I've been hung up on … | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆ちょっと覚悟をもって書きますね。*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆



hung up on
《be ~》~にこだわっている、~に恋煩いをする

・・・だって。

そうかもしれないなあ・・・色んな事に。

『あの時どうして拘っちゃったんだろう?』ってカンジ。一度拘るというか気になるというか、そのようなモードに入ると、短くとも10年は様子を見ちゃう。ともすればもっと長きに渡って邁進してしまう。

決して悪い事ではないとは思うんだけれど、結果がある程度解っていれば・・・いや、やっぱり向かって行ったかな、私の性格だと(苦笑)

昨日ね、研究室に行ったでしょう?

それは中での会議についていける事で自分がかつて持ちあげた知識水準がある程度は保証されている事を確認したかったのね。

世の中で通説とされている事や風評って、それに苦しんでいる人が多くいるから、なんていうか、それらに対する一種のアンチテーゼのような、一石を投じたい、というか、そんな生き方だったように思うの。。。

この事に、昨日まで、気付かなかった。。。例えば、うまく行かない日の事が多くて、どうしてうまくいかないんだろう???ってずっとずっと考えてたとして、ふ、とある時に、それは考えるものではなくて、タイミングとか、う~ん。。。なんて書けばいいんだろう???

図らないところで、気分よりももっと直感的なところで、御縁がある場所があるでしょう???

もしかしたら自分にはそっちの方が向いているかもしれないんだけれど、生育上、『思慮なしで行動するのは愚の骨頂』って育てられたとしたら、すっかり潜在下に押し込んでいるんだけれど、実は親に見棄てられないために、彼らの機嫌を伺った生き方をまた継続してしまっていた事になるんじゃないか、って、気付く時期が訪れてる、というか。。。

これは人生で初めてじゃなくて、忘れた頃に、大きなサイクルで「あれ?」ってなる。(伝わるかな~。。。)

具体的に言うと、昨日の研究会、修士の卒業研究の終盤戦に入ってきたのね。で、あの大学変わってるから、就職が決まってようと、「うちの大学の修士号を授与するにあたってふさわしくない」と、一人でも先生が落第点をつけたら、その時点で留年が決定するのね。もちろん就職は辞退ってなるよね。。。やがて社会に出る事を念頭に置いたアプローチなら、最低でもこれくらいやって欲しいな~、って処で線引きをすればいいんだけれど、先生方はその道のプロというか沽券がおありなので、気に入らないと子どもみたいに徹底的に相手が学生であってもコテンパンにしちゃうところがある。

そういう良く言えば頑固で拘りを持っている人達の集団で、研究会でも修士2回生と言えば若造の若造の若造だから、「まだまだご指導ご鞭撻を・・・」と言うのが理想とされる時期に、ちょっとしてみたからって「今回はこれが出来ました!どうでしょう?」と自信満々に発表したら、鼻もちならない、と思われて、根底からボッキーン!!!ってされる。大議論になって、先生たちが興奮して、学生はカヤの外になって、結局、ホワイトボード一杯になった議論の形跡を渡され、『こういう事。解った???』という暗黙の了解をしろよ、という意味で、『なるほど、そうですよね。。。おっしゃる通りです。おっしゃる通りなんですけれど、僕はその大前提の上にちょっとだけある部分が違うアプローチなんです。。。聞いていただいてもよろしいですか? (議論を進めてひるまない態度を見せる。勿論内容も充実。) でも、どっちもありますよね。。。う~ん。。。』と、最上位のボスの機嫌を損ねないようにするワザも学業以外に求められるんです。

でも、これって、、、かつての家庭の在り方というか、近代社会の家父長制の残り香というか。。。

で、これらの多種多様のスキルがいつまでの伸びないと、ボスが「?」と思った段階で、何かしらの『FIRED!!』になる。。。怖い怖い世界です。

それがたとえ勘違いであっても、ご自身が間違えているなどとはボスは毛頭御考えでも無いですから、もう学費はくれてやった!と思って、過ごすしか無い人間が毎年何人か出ます。私もその中の一人なんだな、って理解できました。そういう意味で凄いところなんだと思います。でも、東京大学にしろ京都大学にしろ大阪大学でも神戸大学でもいいですが、その大学で窮している学生は居て、逃げ場が無いし、親や旧知の知人の期待が強いだけに、自分がエライ目に遭っているなどとはカミングアウトできないのです。

もし、言ってしまったら、いえ、言ってしまっても、まずは状況が飲みこめないで(大学は聖人君主の象徴だと思い込んでいるから)パニックを起こすでしょうから。そうして「そんなはずはない」と当人を責めるでしょう。そうして精神破綻したと決めつけて、私のように病院送りされるでしょう。。。怖い怖いところです。

事実、教授は、ご息女たちを修士まではいかせても博士には何があっても行かせない、と仰っていましたし、事実、東京大学の修士号はもっていても、そのまま大学に残るということはさせませんでした。ご自身の御子さんに対してしない事なのですから、それがまさにボスの真の回答なのだと思います。

それを単に直線上の上っ面の学歴だけを見て、「ボスの子どもは修士なんだ」「僕は博士だけれどね」って思うもんじゃありません。なぜ修士までにしたのか、を、よく知ることで、見えてくる事もあります。

そのような意味では、昨日、現場を見た事は私にとって、かなりの収穫でした。京都大学の研究室なんですから、ひと癖もふた癖もある学生ばかりです。いろんな頭の良い学生の集合体です。ただ勉強が出来ればいい、ってもんじゃない事を、私以外の皆が知っていたでしょう。

しかし、そこ(研究室や学術界)で身の振り方を覚えたとしても、社会で通用するか、は全く別問題で、どちらかというと難しいであろう事を、昨日は悟りました。研究室こそ、旧帝国大学の慣例を水面下で引き継ぐ(他の研究室は知りません。)場所であるのだとしたら、そりゃ、私は単なる、当時、上手くいくかもしれない部品の卵のひとつに過ぎなかった、のだと。

『君、ひとりいなくても、痛くもかゆくもないよ。だって、君なんかより有能な(部品となってくれる)学生はごまんといるんだから』みたいなもんです。

結局・・・持って行け、といいながら、実は、保守的なところなんだ、と。上っ面じゃなく、実際に入ってみて、それが解った、と。

大学規定やボスの気分ではなく、私のタイムスタンプで、一応の区切りが出来そうな気付きがあって、正直かなりショックで寂しいんですけれど、仕方ないのかな~。。。って思ったりしています。

そういう意味でも、ブログもいつまで続けるか解りませんし、SNSもどうなんだか。。。って。

☆追伸☆ 昨日、ボスが、右手にロレックス、左手にiWatchをしている事に気付きました。。。。。。。大変申し上げにくいのですが。。。iWatchの実物は気になりますが。。。。両手に時計は。。。。。ダサ~い!!!!!