それでも自分に克てないのが悔しいので。 | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

きついけど家事やってますよ。


ってんで今のうちに、『私が』息子君の課題の予習をやってます。


課題も学校の先生によって癖があるので、それを読み解いて(日本語は本当に難しい。)、同じ単語を使っていても、同じ様な言い回しをしても、


①題材や求める回答によって意図が違っている事をどう読み解けばよいのか
②どう理解したら①で求められている回答に出来るだけ近づくのか
③そこで使われている基本的な概念とテクニックは何なのか



を解説する下書きというかガイドのようなノート(ガイドのガイド?)をいつも作成しています。


これが私がずっと彼に行っているフォローです。もちろん娘ちゃんにもして来ました。例えば塾で先生が解説した内容が今いちしっくりこない、となると受験問題だって『御母さん、解らない~!!!』ってパニックになるのです。


すると参考書のガイドを視て、先生の解説を視て、娘の得意であろうアプローチを考えて、それらを総合的に判断して、もう一度その問題の見方や、アプローチの仕方から丁寧説明します。一問にかなりの時間を要する事もあります。


それでもやってきました。よく出来る人になってしまった人は御自身は克服したし、違うアプローチを考えて居ない場合が殆どなので、『どこで生徒が躓くのか』をすっかり忘れてしまっているか、想像もつかないので、私が家でフォローをしています。


おそらく大学になってもそれは続くでしょうし、何か学ぶと言う事をする時にはそうして訊いてくるでしょう。その時に一緒になって『さて・・・どこから解決していきましょうかねぇ???』ってするのだと思います。


私がずっと物ごころついてきたときから考えて考えて不思議に思って逃げずにこなしながら身につけて来た事。唯一の事。


なので子どもは塾にも行っていませんし、進路の読み解きも頼っていません。自分達でリサーチし、世の中の流れを読み、進路を決めて来ました。


そういう生き方をしないマジョリティに潰されましたがね(怒)けれど、そのマジョリティは「普通の受験時期」を過ぎるといなくなるので、私は邪魔された分「何歳になっても学びに行けばいい」と真剣に思っています。


昨夜の機会を奪わないで欲しいというのは風評や勘違いや競争も含め、です。本人が学びを必要とする時がその時期です。特に自閉的な子は閉じた空間が安心します。感情と知識を分離できないからパニックを起こすので、そのための訓練を閉じた安心する空間で行うとよいよいのです。


だから、学ぶという行為は、感情を今は無視して(切り離して)取り組む(集中する)という(勉学に必要な要素を培う)訓練でもあるので、いわば認知行動療法の一つのアプローチであるわけですから、私たちにとって学びは療養・療育なのです。それを理解していただきたいです。


特に私達のような自閉的で多感で身体に支障が出て来てしまう人間にとっては学ぶという事は生きて行くために必要不可欠な行為なのです。それ故、私は娘にも息子にも自分自身にも学ぶという行為を人生で取りあげないでいただきたいと切に願っていますし、そのように生きている事を揶揄しないで勘違いしないでいただきたいと強く強く願うのです。


では続きを再開します。