私は自分のマイナスの点(ここでは社会的に偏見を受けやすい点という意味です)を恥じることは無いと、思っている人でした。
事実として父は暴君でした。それに耐えるのもかつては妻の仕事とされていた時代もありました。
しかし、母も大切な祖父母の娘です。大切な人の身体やこころを傷つけていいはずはない、殻を分厚つくせざるをえなかった程に先制攻撃する人の方に問題があると、ずっと思って来ました。
奇しくも、離婚の時には、材料を用意(というか勝手に元配偶者が借金や、女性問題や、暴力をしたので、知識に基づいてメモしたり病院に行って診断書が取れるようにしてあっただけの話です。sのような人のところに大切な乳幼児を預けられませんから。)していて、裁判に持ち込めました。
預けた保育園がたまたまカトリック系で御自身は独身を通された園長先生がマザーのように関わって下さった事がきっかけでした。それ故、男性(社会)に迎合する事はありませんでした。しない、できないからといって、報復を受ける筋合いはなんら無いのだと、教えて下さいました。
離婚裁判は、まず家庭裁判所から始まります。当然調停になるわけですが、不履行になります。その最終診断の際に、やっと調停員ではなく、弁護士が数人入るのですが、おおよそ暴力的攻撃的な人は幼少のころからそのような兆候があるようで、履歴をうんと遡ると警察に補導履歴があったようです。
そうなると少年審判の延長にもなるので、未成年がおかれた生育環境に配慮する、という意味で、材料提供を求められます。事実を申し述べます。そうして表向きは離婚の家庭裁判から地方裁判に移行したのですが、私はもうおびえてしまってどうにもならなかったのもあって行きませんでしたが、
弁護士からハッキリいわれたのは『奥様はこうして学識がおありで、私たち専門職の人間とも言語コミュニケーションが出来ます。しかし、ハッキリ申し上げて御主人は、その技術を生育上修得できる環境にありませんでした。それ故、学識のある人は全て自分の事を理解してくれない、話を聞いてくれないと思い込んでいらっしゃいます。その思考を立ち直らせるといいますか、”決してそうではないんですよ。おびえなくていいんですよ。”と解ってもらう裁判になります。』ということです。
具体的には結審に至るまで何度か裁判が行われるのですが、私が先に入廷して、話をしてあるという事にして、実質は元配偶者の時間だけを取ります。そうして、
裁判官や互いの弁護士が裁判の回数、彼に与えられた時間の分、ずっと彼の相手をします。
日本で代表する権威も学識もある人がこぞって彼の話だけに耳を貸す時間を物理的に作り実際に時間をかけて体験してもらうんです。そうして時間をかけて彼の心をほぐしていきます。
それでもどうにもならない悲しい結果になる人も多くいます。それだけ幼少期の生育環境はその後に影響があると、現場では解っているのです。
私の場合は運よく?離婚に応じてくれました。もちろん裁判を持っているという事だけでも心労が激しいので、私への慰謝料はいいから子ども達へのケアは、という事だけを条件にしました。
けれども裁判で判定が下って離婚になっても彼は養育費は出しませんでした。彼自身、母親が未婚の母だったのですが、相手はある会社の次期社長で、彼には罪は無いと何かことあるごとにある程度の融資をしてもらったそうなのですが、母親が使いこんでしまっていました。彼の母も助けないとイケない人だったのです。
そのような連鎖状態の環境に、大切な小さな命をふたつおいておくわけにはいかないと、私は司法を頼りました。頼りましたが、実際にされた事は、元旦那へのケアです。裁判費用は私が捻出しました。扶助協会で貸与していただき、完済するのに時間がかかりました。最後の彼へのプレゼントだと思って、これで立ち直ってくれたら、と、専門家に力になってもらった、という訳です。
それでも無しの礫でした。その方が居場所が解らないのでよかったのですが、娘が成人した今年の初めにFBで偶然居場所をつきとめられ、ひとこと「ずっと探していました。謝りたかったです。ごめんなさい。」と来ました。私はそれまでされた暴力のPTSDがまた出て来て、今の居住区の警察に飛びこみました。傷は全く治っていなかったのです。
尽くしても尽くしても尽くしても、ダメな事があるのだと、改めて解った事でした。悲しいかな、誰にもどうにも、どんな専門家が現れても、時間をかけても、どうにもならない事があるのです。
若いころの私は、彼の生育の端っこをきき、なんだか変な責任感にかられたのだと思います。でも、それは今となっては若気の至りというか、何もわかっていない、自分の力に実は驕っていた部分がゼロではなかったのではないか?という想いに至っています。
母もそうなのだと思います。若い頃に父に出逢い、それでも当時では行き遅れのように言わたのもあり、なんだか放っておけなくて結婚したのだと思います。けれどもそれは背負うには、父の実家の環境は壮絶過ぎた。普通の家庭で普通に育った母にとってはまさに地獄のようなところで孤軍奮闘していたのだと思います。
もう、そんな結婚、見て居られなかった。だから、高校生の時、貧乏してもいいから、学歴要らないから、別れてはどうか?と言ってみました。母は、喪失に耐えられなかったのか、私の学歴や将来を盾にしました。この時に「ああ、母は、弱くて、こんな状態の時も、娘や息子の将来のせいにするんだ。」と思いました。
