やっと、
やっと、
気づいたのかも!
小さい頃のお留守番に始まり、
学校や仕事に行く以外は、
外に出なかった?ううん、出られなかった。
勉強も仕事も時間がかかる緻密なジャンルだったから、
朝日が出てる間に外に出たことが無い日々ばかりだった。
だから、誰かの稼いだお金で、
自分の楽しい趣味に外に出たり散財できる人が、
凄く凄く羨ましかったんだと思う。
地球人と宇宙人くらいの差を感じてた。
働けど働けど節約せど節約せど届かなかったそんな生活。
今の合唱団も一月2700円だもんね。
それで二時間が四回、三時間が四回。
2700÷20だから、一時間135円だよ(笑)
それ以上になると後ろめたい…
実際にこの手で稼いだお金で子ども達になにかしてやりたい。
一生懸命働いたり手にした奨学資金を大学進学や就職準備にしてやりたかったけど、
色んな偏見や心無い事で心を病んでしまったケアに使いきりました。
だから、かつての努力した方向で上手く行っている人が羨ましく思ったのだと今気づいた。
決して届かなかった人生。子ども達に申し訳ない。
だけど、やっぱりヘンテコリンで、人は外に支援するけれど、
偏見や意地悪で窮地に立った身内への支援をしない。
震災でショックを受ける事は認められて、
非道な事をされたトラウマは認められず更なる偏見にさらされ続けなければいけないなんてオカシイよ!!
ほんと人道的以外に散財するの、ってオカシイ!
そういう意味では進学に使えなくなって、私の中では矛盾が無くなった。
堂々と出来る。
病気のケアに使えたんだから。
私の場合の進学は恒常的に男性並みの収入を得ないと身内のサポートがないので生きられなかったから。
学んだ内容も同じデータ工学や人工知能でもホスピタリティに重心を置いていたもの。
だから認知心理も発達心理より以上に病児心理を重んじた。
だから私の中では矛盾が無い。
だから狡い事も小賢しい事も小手先な事もない。
羨ましがる事は無いんだ、無かったんだ、と今やっと気づいた。