ギリギリ効くか効かないかのとこを攻める!! | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

お薬でもお酒でもね。あ、お酒はどうだろ~・・・酔ってそのまま寝たというのは・・・そうそう、5歳くらいの時、父の実家が酒屋だったので、リビングになんだっけ・・・メロンのリキュールがあって、それを父だったか親戚のオジサンだったか、私をからかって、原液を少し舐めさせたんですよ!(アホな大人でしょ☆)

で、気付いたら何時間も寝てたんですよ(そりゃそーだ☆)で、幼稚園児ながらに『こんなになる液体はキケンだ!!!』って思ったんですね。だから成人になって新入社員になって忘年会とかがあっても、美味しそうに呑んでいる人をみて、正直それが解らない自分がとっても寂しかったけど、やっぱり呑めないんですよね・・・

なんだか『呑めるのがカッコイイ!』みたいな風潮って未だにあるように思います。大学の新入生歓迎会で内緒で未成年に雰囲気で呑ませちゃって、そのまま亡くなったという事件が春先になくなりません。特に超有名学校やエリート大学だとどんな想いで本人や親御さんがこれまで努力してきたか、という背景も相俟って、その場の妙な雰囲気を作ってしまう集団心理というか、そこを律せない御子ちゃまというか頭の悪さというか、露呈されますよね。それで監督責任とか、先輩が学校に居られないとか。私にとってはあまり良いイメージがないんです。

父は昔、営業をしていて、商談には接待がつきものでした。自分は呑めなくて家で後のフォローがなんでか娘の私に来て、介抱をしていたので、『こんな事をしないと成立しない商談って、本当は中味そのものに魅力がないんじゃないの!?』って憮然としていました。それでもそれで生きている家族だったので、口には出さず母も弟も先に寝てしまう性質でしたから、私が介抱していたんですよ。父が4歳の時に亡くなった、おばあちゃんの役割を私はいつの間にかしていました。

修士は女子大だったので、そのような雰囲気はありませんでした。研究ばっかりだったので、研究棟のロビーで規約を守って、クリスマス―パーティを数時間して、『はい、皆で片づけて~♪はい!酔ってしまった人は知りません~。簡易ベッドに寝て下さい~。気分悪かったら医務室に~。で、論文締めきりが近い人は研究に戻って続けて下さいね~。』ってなもんでした。そのパーティの数時間だけ「普段御苦労さま!」と忘れるというか、美味しいモノに集中して、準備や片づけ作業を一緒にする事で、研究室内のコミュニケーションをとって、散会と同時に個人の現実に戻るんです。

酔いがさめるまで研究室のデスクでウダウダネットサーフィンしたり、当日の写真をブログに加工してアップしたり・・・若い子はそんなんでしたね。私は当時子ども達が保育園児さん達だったのでクリスマスパーティのバーベキューだけお邪魔してすぐ帰って翌日の支度をするだけでした。

博士になってからは、研究ベース人生なので、大学から徒歩ですぐのところに引っ越しました。共学だけど40人くらいいる研究室で女子学生は3人とかだし、博士になると工学部は一人とかなので、なんだか縦構造があって、修士とか学部生とかが準備とか片付けとかしてくれるんですよ。本当に申し訳ないし、なんだか寂しくてね。で、その空いた時間で『研究成果あげてください!』って事なので、

例えばウェルカムパーティもフェアウェルパーティもなんだかパーティ(顔合わせ)をするんだけど、呑んだ後は、ガッツリ国際会議の論文の締め切りがあったりして(パシフィックタイムだから朝7時締切。)とんでもない文章の乱れなんぞあったら、研究室の先生や、しいては大学の顔に傷か付くので、マジでかなりの集中をしないといけないんですね。一年に何本も論文は執筆しないといけないし、学年があがると投稿してきた論文の審査委員もしますから。

そんな中で呑みつぶれられるなんて学部生のうち、これまた論文を書かない人くらいかなあ・・・学部生は片づけて、それで書きますからね。その子たちの面倒も兼ねているので、呑んだあと寝てしまうくらいまでは呑みません。当然自重します。だから無理して合わせてその後の仕事に支障が出るくらい恥ずかしい事は無い(自律していないという事なので)ので、

宴会の初めに『取り逢えずビールを・・・○○本!』というのと同じくらい『ソフトドリンクの人は・・・○○本!』と、それも先輩の健康管理も兼ねて、後輩の立派な仕事として宴会係り(準備・企画・会計など)の任務があります。

研究室は大きくなって国際的になると自分の研究室主催の国際会議を開催するので、研究室内のとりあえずは宴会の企画運営で慣れろ、という訳です。そのうちもっと出来るようになったら、海外のVIP対応が出来るように成って、それで晴れて国際会議を主催できるようになるんです。

サイト構築は勿論、ツアーはもちろん、バンケットの手配、VIPの講演の手配、もうキリがありません!会場の手配、音響の準備、全部全部自分たちでするのです。そうして後輩たちの見守り役があるので、超先輩も呑みつぶれるまで呑みません。呑んで寝てしまった教授なんて見た事がありません。

だからでしょうか・・・冒頭に書いた父の様な生き方というか呑み方って真摯・紳士じゃないように思うんですよね。もっと自分を大切にする(自重する)生活の仕方ってあると思うのに・・・

そうそうミュージシャンさんでも国際的に活躍しているドラマーの神保彰さんは、若い頃この風潮に疑問を感じたんだそうです。80歳まで現役でドラムを叩いていたい、という目標のためには、打ち上げを自重するのもプロの仕事だとおっしゃいます。周りとの軋轢があるのは大人ではないので、そこは面白可笑しく『ドラムがかぼちゃに変わっちゃうので帰ります』とされています。

私も精神科で処方される薬も効くか効かないギリギリのところをずっと模索して攻めていたんですね。子ども達のお世話があるので、効いてしまって眠り切ってしまっては実現できないからです。もちろんお母さんスイッチが入るとけっこうな無理がききます。

でも、これってどうなんでしょう???特効薬的なモノは求められないんですよ。子ども達が成人してある程度自分たちで判断して出来るようになるまでは底辺を生きますから。まあ、よっぽど身体に出てしまう時(まあ救急車に乗ってしまいますが)は、諦めて眠れる量を服用します。

そういう意味では子ども達がトイレトレーニングの時期では無くなったのだ、と(笑)小学校あがるまでに大変だったなあ・・・父の晩年もそういうケア大変だったなあ・・・

だから夏になってテレビで美味しそうにビールのCMをやってたり、ボジョレーの話が秋に出てきたりすると、もちろん貧乏なのもあるけど、なんだか孤立している感覚です。

だって美味しいと思わないんだもん。たぶん、あの、『これはキケンだ!!!』と思ったメロンリキュールを原液でひとくち呑んだ時がとってもショッキングだったからだと思います。

アホな大人しかいなかったんですよ・・・うちの親戚。はーあ。思い出しちゃったよ・・・従兄ばっかりだからアホの介抱ばっかりやったわ・・・私、みんなの御母ちゃんちゃう!っちゅーねん!!!!

ちょっとくらい自分に人生使いたいわ。やれやれ・・・┐( ̄ヘ ̄)┌