それからも散々な家庭環境でした。そんな家に身体が悲鳴をあげました。見事に摂食障害を発症しました。父と母とが矛盾しているので(本人の中でも矛盾しているので)どちらともつかない葛藤になり、それが子どもたちの心を蝕んだのです。
この時の体験も私が「もし父の様な素養をもつ旦那なら迷わず離婚して、価値観の統制をはからないと精神がおいやられ、正常な論理的な秩序ある判断ができない人間になる」と考えさせることになりました。
以来、私は、離婚しても、病児心理や、臨床心理などを病院の医師が教授として講義してくれる単位を履修して卒業認定単位としてきました。修士でも博士でも、認知系や心理系、医学系看護系薬学系など、人間に関わる事や、社会学系の事を、理科系の基盤ではありますが、「一体、人間とはどうなっているんだ???」と、
教育学研究科も医学研究科も経済研究かも人間科学研究科も全部全部文献をあさり、気になれば相手の研究室の研究会に御邪魔し、自分が患者と言う被験者になって臨床を体験しました。
そうして勉強しないで風評にのっかるマジョリティをも理解しました。
誰に言われるでもなく、誰かがやっているからでもなく、なんだか突き動かされる想いで、邁進しました。
それをすることで子ども達を出来る範囲の中で適切な心理状態に持っていってあげて、偏見だらけの外界からのストレスを家では論理的に知識として理解させてあげたかったのです。そうする事が唯一救われる道でもあったと判断したからです。
当然、このような生き方は、マイノリティのマイノリティですから、周りは理解できません。専門家は当然理解してくださいます。勉強熱心ですし、いざとなると機動力もありますし、倫理観も長けています。それだけのことは実際にしてきました。
けれど、普通と言われているマジョリティの人はしない生き方ですから、異端扱いされ、ただでさえ理由のいかんを問わず、離婚しただの、母子家庭だの、経済的に潤わないだの、実家がストレスの根源だと理解しない人からは、「実家に助けてもらえないって何をしたんだ?」という噂になり、本当に心無い言動をうけまくりました。中には勉強する機会さえ邪魔する人もいました。
精神科の研修医が不用意に「人を精神的におかしくさせる、って、知っていると簡単だよな」と休憩時間に同僚と話しているのを待合の詰め所で言っているのを耳にした時は、病棟超に当たる主治医に、本当に憤慨して、「どのような教育をしているんだ!!!患者をなんだと思っているんだ!人を、人のこころを、真に病で苦しんでいる人を、どんなに軽んじているんだ!!!」と糾弾しました。
言っている事が全うだったので、病棟長が直々にお詫びをしてくれました。私は『謝るのは私にではないでしょう???真摯に、おひとりおひとりの患者さんに向き合って下さい。大変なお仕事だとは思います。なかには本当に病気何だか単に我儘なだけなんじゃないか、と怪しい患者もいます。けれども、京大の教員になって、真摯に人間を基礎にした医学をつきつめたお人ならその見極めも実はできているでしょう???』と付け加えました。もっともだ、とおっしゃってくれましたが、
『悲しいかな、現実は、よこしま☆さんのように、真面目で慈愛にあふれた人ばかりではないのです。言い訳に聴こえたらすみません。でもそれも現実であることを、どうか御くみとりください。ただ、この事は研修医の失言を正当化する理由にはなりません。後で厳重に注意しておきますし、教育の在り方を検討させていただきます。』と約束してくださいました。
ですので、今では勤務なさっている病院が京大系列と一般の人が知らないあちこちに点在していらしても、何かとんでもないことがある時にだけ私は実際に怒るのではなく、
『事実として、こういう事がありました。指導教官として、大学の専攻OBとして、医療に関わる人間として、どう思われますか?どういう環境改善をされますか?あるいは放置ですか?とるにたらない事ですか?』と提議します。
それで、あちこちで情報共有され、関係機関の環境は改善されていきます。
その時の先方の態度は、真に頭が良い人ほど、謙虚なので、傾聴型で、『おっしゃる通りです』とバババババ!と環境改善されます。それが患者本位(大切にするという、医師側の一方的な医療を押し付けないという意味。)の医療に繋がっていくのです。
さて、これらの事を書かずとも、私のしている事や私の資質をご理解いただいているとも思っていました。語彙や文章にそれらは現れるからです。
けれども、悲しいかな、私は診断上、アスペルガーになっていますが、私が社会的な目線を持って居てはオカシイのだそうです。そうです疎外されるのです。けれども何にでも有意水準というものがあって、私はマイノリティですが、全体の人口の3%には入っているので、「1億人いるとすると、300万人はいる」とう事になります。100人だと3人ですね。30人学級だと1人ですが。
最後のクラスで一人、だけしか体験しておらず、これまでグローバルな体験をしていない人は、視野が狭いので、クラスで一人の感覚でずっとものを言います。日本全体をおおよそ1億人と見ると(同様に確からしいとして、ですが)300万人ですよ???
