
辛いっていうの、最近。不安定だ、って。先の記事に書いた通り、私は理解されないまま幼少の頃から歩み寄って模索してもらった事はなく、親自身に奇異な目で見られて突き放されていたから、自分が親になったら絶対寄り添おう、って心にずっと秘めてた。
そうしてどれだけ学校に合わなくてもそんな事もあるよ、と受け止めて来た。かつてそうされなかった私がそうして来た。
けれどそれが常というか腫れ物というかよく解らないんだけれど、私自身アダルトチルドレンな要素は娘以上なのに(診断下ってます)愛情と責任感で動いてて、本人がそうだと言うなら信じて振り回されても来ました。今の境遇になってしまった負い目もあるんです、根底に。
だけど娘の我が儘気ままはエスカレートしていきます。大きな自殺未遂があってから(あの時は無理矢理覚悟もしました。)助かったらそれでいい、が継続されていて好き勝手して尻拭いは私のままです。もう成人してるのに。
あの時解釈を変えたら私が命より大切と思っている娘の命を娘自身は人質に取ったのです。自分の意を通すのに人を震撼させる手法を取りました。
他人だったらこんな凶悪な思考の女の子から逃げたいだけです。これまでの人生で相容れなかったタイプの人間。
親であれば飛び出る事も出来る。DVの旦那からも逃げました。でも娘からは逃げる訳には行かない…このコンプレックスやトラウマ思考をいつの間にか娘は巧みに利用するようになってきました。
世の中に出始めて母子家庭をしている私を侮蔑し出しました。
誰に何を吹き込まれたか知りませんが実子に差別され虐待されるのは辛すぎます。
もう長い間そうされていて、たぶん震災の支援を兼ねてライブに行って寄付して来たのは、その間だけ人道的な理由で娘と離れられるからというのも含まれていたのかもしれません。
アウシュビッツ収容所の夕陽を見た時も、日本に帰って名所を観光しただけの気持ちにしてしまっては良くないのではないか、と考えたからです。
確かに母子家庭は寂しいかもしれません。でも世の中にはもっと大変な人がいる。
だから私の両親は核家族だったけれど外に出て他人の子どもさんを先に救いに行きました。私はだからずっと実の両親であるけれど逢いたいのも甘えたいのも我慢するのが当たり前になった人生です。
だからこそ娘や息子が堂々とあるいは図々しく私の体力精神力を超えて、今でも我慢しない状態が続く様子に心底では全く理解できないまま翻弄されています。疲労困憊です。
私には発達障害があり自閉的ですから、明確な理由があって、努力の範疇を超えているから支援して欲しいならば解るんだけれど、いささか気分障害の併発も疑われている娘は感情の起伏が激しく閉じていないので直ぐ外に助けを求めるから、もうもたなくて

そんな姉を見て、いくらなんでも、となった息子はこれまた僕にはどうして許されないの?と言い出し、私には寸分の気の赦しもありません

なんだか実家の生前の父や別れた旦那の『いつ起こるか解らない』にビクビクしていた日々に戻った感じで悲しすぎます

今夜はさすがに毅然としました。いくら詭弁を使っても論理で適わない事をもう仕方ないのでディベートしてやりました。
研究していたんだから理に適っていなかったり、針の穴を通すような緻密な中庸を見つけ出す能力は、申し訳無いけれど、子どもであり学識の乏しい娘には遠慮しない時の私は、淡々と矛盾や論理の未熟を指摘出来て、大切な私の時間を低次元の思考の相手に使うな、と言えるんですが

本当に実子はどれだけ親が世間に気を使っていたり貢献したりしていても、ただ私を世話する人、としか思っていないですもんね

どれだけ難しい課題を分かり易いアプローチで教えても、それくらい子どもである私に尽くすのは当然でしょ☆なスタンスで生きてはります。
そりゃどれだけ友達の前で隠してもやがて気を許した頃、普段私に取っている言動がポロッと出るよね。
そりゃ友達がいなくなるよね…もうちょっと現実から我が身を戒めるヒントを掴み取る人間になって欲しいのですが、うまく行かないとまだまだ誰かや何かのせいにする認知が頑固で治りません。
私はいささか過食気味で、直ぐ心労で自律神経失調症になります。そりゃそうだよね。精神的にかなり虐待されてるんだから、
体力気力を多感だけれど巧みにチャージする機会や技術を身に付けて、この恐ろしいお嬢様に立ち向かいたいと思います。
人生なめんな
