私は幼い時から公立です。
何にも負担を強いたくなかったからです。
私はセンター試験の前の共通一次の最後の年代です。
5教科7科目1000点満点で、国公立志願者のみが受験し、
私学は国公立と併願の場合、推薦は受けられませんから、本学の一般入試に奔走しました。
共通一次(センター)は1月、私学は2月、国公立は3月でした。
全て国公立受験という事はギリギリまで諦めず人が春休みで遊んでいようとコツコツ勉強していた、春休みも夏休みも冬休みも無かった人生を指します。
阪神淡路の時はセンターの日程がまだで壊滅的な状態で皆が受験に行かせてくれた環境を背に孤軍奮闘していました。
普段から実直です。
だからこそ、手抜きに慣れていないし、不器用です。センターは出題範囲が広いので山を当てる行為なんぞ通用しません。(センターはほぼ満点でないと本試験だけでは難解過ぎて差がつかないからです。)
だから常に学術的に証明された真実だらけの世界に生きています。
必死な人ほど人の足をひっぱる余裕も発想もありません。
だから、流行とか風評とかに敏感な人を見て私は驚きを通り越してパニックを起こします。
テレビ見ながら勉強しては私は身につきません。
気分転換に夕食の下拵えを手伝い、時に『あれ?たけのこに白いのついてる』ってなって、母が「アミノ酸じゃないの?」とかいい加減な事言ったりして、
『え?アミノ酸?だったらペプチド結合じゃん!アミノ酸になるまでの変化の過程の構造式、絶対化学の有機化学で出題される有名問題じゃん!書けるかな…たけのこ切るのちょっと待ってて!』とかね(笑)
たぶん今より確実に一分一秒を命懸けで生きてたね。
両親や親戚(特に苦労が多かった父方)には期待をかけられてた。
結局ダメだったやん、というのは母方で、病弱でさえなかったらあの子は真面目で勉強が続けられたのになあ、と言ってくれるのは父方。
父が亡くなって双方の親戚のおばたちの風評を『そういう狭い目先の見方やなくて、広く客観的に五年先を見通しながらこの子を見ないと』と、たしなめてくれたりするという意味で私は守ってくれる人を失いました。
なんだかんだ、で、女性は同性にキツいです。
社会学者の上野千鶴子先生によると、それはまんまとジェンダーの罠にはまった結果だと仰ってますが、学の無い双方の女性たちに上野千鶴子先生の話をしたら僻んで歪んで意地悪されるから(笑)
そういう社会の歪みからくる歪んだ人格が私はどうしても怖くて、あまり頻繁に関わると精神が破綻してしまうのです

震災への意見の仕方も使われる語彙も下地になる感性も、まんまと、みたいなものが散見されて、混乱して、私自身トラウマが封印していたはずなのに噴出してきて困りました。
まあ、現場に没入して冷静で居られたりすると、また奇異な目で見られるけれどね、
事実、古い世代の親や親戚だから、封建的だし、DVがありました。飛び出た先でもDVがあったので、私はいつしか究極に追い込まれた時、つまり命の危機を感じた時は乖離のスイッチが入ります。自ずと自分が自分を乖離させて自衛していたのでしょう。
その生育が、自閉的であっても震災などの時はシャキン!とする源になっているのかもしれませんね。
9.11の日も同じ保育園に通っている、おそらくヤクザの女をしている母子家庭のお母さんに難癖つけられて、お金を脅し取られそうになって、玄関先でまだこんな小さかった息子と土下座して解放してもらった日です。
家に帰ると自分の思い通りにいかなかった日は、荒れて息子さんを虐待していたそうで、逃げ出したかった息子さんは私のようにやり過ごすのではなく、出任せに知っている子の名前を言い、母親の怒りの矛先を他人の子どもさんにしていたけれど、選ぶ相手は同じシングルマザーの家。
なんだか生き方があまりに違って悔しくて情けなくかったです(T_T)
あの経験も、母子家庭だけれども、博士課程に挑戦して変なレッテルを貼らない貼られない自分になって、子どもを育てたかったのです。
ま、年配の方だったり、封建的な価値観の方々からのレッテルを貼られる事は、なくなりませんでしたけどね(笑)
何やってんだ、社会!とは思います。
はい、なので、集団心理は嫌いです