300万人はマイノリティとされているんです。オカシイと思いませんか?
ここで勘のいい人は(母数によって捉え方が変わるはずでは?)という疑問が生まれます。そうです、この世の中は統計学が真には利かない線形ではなく、離散の世界です。だからカオスなんですよ。
私を線形の世界で判断しないでください。
あー、また、おそらく一般の人からすると長文で堅苦しい?ように映るブログ記事になってしまいました・・・
一度、一般の人でも読める機会がそこかしこに落ちているので、学術論文のうち、良いと評価された論文賞をもらったようなそれを読んでみてください。なんら難しくないですよ。だって、内容に入ってもらわないと内容議論できませんもん。そんな表層的なところで云々いわれては、この世が先に進まないのです。
狭い世界にいるのはどっちだよ!!!!!!
あーあ。。。大学の教授はこんな事、言ったら、きっと上げ足とられて、大変なんだろな~。。。
私は、そうではなくなったので、もうハッキリ発言できますわ。そういう意味でも、分岐して良かったのかもしれませんね。そう思ったら、子ども達の(特に息子の)障害に感謝です!!!
事実として父は暴君でした。それに耐えるのもかつては妻の仕事とされていた時代もありました。
しかし、母も大切な祖父母の娘です。大切な人の身体やこころを傷つけていいはずはない、殻を分厚つくせざるをえなかった程に先制攻撃する人の方に問題があると、ずっと思って来ました。
奇しくも、離婚の時には、材料を用意(というか勝手に元配偶者が借金や、女性問題や、暴力をしたので、知識に基づいてメモしたり病院に行って診断書が取れるようにしてあっただけの話です。sのような人のところに大切な乳幼児を預けられませんから。)していて、裁判に持ち込めました。
預けた保育園がたまたまカトリック系で御自身は独身を通された園長先生がマザーのように関わって下さった事がきっかけでした。それ故、男性(社会)に迎合する事はありませんでした。しない、できないからといって、報復を受ける筋合いはなんら無いのだと、教えて下さいました。
離婚裁判は、まず家庭裁判所から始まります。当然調停になるわけですが、不履行になります。その最終診断の際に、やっと調停員ではなく、弁護士が数人入るのですが、おおよそ暴力的攻撃的な人は幼少のころからそのような兆候があるようで、履歴をうんと遡ると警察に補導履歴があったようです。
そうなると少年審判の延長にもなるので、未成年がおかれた生育環境に配慮する、という意味で、材料提供を求められます。事実を申し述べます。そうして表向きは離婚の家庭裁判から地方裁判に移行したのですが、私はもうおびえてしまってどうにもならなかったのもあって行きませんでしたが、
弁護士からハッキリいわれたのは『奥様はこうして学識がおありで、私たち専門職の人間とも言語コミュニケーションが出来ます。しかし、ハッキリ申し上げて御主人は、その技術を生育上修得できる環境にありませんでした。それ故、学識のある人は全て自分の事を理解してくれない、話を聞いてくれないと思い込んでいらっしゃいます。その思考を立ち直らせるといいますか、”決してそうではないんですよ。おびえなくていいんですよ。”と解ってもらう裁判になります。』ということです。
具体的には結審に至るまで何度か裁判が行われるのですが、私が先に入廷して、話をしてあるという事にして、実質は元配偶者の時間だけを取ります。そうして、
裁判官や互いの弁護士が裁判の回数、彼に与えられた時間の分、ずっと彼の相手をします。
日本で代表する権威も学識もある人がこぞって彼の話だけに耳を貸す時間を物理的に作り実際に時間をかけて体験してもらうんです。そうして時間をかけて彼の心をほぐしていきます。
それでもどうにもならない悲しい結果になる人も多くいます。それだけ幼少期の生育環境はその後に影響があると、現場では解っているのです。
私の場合は運よく?離婚に応じてくれました。もちろん裁判を持っているという事だけでも心労が激しいので、私への慰謝料はいいから子ども達へのケアは、という事だけを条件にしました。
