【拡散希望】なぜできないの?と言わないでNever give up on learning | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

皆さん、学校での授業の進め方に疑問を持ったことはありますか?

公立校や私立校で違いはあるものの、公立校の多くは横並びの授業を行っていることがほとんどで、授業を受ける子ども達に選択肢が与えられていません。

そんな日本の教育環境に対して、子ども自身が選べるような多様性を求めている少年がいました。



彼の言い分は、まさに!と言う感じです。読み書きが出来る御友達に「出来ないからと笑ったりからかったりしないでください」読み書きが出来る大人に「どうしてできないの?ではなくてどうしたらできるか一緒に考えようと寄り添って下さい」と懇願しています。

私も発達障害です。子どもの頃大人から松谷君(この少年)が懇願する事に対して何らアクションはなく、ずっとずっとずっと「なんでできないの!?」「人が1時間でできるところ出来ないんだから、徹夜してでも頑張って追いつきなさい!平均点は最低点!」と言われてきました。

途中で理科系にシフトし、識字はそれこそ精神が破たんするくらいの根性論で身につけましたが、キーボードで打ち込む方が考える速度をほぼ損なうことなくかけるので、助かります。

音楽家が楽器や五線譜に想いを描く事は認められて、学習となると紙と鉛筆での識字しか認めないというのもオカシイと思うのです。

松谷君、よく言ってくれました。そうして彼が所属しデジタル機器と出逢いそれが補助器具として成立する事に導いたNPO団体の先生が学校の先生のところへ出向くまでデジタル機器を持って来てはダメと指導した学校の先生に本当に文句を言いたい。

車いすを使って悪くなくて、どうして補助教材を使ってはいけないの?先生がメンテナンスするスキルが無いからじゃないの?もし壊れても生徒が修理するか代替機を持ってくるから問題ないでしょ?

いや~・・・本当に彼はよく言ってくれました。そう、障害は社会にある、松谷君が言うように私もそう思います。

そうしてこのプロジェクトを東京大学の生産技術研がしてくれる事にも意味があると思いました。東京大学はご存じの通り知の集合体の国内最高峰といわれていますが、教育学についても歴史があり、この10年くらいは民間の学習機関と共同研究をし子どもの実態を観察し必要とされる学習環境や教材の開発に取り組んできました。

このプロジェクトも少し前からあって、学習障害や重度多重障害を抱える子どもに電子機器が補助となり生きがいを損なわず、それらイジメの対象とならないようにと、頑張っておられました。

物理学で有名なホーキング博士が筋委縮性硬化症(ALS)となって眼球の僅かな動きをセンサーで捉えるパソコンを使って人と対話するのはOKで、重度多重障害を抱える子どもにそれが補助的に貸与されないのはオカシイ!と思うのです。

スモールトークで有名でパソコンの父とよばれたアランケイ先生もデジタルデバイドがないように、と全ての困っている子どもに100ドルパソコンを!と言ったのが2005年。まだまだこの考えは普及しているとは言えません。

電子機器がオリエントで主人公とは言っていません。あくまで補助ツール。主人公は人間同士のコミュニケーション。そのためには理解が必要なんです。知的障害がなくて識字だけに困難がある人が存在する自体、知らない人がいるでしょう。だからもっと知って欲しいのです。知って一緒に考えて欲しいのです。

健常者を更にぬきんでてどうとかは毛頭考えていません。ただ同じスタートラインに立たせてもらいたい、同じように機会を与えてもらいたい、どうしようもない障害を笑ったりからかったりしないでほしい。人が人として生きる尊厳を考えたら当り前のことなんです。

それでもまだ偏見はあります。男児に多いとされている発達障害や学習障害。女児にそれがあるともっと奇異な目で見られます。リケジョという言葉がある事自体、当り前じゃないからです。女性議員など、頭に女性がつく時点でマイノリティ・・・でも、まずはこの困った状況を知ってもらって、それでもずっと無視されてきてようやく補助ツールが見つかったのですから、せめて放置していた分くらいは認めてもらいたい。

障害者だって生きているんだし、自らが望んでこの身体になったのではないのですから。努力ではどうしようもないところを責めないで欲しいです。