昨日、大ショックな事がありまして。
いずれ書けたら書きますがPTSDを自認しまして。
酷く心が痛んで合唱団の練習に行ける状態ではなくなってしまいました。
悔しいし悲しいし情けないけど、本当に酷い言い方をされたのです。
PTSDなので、それに触れて傷が疼いたら、なかなかおさまりませんでした。
昨日1日様子を見ても、意識して穏やかに前向きにほんわか自分に向き合ってみても、まだまだ尾を引いています。
息子は気丈に『いくらなんでも、心や背景を考えた時に、その言い方はどうかと思う

私は幼少の頃から余りにショックを受けると萎縮して固まって心が閉じてしまうのです。
そうして一方的に上下関係を形成され、下側に常に暴言や威嚇で脅されて位置されて来ました。
一日中様子を見ても後遺症がおさまらないので、敢えて安定剤を服用して積極的に、脳活動(思考活動)にお休みを与えたいと思います。
錯乱しきってしまって、これから、まだ若すぎる子ども達にお世話してもらうわけにはいきません。
精神安定剤に対する偏見を強く持つ周りの人に服用の事実も嫌悪されていますが、
では私が酷く傷つく言動を制止してくれるのか、その間代わりに家族をケアしてくれるのか、というと何もしてはくれないので(その人自身も感情的に暴言を吐き私がターゲットになる時がある)、
私は主治医との知的な信頼が既に構築された関係において服用します。
今日は出来るだけ身体も心も休める日。
傷つけ、傷に塩を塗った自覚も無い人の心の繊細な機微に対して鈍感すぎる人の概念になんて染まってたまるか

息子曰わく『言わせておけばいい』。
精神的にかなり逞しくなって来てくれて有り難う。