けれども裁判で判定が下って離婚になっても彼は養育費は出しませんでした。彼自身、母親が未婚の母だったのですが、相手はある会社の次期社長で、彼には罪は無いと何かことあるごとにある程度の融資をしてもらったそうなのですが、母親が使いこんでしまっていました。彼の母も助けないとイケない人だったのです。
そのような連鎖状態の環境に、大切な小さな命をふたつおいておくわけにはいかないと、私は司法を頼りました。頼りましたが、実際にされた事は、元旦那へのケアです。裁判費用は私が捻出しました。扶助協会で貸与していただき、完済するのに時間がかかりました。最後の彼へのプレゼントだと思って、これで立ち直ってくれたら、と、専門家に力になってもらった、という訳です。
それでも無しの礫でした。その方が居場所が解らないのでよかったのですが、娘が成人した今年の初めにFBで偶然居場所をつきとめられ、ひとこと「ずっと探していました。謝りたかったです。ごめんなさい。」と来ました。私はそれまでされた暴力のPTSDがまた出て来て、今の居住区の警察に飛びこみました。傷は全く治っていなかったのです。
尽くしても尽くしても尽くしても、ダメな事があるのだと、改めて解った事でした。悲しいかな、誰にもどうにも、どんな専門家が現れても、時間をかけても、どうにもならない事があるのです。
若いころの私は、彼の生育の端っこをきき、なんだか変な責任感にかられたのだと思います。でも、それは今となっては若気の至りというか、何もわかっていない、自分の力に実は驕っていた部分がゼロではなかったのではないか?という想いに至っています。
母もそうなのだと思います。若い頃に父に出逢い、それでも当時では行き遅れのように言わたのもあり、なんだか放っておけなくて結婚したのだと思います。けれどもそれは背負うには、父の実家の環境は壮絶過ぎた。普通の家庭で普通に育った母にとってはまさに地獄のようなところで孤軍奮闘していたのだと思います。
もう、そんな結婚、見て居られなかった。だから、高校生の時、貧乏してもいいから、学歴要らないから、別れてはどうか?と言ってみました。母は、喪失に耐えられなかったのか、私の学歴や将来を盾にしました。この時に「ああ、母は、弱くて、こんな状態の時も、娘や息子の将来のせいにするんだ。」と思いました。
それからも散々な家庭環境でした。そんな家に身体が悲鳴をあげました。見事に摂食障害を発症しました。父と母とが矛盾しているので(本人の中でも矛盾しているので)どちらともつかない葛藤になり、それが子どもたちの心を蝕んだのです。
この時の体験も私が「もし父の様な素養をもつ旦那なら迷わず離婚して、価値観の統制をはからないと精神がおいやられ、正常な論理的な秩序ある判断ができない人間になる」と考えさせることになりました。
以来、私は、離婚しても、病児心理や、臨床心理などを病院の医師が教授として講義してくれる単位を履修して卒業認定単位としてきました。修士でも博士でも、認知系や心理系、医学系看護系薬学系など、人間に関わる事や、社会学系の事を、理科系の基盤ではありますが、「一体、人間とはどうなっているんだ???」と、
教育学研究科も医学研究科も経済研究かも人間科学研究科も全部全部文献をあさり、気になれば相手の研究室の研究会に御邪魔し、自分が患者と言う被験者になって臨床を体験しました。
そうして勉強しないで風評にのっかるマジョリティをも理解しました。
誰に言われるでもなく、誰かがやっているからでもなく、なんだか突き動かされる想いで、邁進しました。
それをすることで子ども達を出来る範囲の中で適切な心理状態に持っていってあげて、偏見だらけの外界からのストレスを家では論理的に知識として理解させてあげたかったのです。そうする事が唯一救われる道でもあったと判断したからです。
当然、このような生き方は、マイノリティのマイノリティですから、周りは理解できません。専門家は当然理解してくださいます。勉強熱心ですし、いざとなると機動力もありますし、倫理観も長けています。それだけのことは実際にしてきました。
けれど、普通と言われているマジョリティの人はしない生き方ですから、異端扱いされ、ただでさえ理由のいかんを問わず、離婚しただの、母子家庭だの、経済的に潤わないだの、実家がストレスの根源だと理解しない人からは、「実家に助けてもらえないって何をしたんだ?」という噂になり、本当に心無い言動をうけまくりました。中には勉強する機会さえ邪魔する人もいました。
