ここ何回か掲題の件について書いています。調べてみたらもうこれは命題と言うか、かなり以前から言われている事のようです。
直接的な要因もあるでしょうけれど、間接的な要因もいくつかあるような気がして、ちょっと考えて列挙してみました。例えば、、、
①その現象を指摘する人とこれまで出逢っていない
②いくら練習を積んでも体現できない
③専門家に見てもらった経験が無い
などなど、、、、
次にそれぞれについて、もう少しだけ掘り下げてみます。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
①について:
合唱団に入ってからの期間と練習参加頻度と仲間とのコミュニケーションがベースにあるように思いました。特に日本人は長期に渡って【年功序列】の概念が浸透していました。具体的には長期に渡って勤勉でコツコツとしていて周りともコミュニケーションが取れる人が重宝される傾向にあります。団員さんは上は80歳代からいらして、中心年代層も私より少し御兄さん御姉さんのように思います。
一見、そこまで上手く無いのにパート練習には出て来ず、一番華やか全体練習だけ出てくるように映ります。けれども、御病気をお持ちで、何度も何度も練習に出て来れなかったり、長時間参加するには辛い人が増えていきます。当り前ですよね、人は歳を取るんですから。
②について:
歌唱は文化系・芸術系に属するとよく言われますが、れっきとした運動です。運動神経がベースにあって、これは息子の体育保健の高度コースを履修する時に一緒に学んで解っているのですが、体現するには身体に【神経回路】という運動回路を作らねばなりません。それには①にあるように、何度も繰り返す事が必要なんですね。
となると、やはり様々な事情で、その時間や耐性(地道にコツコツ)を作りだせない人は絶対的に練習時間が足りませんから、体現できません。
③について:
半年に一度、芸大の教授に歌唱を見てもらいます。御存知の通り、芸大の常勤の先生ですから、海外留学ももちろん終えて、最低でも修士号を持っています。中には博士号を持っている先生もいます。マエストロとの交流で来て下さいますが、彼らはソリストでありますが、それ以前に当り前ですが、基礎は完全に出来ていてます。
具体的には、初見ではるか雲の上の事を体現するなどは簡単にします。(それまでのセンスと努力の賜ですが)ですので、合唱についても【まずは合わせるのは当り前】+【その中でソプラノ(それぞれのパート)はよりソプラノらしく】+【楽曲の歴史的解釈に基づいた表現】+【専門家の技】をご享受くださいます。この意味でも①に戻って来るように思います。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
まとめます。
☆当合唱団は、プロではない市民集団ではあるが、プロに負けないほどの努力を怠らない合唱団であり、真に音楽を愛する人達が人生をかけて歌っており、それを深く理解して、どのように行動するべきか思考・行動できる人であって欲しい☆
・・・のだと思います。
もう御話していいと思いますが、双方の事業予定のスケジュールが合わずに今回は見送りとなりましたが、友好姉妹都市が長く提携されている事を記念して、来年にはプラハで演奏会を開く話がありました。
それくらいのレベルの民間合唱団もあるのだ、と言う事をよく解っていただきたい、のだと思います。それについて行っている皆さんは、それ相応のプライドとレベルを保っておられるので、歌えないのなら潔く身を引く、そうでなければ努力をする、仲間とのコミュニケーションを取る、日本文化を理解して先輩を立てる、などの人間性も求められているのだと思います。
それら全てが欠損している上に、ビブラートな人なので、殊更メンバーの皆さんは、憤慨なさるのだと思います。
マエストロは①については、御自身が80歳には届いてはいませんが、私から見るとご高齢ではあるので、自分の思うように身体が動かなくなってくる時期が来る事も理解しているので、【レベルはどうであれ、生き甲斐をその人から奪うのは、真の合唱と言えるのだろうか】、という観点から、指摘なさらないのだと思います。
以上、人間性の観点から間接的なまとめをしてみました。いかがでしょうか。スキルが足りないからとはじくのは簡単です。では、スキルが足りない家族を簡単に見はなせるのでしょうか?
