悩ましい?混乱? | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

どのような言葉が感情に追いつくのか皆目解らないまでも、できるだけ近似した語彙を用いてみました。



きっかけは昨日の買い物です。


息子のパーカーを買いに行きました。

彼は肌に触れるものには拘りが強く、特にパーカーに関しては、必ずユニクロしか求めません。
そうして、生地の素材、柄いき、発色、ファスナーの噛み具合、着心地、これら全てが揃わないと、拒絶します。

それでも家庭の経済状況を知る息子は最近は柄と発色については考えないでいてくれていました。

それでも流石にきたきり雀になってきたので、と、訪れたところ、探すまでもなく、マネキンが着ていたパーカーが息子の求める全ての条件をクリアしていたのです。

息子は喜び勇んで、普段できない、自ら店員さんに声をかける、という事ができました。

『あのパーカーをサイズ違いも含めて試着してみたいのですが、どこに置いていらっしゃいますか?』と。


これまでは身体のラインが見えるのが嫌でなんでもダボダボを求めていたのですが、折角スタイルがいいのにもったいないな~、という長年の私の呟きを聞き入れてくれたのか、サイズ違いを試して姿見を見てくれました。

息子は自分が苛められて以来、全く鏡を見ようとしませんでしたから、驚きが幾重にもあって、私は驚きを通り越して、ただただキョトンとしてしまいました。

それでも息子の幸せな様子を見るのは本当にほんわかふわふわじんわりあたたかく幸せなので、ヨカッタです。

…と、その時、記憶が蘇りましたあせるあせるあせるあせるあせるあせる


私自身には両親は揃っていました。
サラリーマンにしては、弟が生まれてからは、ヘッドハンティングの連続だった父なので、経済的には貧困では無かったように思います。

しかし、両親とも、生育上のトラウマがあるのか解りませんが、私は中学を出てから、進学校に通いながら長期休暇に塾の採点アルバイトをし、その時に貯めた薄給で日々を過ごしていたので、おこづかいもなく、下着すら自分で買っていました。

けれど困窮しているシングルマザーの私は、片親だけでもいるんだから、子どもには自分よりお洒落して欲しいし、ある意味自分の勝手で生んだんだから、出来る範囲でどうにかしてあげたい、という思いが強いみたいなんです。


次から次から思い出しちゃって辛いです(笑)

父は大枚で自分のブランドスーツや彼女と遊ぶ事に使い、家には殆ど帰って来なくなりました。
生活費(三十年前の三十万)を中学あがりで父の職場に遊びに行くフリをして家に持ち帰る役目をしていました。
当たり前ですが、そのままビクビクして持ち帰り、全て母に渡し、母は寂しさを紛らわすように習い事をし、お茶の道具も着物も揃えて行きました。
母の事ですから、息子の感覚ではなく、著名なものを求めるので、お椀もお茶の道具も着物も相当高価なものだったようです。

私にはそれをしてくれた事はありません。

…それがフラッシュバックされて、でも心は少し麻痺していて、『なにがなんだか???』と、ただただ自分の中で辻褄が合わなくて、呆けて帰って来ました。


これが事実なんですけれど、心が麻痺して、ただ余りの乖離に、整合性がとれなくて、リケジョ((数>学者のはしくれ>としては、混乱を通り越して、もう何をどう受け止めればいいか途方に暮れているだけなのですが、

カシオペアの野呂さんファンがらみで、連絡をしてきたあっこちんさん、という人は、このたかだか『事実(事象)』について、しかも私の超個人的な生育体験なのに、

『親のせいにしている』と猛烈に突如として糾弾する語彙構築のメッセージを送って来ました。

だからトラウマという演出になってしまうのだと思いました。

私は『超越摩訶不思議』と書いただけで、より具象的に読む人が理解しやすいように、数理専門用語以外で、なおかつ付随する感情をはぶいて、事実だけを書き、『今はただただ超越摩訶不思議』と書いただけです。

感情を抜いて事実を書いているのに、なんで『~のせい』という解釈になるのか、これについても超越摩訶不思議なのですが、

あんな簡単な事実すら歪曲理解してしまう人だから、近寄らない方がいいと察知判断し、更にお返事には理路整然を尽くしました。

すると今度は更に紛糾されました。
自ら自らの判断に基づいて絡んできたのに私が自らの思う展開にならなかったのが気に入らないように映る総合的な語彙と文章構築でした。


大変失礼とは思いましたが、出身校を調べさせていただきました。

事実として会話が噛み合うには難しい偏差値の開きでした。


私は養老先生の言葉を信じたくなかったのでとても残念でした。

両親も、まあ、父はそこそこ話は出来ましたが、残念ながら大学院に行って以来、そこで飛び交う語彙の大海を住処にしてしまったのでしょう、自分の文章に酔いしれる人も見極めがつくようになってしまいました。


つまり…

自分だけの論理がまかり通る自分だけが正しくて自分だけが中心の場所にいるからこそ、感情を冷静に客観視出来ないし、他人から学ぶ事を拒否しないと保てない人たちだったんだ…


要は、親より、子より、誰より自分がいつ何時も最優先な人に囲まれていたんだと、そう整理がつきました。

整理がつくと、呆気も直ります。

たまたま肉親だっただけなんだと。