ちょっと、訳があって、根底では記憶の正確さ…たぶん記録するみたいにしてた。
合唱団のキャロリングではね、ご自身の親御さんくらいのおじいちゃまおばあちゃまに歌っているかのような団員さんもいらしてね、
客席に目を向けたら親に見えて仕方ない、と、涙ぐんでしまいそうになる自分を奮い立たせていらっしゃいました。
私は同年代より早く親のケアを体験したので、胸がつまりました。
周りからも私が一番可愛がられていたと言われた、その父が、実際は周りの誰より早くに私を消してしまいました。
ショックでしたが、本人がそう思うのならそうだろう、と、その時々に応じて間違えている人を演じきっていました。その事は誰にも言いませんでした。ショック過ぎて言えなかったのです。父の中に私はいないのだ、と、そう覚悟してのケアは厳しかったです。
それをなんだか吐露してしまいました。今でも親の歳でお歌をされている方に。
すると、『一番近い、と思ってる人から忘れる、っていうじゃない』と言っていただきました。
私は聞いた事が無かったので、ビックリしましたが、なんだかとっても救われました。
自分のした事がどう、ではなくて、私の存在そのものをあの時、父の記憶のタイミングで消し去っていた部分があったからです。
それからは心臓は動いているんだろうけれど、私の存在はどこかに行ってしまっていたようです。
そんな事を思ったりしました。
では行ってきます
