急な事だったし、負荷のかかる事だったから、ダウンしちゃって、正直逃げたかったんだと思う。
でも、息子の事だから。
私らしく素直に真摯に向き合おう。
情報が錯綜して混乱困窮していると素直に真摯に申し出よう。
鎮かに噛み締めて。
相談した身内にね、『どんな事情があれど出来て当たり前。知った事か。』って言われたの。
別に丸投げした訳じゃない。何か方策知らない?思い出してみて?聞いた事ない?って訊いてみたかっただけ。
だけどいきなりのそれ。
私が子どもの頃から『そんなに困ってるなら、どうにかならないか一緒に調べて探してみよう。でも当事者は自分なんだよ。』が一切なくて、
『解らない事や手間がのかかる私の徳(利益)にならない事を持って来るな』といきなりのシャットアウトだった。
それで自力で頑張って何かに辿り着いたら、ズルをしたんだろう、と決めつけて、やがて寝食を忘れて努力して形になってきたら、今度はそれを自分に貢ぐように、私が意識の無かった頃の世話や、どうしようも無かった事を種に近寄って来た。
思い出した…
だから相談とか弱みを見せられないんだ、身内には。
だから、明日、私は、『そんなに困ってるなら、どうにかならないか一緒に調べて探してみよう。でも当事者は自分なんだよ。』って、息子と一緒に考えて行動しようと思う。娘にもそうしてきたつもりだけど、改めて自省しようと思う。
そんな覚悟というか、意識をはっきりさせる思考と向き合うために、一旦物理と論理を切り離す(=休息)したんだと思う。
私は身体は病弱だけれど、思考や思い遣りなどの芯は限りなく強くありたいし、なりたいのだと思う。
身内他人関係なく困窮しているいのちに注げる愛の持ち主になりたい。
かつて棄てられたからこそ、あんな想いを、特に子どもたちにはさせたくない、と強く祈るように願っている。
偽善にならないように、精神を統一して真摯に向き合おう。
長文失礼しました。