・・・そういう事だと思います。皆さんと相談し、マエストロの意見を尊重し、この状態を見守りたいと思う新人団員のつぶやきでした。
ご理解ありがとうございました。
直接的な要因もあるでしょうけれど、間接的な要因もいくつかあるような気がして、ちょっと考えて列挙してみました。例えば、、、
①その現象を指摘する人とこれまで出逢っていない
②いくら練習を積んでも体現できない
③専門家に見てもらった経験が無い
などなど、、、、
次にそれぞれについて、もう少しだけ掘り下げてみます。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
①について:
合唱団に入ってからの期間と練習参加頻度と仲間とのコミュニケーションがベースにあるように思いました。特に日本人は長期に渡って【年功序列】の概念が浸透していました。具体的には長期に渡って勤勉でコツコツとしていて周りともコミュニケーションが取れる人が重宝される傾向にあります。団員さんは上は80歳代からいらして、中心年代層も私より少し御兄さん御姉さんのように思います。
一見、そこまで上手く無いのにパート練習には出て来ず、一番華やか全体練習だけ出てくるように映ります。けれども、御病気をお持ちで、何度も何度も練習に出て来れなかったり、長時間参加するには辛い人が増えていきます。当り前ですよね、人は歳を取るんですから。
②について:
歌唱は文化系・芸術系に属するとよく言われますが、れっきとした運動です。運動神経がベースにあって、これは息子の体育保健の高度コースを履修する時に一緒に学んで解っているのですが、体現するには身体に【神経回路】という運動回路を作らねばなりません。それには①にあるように、何度も繰り返す事が必要なんですね。
となると、やはり様々な事情で、その時間や耐性(地道にコツコツ)を作りだせない人は絶対的に練習時間が足りませんから、体現できません。
③について:
半年に一度、芸大の教授に歌唱を見てもらいます。御存知の通り、芸大の常勤の先生ですから、海外留学ももちろん終えて、最低でも修士号を持っています。中には博士号を持っている先生もいます。マエストロとの交流で来て下さいますが、彼らはソリストでありますが、それ以前に当り前ですが、基礎は完全に出来ていてます。
具体的には、初見ではるか雲の上の事を体現するなどは簡単にします。(それまでのセンスと努力の賜ですが)ですので、合唱についても【まずは合わせるのは当り前】+【その中でソプラノ(それぞれのパート)はよりソプラノらしく】+【楽曲の歴史的解釈に基づいた表現】+【専門家の技】をご享受くださいます。この意味でも①に戻って来るように思います。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
まとめます。
☆当合唱団は、プロではない市民集団ではあるが、プロに負けないほどの努力を怠らない合唱団であり、真に音楽を愛する人達が人生をかけて歌っており、それを深く理解して、どのように行動するべきか思考・行動できる人であって欲しい☆
・・・のだと思います。
もう御話していいと思いますが、双方の事業予定のスケジュールが合わずに今回は見送りとなりましたが、友好姉妹都市が長く提携されている事を記念して、来年にはプラハで演奏会を開く話がありました。
それくらいのレベルの民間合唱団もあるのだ、と言う事をよく解っていただきたい、のだと思います。それについて行っている皆さんは、それ相応のプライドとレベルを保っておられるので、歌えないのなら潔く身を引く、そうでなければ努力をする、仲間とのコミュニケーションを取る、日本文化を理解して先輩を立てる、などの人間性も求められているのだと思います。
それら全てが欠損している上に、ビブラートな人なので、殊更メンバーの皆さんは、憤慨なさるのだと思います。
マエストロは①については、御自身が80歳には届いてはいませんが、私から見るとご高齢ではあるので、自分の思うように身体が動かなくなってくる時期が来る事も理解しているので、【レベルはどうであれ、生き甲斐をその人から奪うのは、真の合唱と言えるのだろうか】、という観点から、指摘なさらないのだと思います。
以上、人間性の観点から間接的なまとめをしてみました。いかがでしょうか。スキルが足りないからとはじくのは簡単です。では、スキルが足りない家族を簡単に見はなせるのでしょうか?
・・・そういう事だと思います。皆さんと相談し、マエストロの意見を尊重し、この状態を見守りたいと思う新人団員のつぶやきでした。
ご理解ありがとうございました。