誰かと関わると少なからずその人の影響を受けます。
感受性の高い(=私の場合、1を聞いて100を理解しようと努力する癖がある)ので、酷く疲れます。
まるで感度の良い色んなセンサーが剥き出しで装着されているようで次々と電気信号が発生します。
しんどいです(笑)
疲れて疲れて疲れきって。
まるで1ビットのエラーが探せずに膨大な複合プログラムを延々と解析しているようです。
ちょっとだけ踏み込んで話をすると、プログラムエラーには大きく2つあって、
1つはプログラムそのものが成り立たなくなる言わば誤植のようなエラー。
そしてもう1つは誤植は無いんだけれど運用してみたら機能上問題があるエラー。
そうしてこのプログラムが更に小さいプログラムの複合体(集合体)である場合、エラーの影響は複雑に波及(伝播)します。
となると普段のパソコン同様、先ずは連携を切り離し、個々にして、それぞれの文法に誤植が無いか緻密にチェックし、
それらがコンプリートされたら膨大な組み合わせそれぞれに対してこれまたチェック、
というのを延々と繰り返します。
エラー検出なのでありとあらゆる事象を想定した組み合わせを見つけださなければなりません。
…というまあ精密な人でもある、という事なので、
例えば『鈍感になればいいんだよ』と言われてもどのシチュエーション(組み合わせ)の場合に具体的に何をどうすればいいか適切に繊細にやさしくわかりやすく指示をくださらないと、全くどの組み合わせに対する指示なのか、膨大な連結プログラムの中のたった1つを探し出すのに徒労しなくてはなりません。
少しでも手掛かりが欲しくて会話するのですが、
抽象的かつ上から目線かつ短気な人に限って怒り出します。
指示に従おうとしているんだからもう少し明確に部分的具体的にしてくれないと粒度が合わなくて会話が成り立ちません。
で、最後にエラーをそんな僅かな抽象的過ぎるヒントだけで見つけだす事が出来なかった、と、私がまた罵倒に近い形で叱られる羽目になる事が多いです(笑)
見た目に小さいからと言って、見た目にふくよかだからと言って、見た目に朗らかそうだと言って、感じ方や考え方がそうだとは限りません。
それが私のオリジナリティでありパーソナリティで、どうにも努力では変えようもないみたいですし、何も努力して大ざっぱになろうとも思いません。
この繊細な観察力があるからこそ、家族の身体やこころのエラーが起こりそうな兆しに気づいて来たのですから。
今となっては、むしろ誇りに思っています。
…とやっと言えるようになってきました。
さ、第九の練習に行ってきます
