往年の俳優さんの息子さんを中心にファミリーヒストリーという番組がありました。
なんとなく視たのですけれど、知られざる話が繋がって行く時、
晩年は変梃りんな霊界オジサンだと思っていましたが、
それは考え方の優しい例を話しているに過ぎなくて、
命の時間をどう捉えるべきかを説く、
深い愛の人だったんですね。
今日はね、私自身の中で、いろんな季節が終わりを告げた日でした。
担当医の一連の問題も、少女のような彼女の反応で、なんだか全てが氷解したように思えました。
なんだかもういいかな、って。
全ての事を気負っていたんですね、まだまだ。
幼いころから大切な命と突然に別れる事が多くあったように思います。
それ故に、時間が遺されているとは全く思えなかったのだと思います。
もちろん、どなた様にとっても明日はわかりませんが、
とにもかくにも、想像をはるかに超える焦りというか、喪失の後遺症というか、
社会の理想になれないコンプレックスとか、と、
ずっとがっぷり四つで、真正面から闘っていたんだな、と。
休んでもいいし、自分の体力に合わせた分量でいいんだ、と。
今日も病院から帰って来て、今週の怒涛の精神状態のタスクが一段落したら、
全く起き上がれなくなって、それでももがこうとする、這い上がろうとする私に、
『もともと、身体が丈夫じゃ無いねんから、無理してこれ以上何かを増やさなくていいんやで。』
と、息子が呟いたのを耳して、
そのままなんだか表現しにくい疲れが出て来て、
こころの奥の方が、『もう、手放していいんだよ。』って、
私自身にやっといくつもの季節の一段落を教えてくれたような、
そんな気がしています。
なんでも真正面から駆け引き無しで丸腰でがむしゃらにしか出来なくて、
周りに迷惑をおかけしちゃいけない、と、全部抱えて、
それでもんどりうって倒れて這いつくばって生きて来ました。
そんな人生もありかな、って。
もう一度生まれて来ても、同じ事を同じ様に生きて来ただろうな、って。
ようやくほんのちょっと自分を許してあげられたというか、
認めてあげられるような、それでいいんだよ、
それもありかもね、そうしかできなかったんだよね、
っていってあげられるような、
そんな気がして。
だから、なんだか、感謝というか、清々しいとうか、
落ち着いたような、そんな気持ちなんです。
このような境地になれるきっかけを全ての人が、
今日まで分け与えてくださって来ました。
私は頑固なところがあって、頑張りすぎちゃって、
理解が遅くて、
本当に今までごめんなさい。
そうしてすべてにありがとう。
ありがとう。