きょうはこえがでました。


ほしゅうのひでした。


でもじゅんすいにうたうのがすきなひとや、まじめなひともきます。


じぶんらしいすなおなはっせいをこころがけました。


おんていのうえがわをだすようにもきをつけました。


そぷらのだからです。


おんていのじょうげがはげしいせんりつのときはうえがわにとらないと、

さがりきれなかったりあがりきれない(←とくに)おとがでてきます。また、


おなじおとがながくつつ゛くとおんていがさがりやすいので、それのよぼうにもなるので。


あとはたかいおとをまあるくまあるく。


ただすなおに、ただまっすぐに、ただじゅんすいに。


でも、うんえいの、げんじつてきなそくめんをみみにしてしまいました。


そりゃそうかもしれませんが、きかされるより、じぶんがぎもんにおもったタイミングでしりたかったです。


いつもそう。


おとなのじじょうがわたしのじゃまをします。


はいりこみたいときは、ねんれいも、せいべつも、おとなのじじょうも、すべてきにしないでいたいのです。


で、じゅうじつしてから(そんなながいじかんをもとめていません)、

そうだったそうだった、そりゃそうよね、となりたいのです。


すくなくとも、わたしは、おんがくやすうがくやぶつりで、おかねもうけをするしゅだんとしては、かんがえたことがありませんでした。


おかねをかせぐなら、べつのことをします。


すきなものとおかねとはつなげなくないし、そのようなかんがえはけっそんしているので、

あなたもそうでしょ?というかんがえでこられると、

せいしんてきにかなりぱにっくをおこします。


これいじょうかみのけをぬきたくないので、そのようなかんがえをわたしのめにふれないようにしてください。


いつもよんでいるのをしっているのだから。