多様な要件が本当に山積です。
どれもこれも命に関わる事なので必死です。
加えて自分の素養…常時パニックでも仕方ありません。
私の父は4歳で母を、19歳で父を亡くしました。
子どもにとって、母というのは宿った場所であるからこそ、特別な感情があると思います。
父は妹が生まれた直後に母、私にとっては祖母を亡くしています。
幼いながらに妹の面倒を見て来ましたが、その妹も小学生に入って間もなく祖母のもとに旅立ちました。
だからでしょうか、命や障害に理解がある人でした。偏見や差別を酷く憎む人でした。
誰とでも分け隔て無さ過ぎて母は困惑する事がよくあったようです。
その父が亡くなって久しいですが、もし東日本大震災を知っていたら、もし従兄の自死を知っていたら、どういう行動を起こしただろう、と思います。
きっと晩年のように周りを押し切って体調をおして貢献したと思います。
私はきっと自分の事や子どもたちの事は父には言わなかったと思います。
父の代わりのような指導教官に見つかって病院に連れて行かれた今ですが、
もし父が生きていても無理をして世の中に貢献していたでしょう。
子どもが生まれて初めて、私は医療機関の人から『自分を大切にする事=子どもに頼られる事=生きる事』を言葉でおしえていただきました。
ICUに搾乳に来てくださった当時の看護婦が耳元でおしえてくださいました。
それ以降も何かあるたびに、実の子どもを先ずは、と意識させられました。
私は生来、家族以外に尽くすからです。
父と一番似たのは姿形ではなく、そういうところ。もちろん家族の具合が悪い時は家族優先ですが、普通にしていられる時は外の困っている人を見つけてしまうと、飛んでいってしまうのです。
だから、私自身にドクターストップがかかっても聞いてませんでした(笑)
絡まってヘンテコリンですかね(笑)
今日も少し自分の好きなものでも買って来たら?と息子に言われて直ぐに解らなくなってしまったのでした(笑)
あのあと暫く外的環境にパニックを起こして公共の場にいる事自体に耐えられなくて困りましたが、
『お姉ちゃんお肉食べたい、って言ってた、っけ。息子君も欲しそうだった、っけ。味付けどうしたら喜ぶかなあ。』って思い始めたら、
落ち着いてきたというか、今するべき事が明確になって、落ち着いてきました。
実際には関西は殆ど揺れてないけれど、繰り返される映像がPTSDになる事は当初知られていなかったようで(児童精神医学は仕事での専攻以外にライフワークとして学んで来ていましたから私個人にとっては既知でした。阪神淡路大震災の直後の子どもの描く絵は当時有効なデータとなりました。)、
被害に遭われた方々の事を思うと何度も何度も流されても目を逸らしてはイケナイと見つめていましたし特に行動を共にしていた息子には映像から何を人として掴み取るべきか、を命の先輩として伝達していましたが、
実際には私は当時発達障害からの二次鬱病がかなり酷い状態で診察が無いと病院にも行かないし当然薬も貰わないし、というかなりの引きこもりで、映像の世界だけが実際に自分の全てだとも言えた時期でした。
食べるものが無いと聞いて自分は食べられなかったし、寝床で休むのも出来なかったです。
阪神淡路大震災では従姉が西宮で被災して当時は携帯がなくて、報道も速くなくて、それこそブログもツイッターもフェイスブックもなく、固定回線を皆が想像力を駆使して救急などに優先的に使っていただいて、周りの被害の少なかった地域は我慢していましたし遠くからは時間が今の感覚より膨大にかかるので同じ被害に遭った中で軽症な地域から絞り出して支援していましたよ。
当時、関東、東北、北海道、九州、沖縄の皆様にどう報道されていたのでしょうね。
オリックスが自ら『がんばろう神戸』って。イチローさんもまだいたときで。仰木監督がいらして。関西のミュージシャン集まって。そうそう、KinKi Kidsの光一君の実感大変でさ、ジャニーズの皆さん行ってくれた。
阪神は都会だけれど山と海に挟まれた狭い部分にしか鉄道も道路もなくて、都会だからこそ高速が大病院が、高層ビルが、主要電鉄会社が3線とも歪んで復旧出来なくて、都会なのに救急車両が通れなくて。そうしてやっぱりネットが一般に普及していなかった。
東日本から五年、忘れるはずはないです。阪神淡路、忘れられませんもの。
今よりうんと不便な当時の救済ノウハウが今活かされているのだそうです。
人生なんて大変な時の方が多いんだから、逞しく生きて、いざという時に何も便利なものがなくても生き延びるサバイバー的な力を身に付けて伝承したいね。
もし、お金を使うなら、これ以上便利にしなくていいから、日本で一番普及していない回線の場所を無くす底上げに使って欲しいと思います。
私は理科系だけど、派手な最先端の工学物理ではなく、太古の昔からずっと考え続けられている数理哲学が本職ですから。
結果を急ぐ必要が無いのです。
小さな事から、ではなく、小さな事をずっとコツコツと、って感じです。
困った時にあるもので支援するのは当たり前。
見返りを求めないのも当たり前。
人が必要最低限生きるのに、そんなそんな高額な何か、とか、ブランド、って必要無いもの(苦笑)
仮説住宅の中の家財道具の方が家より豪華なものばっかり、って映像の時がある(苦笑)
ほら、家はひとり親家庭で、私が障害者になっちゃったから。
復旧…無いんだよね、そういう意味では。
だから、復旧する可能性があるところに支援できた方が甲斐があるじゃないですか。
あれ?やっぱり絡まってる?
まあ、とにかく、発達障害は自閉症スベクトラムなので、ショックな出来事は、海外の事件でもトラウマになります、自分の事のように影響が増幅してしまって、驚いてトラウマになるから。
それでもボランティアやりたい!
のはやっぱり私より若い人が私より先に逝ったり、苦しんだりする必要が無いと真剣に思っているからだよ。
その気持ちだけが、私を動かして、人様への活動時間が終わったら、倒れてる…
そんな人生なだけだよ。
別に賞賛は要らない。ただ、こう生きてる人間がいて、『うん、いいんじゃない?』は、魂の居場所が貰えるみたいで嬉しいかな


ではでは。明日も歌唱練習で~す
