負けん気が強い?ところもありーの。 | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

知っている人は知っているのですが。
(あ、安定剤のんで、今は息子の課題にまーちゃんの相手をしながら洗濯しつつサポートしています。)

息子は頑固なので(拘りが強い?)、不安なので質問ばかりになるのですが、その意図がある意味とても強欲で、『誰にも負けないくらいの知識と素晴らしく美しい回答例を書きたいから手伝って』というのです。

(それって私が全部やるって事じゃん・・・)と母は思ってしまいます。

それにしては実際に鉛筆で字を書くのが遅かったり、LDがあるので漢字が書けないし、小学校の時のトラウマで文字をどこまでも小さく書いて行くし(文章量がおのずと多くなる)、

なのに『めんどくさいのはやだ☆』というそこからひっくり返すような事を要求するのです。

もう、どうしたらいいんだか、なんなんだか。。。

私は広汎性発達障害ですが、こと何かを修得する場合においては、努力とか寝食忘れて、とか、当り前にしていたし、そうしないと人よりドジな私は出来ないから自らの特徴を考えて編みだした生き方なんです。

たかがシングル単元だけど、先生の特性や、ものの捉え方、勉強の仕方、質問する時の言葉の選び方、回答の仕方、語彙そのもの、時間の調整、取捨選択(優先順位のつけかた)、機能的な生活、などなど、たくさんの事が身に就くんです。

それを丸投げして、しかも100点取れるようにしろ?????

はああああ???????ヽ(`Д´)ノ????

アンタ、外に出たらどれだけ給料取れると思ってる私の人生をかけてきた努力の結晶のスキルだと思ってんだ☆しかもそんな事したら自分が育たないじゃないか☆

私ね、悲しいかな、小さい頃に両親や親せきの人間性や資質やスキルを見抜いてしまって「頼ったり甘えてもろくな事にはならない(=まともな回答は得られない。心底のバカだな。)」って思ってからは、自分でやるようにしてた。

進学校に言って欲しい、とだけ親は言う。具体的にどう戦略をたてるかはノーアイデア。そう、私がしてきた。なのにただ生きている時間が長いだけでエラソーにする親が本当に煙たかったし、ウザかった。

実際にテストをしても仕事をしても親戚中のだれより秀でてしまった。すると今度は自分が育てたとか、知り合いが増えたりして。本当に悲しいのは、どっちだ!!!って思った。

頼れると思うとすりよってくる。京大の博士号をとるのは自分の学術上の信念を証明して行く作業に対しての「過程においてよくがんばりましたね」と認めていただけるに過ぎなくて、労働基準法だと大学院卒の初任給になるけれど、本人が言っている事を上司が理解できないから「使いにくい」っていじめられたり陰口たたかれたりして、そんな状況も観察力が鋭いからすぐ見抜いてしまって、心を痛めてしまうんだ。

そんな事を全く理解できない両親は勝手に妄想で『大学院(博士課程)を修了したら有名な大学学部卒の人が就職できるくらいの、昔でいうところの財閥に入れて、終身雇用があっても、途中からそのルートに入れて、すぐに年収1000万円くらいになる!』という本当にもう勝手すぎる事を信じて疑わなかった。

疲労がたまりすぎて(体力的にもこの理解出来ない多くの人の相手による精神疲労による)、過呼吸ですぐ意識が飛んで寝床に倒れてしまうようになり、まだ小学生だった子ども達の事が心配で仕方ないから、そんな親でも頭を下げて来て貰ったら、その事に恩着せて、妄想を繋げて、もう実家のゴミの日だから帰りたい、というので、(二日ほどで)しぶしぶふらふらする身体を引きずって見送ったら、玄関で、

『家の改築費用出して欲しいねんけど。もう築年数20年やから嫌やねん。』と言いだした。

『身体は大丈夫か?』『子ども達は?』ではなく、『家の改築費用出して欲しいねんけど。もう築年数20年やから嫌やねん。』だった。

いつもいつまでもこんな親から生まれてきた事実を悲しく思う。それでも母親なのだ。親なのだ。親戚も『親の事をそんなふうに言うんじゃありません。』と言った。

自分は助けないけれど、もう孫を持つシングルマザーにすりよってくる。

もしかしたら課程修了認定退学という形がとれたことで、そういう親戚や知らない知り合いは全て離れたから良かったのかもしれない。

歌唱だってそう。外で聴いたらすっごく上手く聴こえる。でも傍で聴いて、上手いかどうか、素晴らしいかどうか、という定説があるらしい。これは声楽家のパートリーダの弁。お嬢さんがオーディションに行くたびに、外で聴いたときに萎縮しないように、論理的かつ冷静に事実を伝えてあげるのだそうだ。

