なんだかんだで、個人的にはこれでもオブラートに包んでいるんですけれど、
この段階で随分辛辣に感じる方もおいでかもしれないと考えると…
もっともっと神経を払わないとイケナイな~、って反省しました。
ごめんなさいm(_ _)m
私自身、あまり美しくない言葉の中で育ったんですね。
両親とも裕福ではなかったし父方は祖父母を早くに亡くして大変なのに差別を受けて辛い言葉をいっぱい受けてしまいました。
母方は海に近い場所なので漁師言葉がありました。漁師さんは命をかけた仕事なので、短い命令形の言葉が多いです。
両親にとっては里のことばなので身に付いているし愛しているから例えば意見や価値観の相違があって喧嘩になると、
容赦なしに互いのことばが飛び交ってました。
これが外国語や方言でも標準語の原型を全く留めていない言葉なら理解不能でいたと思うのですが、
そうではなかったために私は私の育った中で身についた言葉での解釈で互いを罵り合う意味を理解して苦しくなっていきました。
私は東京の中野区、今の新しい明治大学のキャンパスあたりと大阪吹田市の千里丘陵あたりに住んだので、ほぼ標準語の解釈になります。つまりは教科書ベースですね。
だから堅苦しいとか重たいとか真面目とか厳しいとか思われちゃいますけれど、親の転勤の都合だったので幼い私にはどうしようもない問題でした。
小さい頃のトラウマや慣例は親の影響が大きすぎるので、それを愚痴ったり悩んでしまうとまるで親の価値観に文句をつけている気がしてなんだか申し訳無くて言えませんでした。
一方、私の子ども達には、私が望んで命を生み出すコントロールをしてしまったという責任をずっと解っています。
これらの一見矛盾というか逆行した考えを私の中に共存させなければいけない状況のとき、
私は静かに、それでいて内面は激しく悩み葛藤し続けています。
どなたも正解をだせない、私の歴史環境とこころの問題なのです。
だから生きる術として、乖離を能動的に出来るようになったのだと思います。
幼いときから、解決を一緒になってしてもらえなかった、こころがつきはなされて育ったので、自己解決する癖がついています。
放任というか放置でしたね。
両親はそれぞれ実家にこころが向いていた人たちなので、私や弟にはむいていませんでした。
そうして今に至っています。
正解かどうかは解りません。そもそも正解を求める質のものではないように思います。
事実としてこうだった、それに対してこころがこういう抑圧を受けてこう不具合が生じた、というだけの事。
それで苦しくて仕方ないなら苦しくなくなるにはどうしたらいいかを考えればいいのです。
上にも書きましたが、親の一存で子どもたちに今生に生まれてきてもらい、影響を強く受けて傷ついたのなら、しっかりケアを自分の事以上にするべきです。難しくても大変でも距離をはかりつつ逃げずに放置しないで当人以上に真剣に真摯に実直に対峙すること。
それが子どもたちの生命を作り出した親の責任だと私は心底考えるのです。