精神科の研修医が不用意に「人を精神的におかしくさせる、って、知っていると簡単だよな」と休憩時間に同僚と話しているのを待合の詰め所で言っているのを耳にした時は、病棟超に当たる主治医に、本当に憤慨して、「どのような教育をしているんだ!!!患者をなんだと思っているんだ!人を、人のこころを、真に病で苦しんでいる人を、どんなに軽んじているんだ!!!」と糾弾しました。
言っている事が全うだったので、病棟長が直々にお詫びをしてくれました。私は『謝るのは私にではないでしょう???真摯に、おひとりおひとりの患者さんに向き合って下さい。大変なお仕事だとは思います。なかには本当に病気何だか単に我儘なだけなんじゃないか、と怪しい患者もいます。けれども、京大の教員になって、真摯に人間を基礎にした医学をつきつめたお人ならその見極めも実はできているでしょう???』と付け加えました。もっともだ、とおっしゃってくれましたが、
『悲しいかな、現実は、よこしま☆さんのように、真面目で慈愛にあふれた人ばかりではないのです。言い訳に聴こえたらすみません。でもそれも現実であることを、どうか御くみとりください。ただ、この事は研修医の失言を正当化する理由にはなりません。後で厳重に注意しておきますし、教育の在り方を検討させていただきます。』と約束してくださいました。
ですので、今では勤務なさっている病院が京大系列と一般の人が知らないあちこちに点在していらしても、何かとんでもないことがある時にだけ私は実際に怒るのではなく、
『事実として、こういう事がありました。指導教官として、大学の専攻OBとして、医療に関わる人間として、どう思われますか?どういう環境改善をされますか?あるいは放置ですか?とるにたらない事ですか?』と提議します。
それで、あちこちで情報共有され、関係機関の環境は改善されていきます。
その時の先方の態度は、真に頭が良い人ほど、謙虚なので、傾聴型で、『おっしゃる通りです』とバババババ!と環境改善されます。それが患者本位(大切にするという、医師側の一方的な医療を押し付けないという意味。)の医療に繋がっていくのです。
さて、これらの事を書かずとも、私のしている事や私の資質をご理解いただいているとも思っていました。語彙や文章にそれらは現れるからです。
けれども、悲しいかな、私は診断上、アスペルガーになっていますが、私が社会的な目線を持って居てはオカシイのだそうです。そうです疎外されるのです。けれども何にでも有意水準というものがあって、私はマイノリティですが、全体の人口の3%には入っているので、「1億人いるとすると、300万人はいる」とう事になります。100人だと3人ですね。30人学級だと1人ですが。
最後のクラスで一人、だけしか体験しておらず、これまでグローバルな体験をしていない人は、視野が狭いので、クラスで一人の感覚でずっとものを言います。日本全体をおおよそ1億人と見ると(同様に確からしいとして、ですが)300万人ですよ???
300万人はマイノリティとされているんです。オカシイと思いませんか?
ここで勘のいい人は(母数によって捉え方が変わるはずでは?)という疑問が生まれます。そうです、この世の中は統計学が真には利かない線形ではなく、離散の世界です。だからカオスなんですよ。
私を線形の世界で判断しないでください。
あー、また、おそらく一般の人からすると長文で堅苦しい?ように映るブログ記事になってしまいました・・・
一度、一般の人でも読める機会がそこかしこに落ちているので、学術論文のうち、良いと評価された論文賞をもらったようなそれを読んでみてください。なんら難しくないですよ。だって、内容に入ってもらわないと内容議論できませんもん。そんな表層的なところで云々いわれては、この世が先に進まないのです。
狭い世界にいるのはどっちだよ!!!!!!
あーあ。。。大学の教授はこんな事、言ったら、きっと上げ足とられて、大変なんだろな~。。。
私は、そうではなくなったので、もうハッキリ発言できますわ。そういう意味でも、分岐して良かったのかもしれませんね。そう思ったら、子ども達の(特に息子の)障害に感謝です!!!