自閉ってなんだろう???この字面に惑わされてはいないだろうか???とふと思いました。


感受性がすこぶる高い。その反応で周りを驚かせてしまう。例えばすぐ興奮状態になってしまうとする。


その具体的反応は様々だ。早口になったり、止まらなくなったり、多動になったり、と。


それで驚かれた事がしばしばで。


その驚く反応もさまざまで。素直に驚いた顔をする人ばかりじゃない。怪訝な顔をするひともいる。


怪訝な顔をされると、私そのものが全否定された気がした。とってもとっても傷ついた。


子どもの私には解らなかったけれど、大人の目線で、『今この状況にその反応は相応しくない』という判断をその怪訝な顔で言われたのだと思う。


それらのしつこい(?笑)訓練を経て、いつからか自分を押し殺す事を覚えた。


するとどうだろう? 健常と言われる人の中で、すぐ肩に力が入って、興奮気味の人がいる。


『取材を一番に受ける事になりました。それだけ注目されていると言う事です。』と。


それは、どちらも同じなら、京都の南とこちらでは、報道の支社からの地理的距離が単に近いからだと思いますが・・・なのに興奮気味で、取材されるという事になれていない人からすると、


あの機材のイメージだと思うのですが、簡単にねつ造されちゃうし、意図は記者の理解だし、使って欲しい映像も、向こうに決められちゃうし、編集だって勝手にされちゃう。それが真実となって報道されちゃう・・・


だから私は取材されてから報道機関に不信感を持っている。けれども健常の未だ取材を受けた事のない人は、上のような状態になる。


それをまた解って利用する人も居る。何人かのメンバーがいると、センター位置にいる人はおのずと中心人物とうか、権威ある対象として認識される。その人間の認知や認識を心理学的に巧みに利用しているのが、動画編集な訳です。


映画もそう。『人を感動させるには』『感動させた人を凄いと認識させるには』←これは副次的だが。


そうしてサイクリックに人は飲みこまれて、享楽的に投資していって、その心理的作戦を巧みに操る人が裕福になる。


私は騙された気になるのです。それらは確信犯だから。だから一番身や「こころ」を護れるのは自閉することなのだ。


『ふ~ん』とどこか冷静でいたい。だから心理学も認知科学も脳科学も知っている。勤勉だ。学者になれるくらい勤勉だ。


それは騙されたくない=こころを搾取されたくない=それで商売にされたくない、


そう、私のこころは売りモノじゃないんだ!!!!



大嫌いだ!それで商売する輩は!!!


それでは行って来ます!!!