けて欲しいって言わずに、今ある環境・境遇の中で踏ん張って、支援を待たずに自分を持ちあげて今の立場を勝ち取った実在の人を見た・・・ひとりだけじゃない。

一見、恵まれている子が多いと思われていると思う。けれど、実際はそうじゃない。ひとり親世帯の子、親の事業が失敗した子、天災に見まわれた子、結構、そんな子が多かった。

でも、助けを待たずに、まい進していたよ。なんていうかなあ・・・震災の被害者である事は事実なんだけど、風化させちゃいけない事も確かなんだけど、どこを支援して、どこまでからがお節介でレッテルで、っていう見極めは風化させちゃいけないけれど、

いつまでも最上級の庇護を与える事が支援じゃないと思う。介護もそうだよね。寝たきりにさせないために(寝たきりの方がある意味介護者は楽です。)どうリハビリするか。

そこに関心というか着眼点がいってない人とは私は相容れないと思います。