確かに以前の私には『言葉』は難解だった。感想文を書け、と言われて、指定図書を借りても、『面白かったでした。』としか書けなかった。
中学にあがり、一年生の時の担任の先生は国語担当だった。やっぱり解らなかったが、それでも先生は私をせめず、授業以外の事でコミュニケーションを取ってくれて、私のこころはほぐれて行った。
一年生の御正月。祖母が亡くなった。三が日。急な事だった。前日頭が痛い、と祖父に訴え、床についたがそのまま帰らぬ人となった。あの鬼の様な母がかけつける最中、吐き気に襲われて仕方ない様子だった。それでも祖父が気丈によく近所に住む次男(長男は勘当されていた)のところに連絡できたもんだ、と慮っていた。
弟は父について父の実家に行っていた。今思うと普段、相当不仲だったのに、当時の正月はよく連絡がつく状態にあったもんだ。父はかけつけ、それこそ普段育ちの悪さ?(両親を早くに亡くして姉たちに育てられた父)から母の実家に疎まれて足が向かなかったが、遠方から弟を連れて駆けつけた。ああ、これが家族なんだ、と思った。家族を想う気持ちは、父は誰にも勝っていた。4歳で実母を亡くし、10歳で妹を亡くし、15歳で義兄を亡くし、19歳で実父を亡くした父は、今生で一緒に居られた時期が短いだけに、家族を想う気持ちは相当のものだったし、喪う時のショックを理解するのに誰より秀でていた。
葬儀が終わってすぐ三学期が始まった。当時は三学期も中間テストがあったように思う。何もてにつかなくて、いつも以上に勉学に集中できなかった私は、国語のテストもほとんど解らなかった。
時間が余って仕方なかった。ふ、と、家で飼っていたインコを思い出して描きたくなった。冬だからモコモコになったインコ。実際には教室にいたので、脳裏にあるまま描いた。やっぱりいつもの写実的な絵になった。そうして先生にメッセージを書いた。
『先生、御正月におばあちゃんが亡くなりました。とてもショックで、とても悲しいです。何も答えが書けなくてごめんなさい。おじいちゃんはひとりになってしまいました。いままであまりおばあちゃんにあえなかったので、これからはおじいちゃんを大切にしたいです。』と。
書いているうちにだんだんと涙があふれて来ました。ぬぐってインコを書きました。自分の文章だけれど、見ると泣けて仕方ないので、インコの絵の続きを黙々と描き、試験終了時間に完成させました。
後日、先生は、『素敵な絵ね。おじいちゃんを大切にしてあげてね。○○さんは、とってもやさしい女の子ですね。』と書いてくれました。表の国語の点数より嬉しかったです。満点をいただいた気持ちになりました。
それからは国語の授業を一生懸命に受けました。今になって解った事ですが、私には発達障害があって、理数系と芸術系以外は学習障害があったようです。いくら勉強しても頭に入って来ないのです。それ故、国語と社会は、どうしても御点が取れませんでした。それでも、国語は一生懸命御勉強しました。
命のメッセージをくれた担任の先生に喜んでもらいたかったからです。私の知らないうちに、それは母に伝わっていて、『受験の国語を履修する、という意味では無く、感性が豊なので、例えば絵でも、専門家につかせたらいかがですか?』と言って下さっていたようです。
子どもというのは、素直なもので、どんな科目でも、こころを受け取り、理解してくれた先生は好きになって、その教科という世界観はどんどん広がって行きます。御蔭さまで80点はコンスタントに取れるようになりました。
その大切な、こころを表現する言葉を、もてあそぶかのように使う人や、表層的にしか理解しないとか、別件で裏切られたからもう拒絶という人が殆どです。その多くは、言葉(=理数系なら記号、芸術系なら楽譜や実際の絵)を掘り下げて理解しようとしません。
軽はずみに信じてしまった自分や、軽はずみにしか知らないのに状況を考えず使ってしまった相手のスキルを見抜けなかった自分や、それで徒労に終わっても受け容れる事こそが素晴らしいと思えない人は、言葉そのもの、というふうに、個人事例を汎化してしまいがちです。
私は罪を憎んで人を憎まず、ってどういうことだろう???と本気で思うので、この表層と深層の分化ができるようにもなりたかったので、勉学を続けているのだと思います。
発達障害の子ども達にも、『自分の気持ち(されたら嫌だし、障害があるから対応不能で倒れる具体的客観的医学的知識と対策方法を含む)は、表現できるようには成って欲しい。なぜならそれが自分の盾となり自分を護る事だから。』と、幼いころから言ってあります。
これら↓は、書籍で、挿絵はあるかもしれませんが、動画でも実際の事でもありません。いつか似たような事があって、それをふくらませて作者は書いたかもしれませんが、読者が読むその時に実際に起こっている訳ではありません。
それでもこれらは駄作で、信じられないものなのですか????
新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)/新潮社

