恥ずかしながら意味を知りませんでしたので、調べてみました。ざっくりと素人的に知りたかったので、ウィキペディアを信じる事にしました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E6%A2%85%E6%A1%83%E6%9D%8E

附随して日蓮の「桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見す」も知りました。俳優の松坂桃李くんの名前もこれに由来しているのだそうです。

何年か前、御所で龍笛の練習をしていたおじいさんが、桃李という名前は中国料理の料亭?でもなんでも一番立派な部屋に付けられる名前だから、それを自分の息子の名前にするなんて、なんてあいつの両親はおこがましいんや、って言っていました。

由来が違う事をそのおじいさんは御存知なかったのですね。けれど、聴いていて大変ショックを受けたのを覚えています。

今日はなんだか、このように表面的な事に囚われて、由来が本筋では無いところに勝手に着目して個人的な感想を感情的に述べる状況に遭遇している場面が多く、

正直メンタルが凹んでいます。そろそろ出かけないと・・・なんですけれど、身体が動くかな・・・声が出るかな・・・

自分の凹み具合に恐怖を強く感じています。

これもきっとトラウマで、私は事実として修士は奈良女子大学、博士は京都大学なんですが、学部は近畿大学なんです。

母はこの学部のイメージが強くあるようで、当時は親に学費を出して貰っていましたから(浪人させて欲しい、どうせ高額な学費を捻出いただくなら頑張りたい!と言ったのですが、女子が年齢を重ねるなんてなんということだ、とそのまま進学をしました。)。

で、今はそのまま京都に住んで居て、京大関係者と多く接する機会があります(単純に人数が多い)。

古典芸術も京都市立芸術大学という老舗がありますので(学区制に至っては日本が制定する前に京都が御所で成立させていました。)、それらに生活するように触れる事が出来ます。

そういう意味では大変有難い環境なのですが、いつまでも母は自分が唯我独尊的な思考なので、何か意見が違った時に、

『なによ!ちょっと京大いったからって。』とか、
『きっと京大に入ったのも、便宜を図ってもらったからやわ。』と言ってきかないのです。
(そんな事したら裏口入学になるし、事実あれだけの先生方が入学試験に関わってて、当日筆記も面接も疑似学会発表会の試験も全部あったのに、あれは幻だと???)

今日はその手の解釈の世界と関わる事ばかりでこころが痛んでしまいました・・・

しんどいです・・・

一生懸命努力した事を、どうして素直に喜んで貰えないのでしょうか・・・実子なのに・・・