素敵な親だわ・・・まあ、無いモノねだりなので、せめて、せめて、そうっとそうっとしていて欲しいんです。私は誰から売れたからとか、御金持だからって、人生かけてすり寄っていった事はありません。

事実、京都大学だって、奈良先端大学に断られ(博士課程は受験前に指導教官にお逢い出来るか、から、受験が始まっているんです)、唯一逢って下さったのが次期大阪大学学長の西尾章治郎先生で、修士論文を速読されて、『悪いんだけれど、情報といっても、情報科学と情報学があるんですよ。残念ですが、ここは情報科学。君は社会的着眼点のある論文を書いているんだから、情報学を専攻する方がいいと思うよ。実は僕は京都大学の出身で、今はここに勤めているんだけれど、ちょうど昔の同級生が京都大学でそのような情報学の研究室をたちあげたところなんだ。そっちを訊ねたらいいと思うよ。』と言ってくださいました。

そうして三日後に京都大学に訪れて受験OK。この三日の間に、連絡が行き、修士課程の頃の学習態度も奈良女子大に既に連絡が行っていて、その時の勤勉な様子が信用を得たらしいのです。受験がOKということは、そのために準備修業である研究会の参加も認めていただいて、厳しい御意見を賜れるという機会をいただけた、と言う事です。なだたる教授や博士号を持つ皆様が、このような私の、酷い研究にメスをいれてあげよう、と集まって下さるということです。

そういう世界です。それでもそれでもそれでも!!!!たかだか一年目の博士課程の学生でも、研究者の卵である段階から、ひとりの研究者としてみなしてくれて、特に教授や准教授のみなさまは、対等であるから、丁寧語で会話をしてくださいます。研究者としての最低の尊厳を死守してくださいます。

この繊細で緻密な心配りが出来ない人が多すぎます。教授だからと偉そうにされている人は、少なくとも京都大学の私の所属した専攻の先生には皆無です。異論があって、それはもっともだ、と理解してくださったら、素直に陳謝してくださいます。

それが息子の情報メディアデザインの先生にはありません。自身が出来る!と思い込んでおいでです。今はインフォグラフィックスの単元なのですが、なんのこっちゃない、最近そういうお洒落な名前がついただけで、要は『情報の視覚化』なのです。視覚化において、コンピュータを利用する場合、『コンピュータビジョン』という単元を履修していないと仕組みが解らないのです。

デザイン系の単元なので、直感的に訴えるもの、として履修しているのですが、その背景には、確かな技術があるのです。それを知らずに表層的な心象だけを語らせて、それを表層的な知識で評価して、それは思いこみの偏見を多く含んでいますから、そのような薄っぺらい先生に評価を受けざるを得ない環境が悲しいのです。アホな上司を持った部下は本当に病みますよ!!!アホな親を持った子も同じです!!!!

は~。。。ちょっとは思っている事が書けたかな。よくね、父に、『人を追い詰めない』と言われました。追い詰めているんじゃなくて、事実から真理を見抜いたり、観察力があったり、会話の矛盾点を質問したり、要は『言った事にもしも矛盾や自己欺瞞や自分勝手な事があったとしても、そのままいいように受け取って、俺のいいなりになって欲しい。』を言いたかったのだと思います。

父は某有名外資系化粧品メーカの敏腕営業企画マンでした。今、当り前にクリスマスシーズンに出回るキットという商品は父が考案したんですよ。企業人だったから名前は残って無いですけれどね。今ではどこの化粧品メーカもボーナス戦線にもっていくためにそのような可愛いポーチにおさまる単品で買ったら手が出ないそれらをミニボトルで揃えられるようにされています。

私は実の父の普段の素行をみてきて、母もうんと泣いて来たし、私や弟も本当に苦労したので(収入はほとんど全て家に入れないで自分で使っていましたから)、私は営業マンが嫌いだし、宣伝も嫌いだし、なんだったら心理効果も既に心理学や社会学を研究者レベルで知識獲得をしているので、すぐ見抜きます。

騙せるもんなら、騙してみろ!!!!! 結果は時間が見せてくれる!!!

ふんっ☆ その鼻っ柱ボッキンしてやる!!!!!

そもそも、ちょっとした知識をひけらかしたり、自慢する必要が人生でどうして必要????

私の真の問いはそこです、はい!!!!!