朝から息子のパニック状態につきあい、


娘の適応障害時期のやっとの出勤を応援し、


ま~ちゃんの突発的な左目の開かない状態に対応しました。


程度をいっては申し訳ないですが、


もともとの発達障害は私が酷く、幼少の頃からなにかと今で言う暴君の父の下で育ち、


DVの旦那と離婚して身を隠し、


母子家庭だからといったいろんな偏見から来る冷たすぎる出来事や、


平均的な贅沢をさせてあげられない悲しさを乗り越えながら、


それでももともとがかなりの心配症なので、


その心配する心を子どもたちやま~ちゃんに見せたら不安がるとおもって、


ずっとずっとずっと堪えて来ました。


離婚事由がDVであっても先に狼狽し専門家に相談する事も無くただただパニックを繰り返すだけの実家にはいられず、身も立てられなかったので、


えいやっ!!!って36歳の時に、子ども二人連れて、京都大学の大学院を受験しました。


それまでにも奈良女子大の大学院を修了したのですが、国立といってもやはり地方のそれでは充分に環境が整った人には太刀打ちできず、採用していただけなかったのです。


少しだけれども子ども達が慣れ親しんだ環境を無く無く生きるために捨てました。学校の行事に両親が揃ってない事の申し訳なさ、祖父母がこない事の申し訳なさ、それに耐えて耐えて今までやってきました。


子ども達の事が心配で研究がてにつきませんでした。


そんな私は弱くてバカで徒労で不器用でそうして精神が破たんしているという意味でオカシイのでしょうか。


強い憧れは同時に強い権威への恐怖を併せ持っています。こころが大きな大病をして解りました。


それが解った私はやっぱり弱くてバカで徒労で不器用でそうして精神が破たんしているという意味でオカシイのでしょうか。


読者が伸びるブログ記事や、トピックにあがるそれらを見て、全然生きている場所が異次元な気がしました。


やっぱり私は弱くてバカで徒労で不器用でそうして精神が破たんしているという意味でオカシイのでしょうか。


ひきつづき課題、、、やります。