たぶん、こういう事は、二次障害の冬季うつの時期に頻発するんだと思います。

考えがまとまらない場合もあるし、全く「無」になっちゃうときもあるし、「書きたいことはあるけれどそれを書いてしまうとまた酷い言われ方をするんじゃないか」を過剰・異常に気にして自分を納めてしまう場合もあります。

これらの状態を総称して、私は「わからなくなっちゃった」と表現する事が多いようです。同じ「わからなくなっちゃった」にも、色々種類があるんです。どなたもそうだと思いますが。。。(そう思いたい、という意味です。)

けれど、現実において、私がとても傷つく時は、先方に、「一様に」こんがらがっちゃった、とだけ理解されちゃう事。私にすると、機微を十羽ひとからげ、というか、芸術的に細部にまで拘った粘土細工を、バンッ!!って潰されて、元の粘土の塊に力づくてされちゃったみたいに傷つくんです。

だから、そうそう立ち直れないのです。それほどショックを受けます。それが「私の」発達障害のというなら、そうなんだと思います。

私はもしかすると変わっているというか、普通でないというか、閾値を超えているというか、もし、なにがしかの分けられ方をするのなら、レアとか例外とかいう区分にグルーピングされてしまうのだろうなあ、という自覚がありますから、パッ!!!と思いついた事をそのまま表現する事は滅多にありません。

それは幼少の頃から経験を経て身に付けた所作というか、生き方なんだと思います。

著しい知的障害を伴わない自閉スペクトラム領域の人間は、「自分が思った事をそのまま素直に表現したら周囲の気分を損ねる」ということが実は解っています。

物ごころついてからというもの、「こう言ったら喜んでくれるだろうな」「こう行動したら喜んでくれるだろうな」って解っていて、自我は押しこめています。そうして押しこめているそぶりも見せません。そういう意味では本当に素晴らしいアクターです。

気付かない親や大人が多いんですよね・・・この事実に。

いくら「ねえ、だいじょうぶだから本当の事を言って」と親や大人が頼んでも、「本当にそう思ってるんだよ」と、墓場まで持って行くでしょう。

私はそれをしていた事に自分自身が騙されていたようです。人生の節目にその事に気付いては「またやってる・・・性分かな・・・」と、精神科の通院を振り返るんですが、すぐに忘れてしまって、また周りがそれでバランスが取れるような秩序あるための、本当にそんな役割を自分に強いて、それに染まり、信じ切って演じきってしまいます。

そうして知らぬ知らぬのうちに、精神を蝕んでいくようです。

(長くなったので分けますね。)