去年の今頃何してた、っけ。と、画像フォルダを見てみた。
思い出すのに違和感が無いものばかりじゃない事に気づいた。
一年前のタイムスタンプが押されているのに、私の中ではその画像だけ、何年も前のその時期の感覚にしかならない。
とすると、一生懸命感覚を研ぎ澄ませていても(実はいつまでも感性に敏感で繊細で性格で緻密でありたいと願って内緒で努力していたんだと思う)、この有り様に愕然としてしまった。
所詮私の記憶の精度は、リアルの時系列データでソートしたそれの、完全ではなく、しかもかなり乖離した位置付けがされる特質を持つんだ…と。
ほぼ完璧なのでそっちを安堵すればいいものを、実家では幼少期から少しでも欠損しているところを揚げ足をとるように執拗に責められそんな事もできないのか、とバカにされてた事がトラウマで、僅かな欠損部分や不具合が命取りのように怯えてしまう

両親は地元では優秀な人だったらしい。
ある意味とても素直な人で、世代が代わり娘が似たような勢いで伸びてくると、自分が諦めた要因が無い事を自分の誉とせず、ただの嫉妬となって、いざというタイミングでトラブルがあったりした。
前の記事に書いたけれど、両親ともに目上のものより辛抱した過去がある分、自分に目を引きつけないと、両親それぞれなりに実家での立つ瀬のようなものが失われたのだろう、
私は娘なのに容赦なく邪魔された。
二人とも寂しがり屋過ぎて娘であれども成功を妬み巧みに邪魔をした。
おかしいな~、なんで、こんなトラウマが噴出するんだ?
う~ん


私は頑張っても頑張っても『なぜ百点じゃないんだ?』
と責められ、
ある日、学年で99点で数学で学年でトップを取ると、『女の子なのに可愛げがない』と言われたなあ。
ま、立派なバインドですね。
心理学者の國分先生もそういうお育ちをされたらしく、何冊も拝読させていただいた。
そのような今でいう毒親であっても子どもからすると命を握られているので、迎合するしかない。
そのような家庭に育った子どもにとってもやっぱり震災で親を亡くした事は、嫉妬深くない親を亡くしたのと同じ心理になるのだろうか…。
人が生きる間、心理はずっと影響があって、何代にも影響がありもするから、○年経ったから、って心理は風化するものだろうか?
風化するのは心理ではなくて、マスコミのそれにさく時間だったり、行政の財源計画…う~ん…お金?
お金に魂を売るの?
ボロは着てても心は錦、だと信じてる私は救いようの無いお馬鹿さんなんだろうか?
不思議な興奮状態だなあ。
安定剤効かないし。
鎮魂でいたかったんだ。
鎮かに思っていたかったんだ。
京都、人が多すぎ



