わからくなくなっちゃいました②。 | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

おそらく自分と言うものを潜在下に強く封印するんですよ。「本当の私は違うの!解ってよ!!!」と叫びたい気持ちまでも封印してしまう。良く無い意味で諦めてしまうんです。

そう、鎖に長く繋がれた動物がいつしか自分から逃げる事を忘れるように。

ちょっと具体例を出します。土曜日に息子が通信制の高校のスクーリングをしました。通っている学校は土曜日がスクーリングの日です。

大好きな遊戯王のゲームを知り合った同級生の男子とする事になりました。その相手の子はアマチュア将棋かなにかで日本一になったとかどうとかなんだそうです。一年前の事だったと思います。

息子の通っている高校は私学なので、インターハイでもなんでも宣伝になる事は大きくアナウンスします。そりゃそうですよね、生徒が集まってくれないと、学費でもうかりませんから。←大人の事情。

で、本当にその相手の子をちやほやしたんですよ。猫も杓子もみんなでちやほやしたんですよ。その子、申し訳ないけれど、真に受けたというか、本気で調子に乗ってしまったんだと思うんです。

将棋と言えば、私の世代でいうと、羽生名人がいます。10代で奨励会の推薦を受けられるというとんでもない天才の出現を目の当たりにしてきました。今でも現役で活躍していて、実際にMRI画像を撮りながら駒の読みをしていただくと、とんでもないデータがとれたことは耳に新しいと思います。

で、相手の子は遊戯王はしばらくしていなかったようなんです。遊戯王はシリーズがもう幾代もあって、その都度その都度ルールが改変されます。世の中の動きが速いので、それに合わせてルール改変も速いです。これは発売元のコナミさんに確認を取りました。そうでないと遊戯王のカードゲームで遊んでくれる人達全体のバランスが取れないのだそうです。(世界大会もありますよね。)

将棋でちやほやされた相手の子がその成果をぶらさげて戻って来ました。当時とはルールが違います。なんなら将棋と遊戯王のカードゲームは別物です。

それで一度息子と対戦した時に、自分が今に適応できなかった事が、将棋の成果があってしまったために自分で許せなかったんでしょう。先週の土曜日のそれは遊戯王のカードゲームで対戦して遊ぶ、というよりも、いきなり反則技まがいの事をして、息子をコテンパンにし、挙句の果てに、口にするのもはばかる汚い言葉でディスったのだそうです。

☆注:ディスる⇒(現代語)「相手を見下し、言動などで相手のことを軽視、馬鹿にし、はずかしめる」という意味。英語としての語源は、「(ディスリスペクト )disrespect」という単語で、
これは「無礼・不敬」という意味です。この単語を略したものが「ディス」になり、動詞的に「ディスる」という風にネットでは使われているようです。


私は言霊を信じるというか、言葉には概念や信念がアイデンティファイ(IDENTIFY)、つまり大切な意味を持っていると考えている人間なので、どのようなシチュエーションの時に、どのような言葉を選び、どのような抑揚で使うのか、吟味する必要が言葉を遣う者としての「責任」としてある、としています。

事実、上の行為に、息子は痛く傷つきました。あれから寝ていません。症状としては「どうやったらあんな卑劣なやりかたに対抗できるのか」を考え抜いていたようです。私としては「無視しなさい」という感覚だったのですが、その手法も息子の哲学にそぐわなかったようで、ウンウン、もうそれはそれはノイローゼになる程に寝ずに悩んでいました。(私もその都度その都度「こうしてはどうだろう?」「お母さんどう思う?」「気付いたんだけどどう?」と聞かされていたので、眠れず睡眠障害となり、うつが酷くなっています・・・)

それで、満を持して、発売元のコナミさんに連絡を取ってみました。どうして息子が想定する発売方式とマテリアルの揃い方がなされていないのか?という質問形式に、表面上はなってしまいました。私も厳しく「もう大人の事情をお話し下さい。」と訊きました。

根気よく、担当の御姉さんは対応してくださいました。長い話に耳を傾けてくださったおかげで、息子が本当はルールやカードの市場枚数に疑問を抱いているのは表層的で、実は相手した男の子にディスられた事実に大変傷ついているという事が顕在化されました。

息子は自分の文書構成力に自信が無い人間です。具体的には、現代文Bや時事問題という科目において、長文回答で自分の意見を述べる事に躊躇します。理由は私と同じです。「こう言ったら変に思われるんじゃないか」です。

日本人は良くも悪くも奇異なモノをあげつらいます。希少価値としてくれる時もあれば、疎外の種にする時もあります。同じ対象に掌を返すことも往々にしてあります。それが風評であったり、流行りであったりします。流行りの場合は、「流行りに乗れていないのはイケていない」などというくだらないものに騙されて、心無い手のひら返しを当然のようにします。

(つづきます。)