こころ (集英社文庫)/集英社

風の歌を聴け (講談社文庫)/講談社

私はやっぱり素朴にシンプルに『晴耕雨読』ができるようになりたいです。
そのためには、音楽の神様か、どんな神様かわかりませんが、『知』と仲良くなりたいです。
信じて下さいとはいいません。みなさんそれぞれにいろんな背景があるでしょう。
でも、だからといって、人の信じている事や、人の生き方を、自分のタイミングや方法に強引に修正する行為は、お節介と言うより、越権というか浸食というか搾取というか、やってはイケナイ事なのだと、強く考えます。
そんな行為や言動、ホスピタリティには存在しません。
もう、利己的な、やさしくない人とは、関わりません!!!!
いい加減にしてください。
中学にあがり、一年生の時の担任の先生は国語担当だった。やっぱり解らなかったが、それでも先生は私をせめず、授業以外の事でコミュニケーションを取ってくれて、私のこころはほぐれて行った。
一年生の御正月。祖母が亡くなった。三が日。急な事だった。前日頭が痛い、と祖父に訴え、床についたがそのまま帰らぬ人となった。あの鬼の様な母がかけつける最中、吐き気に襲われて仕方ない様子だった。それでも祖父が気丈によく近所に住む次男(長男は勘当されていた)のところに連絡できたもんだ、と慮っていた。
弟は父について父の実家に行っていた。今思うと普段、相当不仲だったのに、当時の正月はよく連絡がつく状態にあったもんだ。父はかけつけ、それこそ普段育ちの悪さ?(両親を早くに亡くして姉たちに育てられた父)から母の実家に疎まれて足が向かなかったが、遠方から弟を連れて駆けつけた。ああ、これが家族なんだ、と思った。家族を想う気持ちは、父は誰にも勝っていた。4歳で実母を亡くし、10歳で妹を亡くし、15歳で義兄を亡くし、19歳で実父を亡くした父は、今生で一緒に居られた時期が短いだけに、家族を想う気持ちは相当のものだったし、喪う時のショックを理解するのに誰より秀でていた。
葬儀が終わってすぐ三学期が始まった。当時は三学期も中間テストがあったように思う。何もてにつかなくて、いつも以上に勉学に集中できなかった私は、国語のテストもほとんど解らなかった。
時間が余って仕方なかった。ふ、と、家で飼っていたインコを思い出して描きたくなった。冬だからモコモコになったインコ。実際には教室にいたので、脳裏にあるまま描いた。やっぱりいつもの写実的な絵になった。そうして先生にメッセージを書いた。
『先生、御正月におばあちゃんが亡くなりました。とてもショックで、とても悲しいです。何も答えが書けなくてごめんなさい。おじいちゃんはひとりになってしまいました。いままであまりおばあちゃんにあえなかったので、これからはおじいちゃんを大切にしたいです。』と。
書いているうちにだんだんと涙があふれて来ました。ぬぐってインコを書きました。自分の文章だけれど、見ると泣けて仕方ないので、インコの絵の続きを黙々と描き、試験終了時間に完成させました。
後日、先生は、『素敵な絵ね。おじいちゃんを大切にしてあげてね。○○さんは、とってもやさしい女の子ですね。』と書いてくれました。表の国語の点数より嬉しかったです。満点をいただいた気持ちになりました。
それからは国語の授業を一生懸命に受けました。今になって解った事ですが、私には発達障害があって、理数系と芸術系以外は学習障害があったようです。いくら勉強しても頭に入って来ないのです。それ故、国語と社会は、どうしても御点が取れませんでした。それでも、国語は一生懸命御勉強しました。
命のメッセージをくれた担任の先生に喜んでもらいたかったからです。私の知らないうちに、それは母に伝わっていて、『受験の国語を履修する、という意味では無く、感性が豊なので、例えば絵でも、専門家につかせたらいかがですか?』と言って下さっていたようです。
子どもというのは、素直なもので、どんな科目でも、こころを受け取り、理解してくれた先生は好きになって、その教科という世界観はどんどん広がって行きます。御蔭さまで80点はコンスタントに取れるようになりました。
その大切な、こころを表現する言葉を、もてあそぶかのように使う人や、表層的にしか理解しないとか、別件で裏切られたからもう拒絶という人が殆どです。その多くは、言葉(=理数系なら記号、芸術系なら楽譜や実際の絵)を掘り下げて理解しようとしません。
軽はずみに信じてしまった自分や、軽はずみにしか知らないのに状況を考えず使ってしまった相手のスキルを見抜けなかった自分や、それで徒労に終わっても受け容れる事こそが素晴らしいと思えない人は、言葉そのもの、というふうに、個人事例を汎化してしまいがちです。
私は罪を憎んで人を憎まず、ってどういうことだろう???と本気で思うので、この表層と深層の分化ができるようにもなりたかったので、勉学を続けているのだと思います。
発達障害の子ども達にも、『自分の気持ち(されたら嫌だし、障害があるから対応不能で倒れる具体的客観的医学的知識と対策方法を含む)は、表現できるようには成って欲しい。なぜならそれが自分の盾となり自分を護る事だから。』と、幼いころから言ってあります。
これら↓は、書籍で、挿絵はあるかもしれませんが、動画でも実際の事でもありません。いつか似たような事があって、それをふくらませて作者は書いたかもしれませんが、読者が読むその時に実際に起こっている訳ではありません。
それでもこれらは駄作で、信じられないものなのですか????
新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)/新潮社

こころ (集英社文庫)/集英社

風の歌を聴け (講談社文庫)/講談社

私はやっぱり素朴にシンプルに『晴耕雨読』ができるようになりたいです。
そのためには、音楽の神様か、どんな神様かわかりませんが、『知』と仲良くなりたいです。
信じて下さいとはいいません。みなさんそれぞれにいろんな背景があるでしょう。
でも、だからといって、人の信じている事や、人の生き方を、自分のタイミングや方法に強引に修正する行為は、お節介と言うより、越権というか浸食というか搾取というか、やってはイケナイ事なのだと、強く考えます。
そんな行為や言動、ホスピタリティには存在しません。
もう、利己的な、やさしくない人とは、関わりません!!!!
いい加減にしてください。